言葉を出さない障害者との対話について

とあるきっかけで以前書いた読書メモ https://tu-ta.at.webry.info/201805/article_2.html を読み返していました。それは『その島のひとたちは、ひとの話をきかない』という本の読書メモです。著者は森川すいめいさん。日本では数少ないオープンダイアログを実践している精神科医です。オープンダイアローグとは、すごく簡単に言ってしまえば、当事者を中心にチームと関係者でちゃんと対話することから、当事者が回復していくというような営みです。(この『ちゃんと対話する』というのができていないことも多いのですが。)

 その対話を重視する人が『ひとの話をきかない』島の人を称賛し、そこでは自殺が少ないというのです。いいかげんな読者であるぼくは、最初読んだときは「どうして、対話を重視する人が『ひとの話をきかない』島の人を称賛するのか」よくわかっていなかったのでした。

 蒲田の人たちで行っているオープンダイアローグの勉強会に参加しているのですが、それが終わった後、その読書メモを読み返していて気がつきました。その島の人たちはひとの話を聞いていないけれども、対話をしているのではないか、と。

 そこから言葉で表現することのない重度の知的障害者のことを連想しました。彼らと言葉でコミュニケーションすることは出来ません。しかし、対話すること、より正確に言えば、対話しようとすることは可能なのではないかと。

この本にはこんな文章があります。

弱っているひとの意思を聞くことは時には間違うことがある。弱っているからこそ本当は助けて欲しいと思っていても助けてと言えなくなる。意向を質問すればするほど拒否していく。弱っているときは、「入っていいですか?」と聞くのではなく、「助けに来たよ」と入っていく。それでも断られるのであれば、それは本人が本当に嫌だということである。しかしたいていは、「ああ、ありがとう」と言う。(130p)

これが「ひとの話を聞かない」ということです。読書後数年経て、やっと気がついたのですが、ここでの「ひとの話を聞かない」というのは、表面の話です。確かに声として聞こえる形では聞いていません。聞かないことをよしとしています。しかし、弱っている人の内的な声は聴かれているのではないでしょうか。聞かないことで間違うこともあるかもしれませんが、聞かないことで助けられる人がいます。ここには対話があると思うのです。その人の全体性を見て、聞こえる言葉に頼らない対話が行われていると感じたのでした。

 西欧由来の主に身体障害者向けの自立生活運動が日本に輸入されたとき、言葉で確認することが求められました。歴史の中で、それはそれで必要なことだったと思います。いままで、あまりにも聞かれていなかったからです。そこでは原則的に声による確認が必要でした。

 重度の知的障害や一部の精神障害の人の支援では聞こえる言葉に頼らない支援が必要になります。だからといって、対話が必要ないという話ではないと思うのです。聞こえる言葉に頼らない対話がそこでは必要とされています。そして、その対話はとても頼りない対話であることに自覚的であるべきでしょう。当事者と関わり続ける中で検証し続ける。そんな営みの中で、聞こえる言葉に頼らない対話が求められていると思ったのでした。

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