『排除の現象学』(赤坂憲雄著)メモその2(2章~横浜浮浪者襲撃事件を読む~)

(1)https://tu-ta.at.webry.info/202111/article_2.html の続き


筑摩書房のこの文庫本のサイトから送った感想をどこかにコピペしたのだけど、なくなってる。


第2章 浮浪者―ドッペルゲンガー殺しの風景

    ~横浜浮浪者襲撃事件を読む~

この第2章ではサブタイトルにある通り、少年らによる横浜浮浪者襲撃事件が俎上に上がる。

この事件についてはWikiにも「横浜浮浪者襲撃殺人事件」という項目で取り上げられている。以下のように記載されている。

横浜浮浪者襲撃殺人事件とは、1982年12月半ばから1983年2月10日にかけて、横浜市内の地下街や公園などでホームレス(浮浪者)が次々襲われ殺傷された事件。いずれも集団で執拗な暴行を加えられた結果である。

逮捕された犯人は横浜市内に住む中学生を含む少年のグループで、少年たちによる人権軽視の“浮浪者狩り”は社会に大きな衝撃を与えた。

このWikiによると(犯人が逮捕された事件の)「他に2人の浮浪者が殺害されているが未解決のまま」とのこと。

この章では青木悦さんがこの事件を描いた『やっと見えてきた子どもたち』が引用される。

人を殺したことをどう思うかと問われた少年は「わかんない」と応える。そして赤坂さんは、この少年が実感できないのは
1,浮浪者も「人」であるということなのか
2,「殺した」という生々しい現実なのか
と問う。赤坂さんは青木悦さんのこの著作は2の視点からの、たいへんすぐれたルポルタージュだと書いたうえで、以下のように書く。

しかし、わたしたちはここでは、あえて前者の、浮浪者も「人」であるという自明であったはずの事実が、もはや自明でなくなっていることにこだわりたい。現代における排除の構造の読解をめざすかぎり、、それは方法的な必然といってよい。84p

この後、赤坂さんは「臭い」「汚い」ものとして「浮浪者」を表象する。このような典型的な「浮浪者」と呼ばれたような人が減少し、一見、見た目ではわからないような人が数多く野宿している。野宿者の多くは住まいを追われ、野宿を余儀なくされている、見ただけではわからない「普通の人」だ。80年代にそのような人は少なかったのかもしれないと思う。野宿者とここで実際に「臭い」「汚い」ものとして描かれる「浮浪者」と呼ばれる存在の異同。そのあたりは気になるところだが、本に戻ろう。

赤坂さんはこの事件を以下のように読解する。

 戦後社会にとり残された可視的異物としての浮浪者を襲う、異貌の子供たち。少年たちが現実の場に演じて見せた光景は、むしろ、わたしたち市民の内奥で日々くりひろげられている排除の情景が、虚構という名の安全弁をとりはらわれ、鮮明な像を結んだにすぎないのかもしれない。少年たちが浮浪者にむけた眼差しの酷薄さ・非情さと、わたしたちはどれほど無縁であることか。地下道のかたすみに寝転がっている浮浪者を横目に、関わりにならぬために大きな弧を描いて遠巻きにゆきずる、市民の一人ひとりが、意識するといなとにかかわらず、浮浪者という名の異物を排除し、ときには殺害している。横浜浮浪者殺害事件とは、市民たちの内なる風景である、という視点を欠落させるわけにはゆかない。86p

このような側面はいまでも存在し、80年代当時よりも強化されてさえいるかもしれない。同時にそれだけでは語りえない野宿者の実態もあるのが2021年の現在だと言えるのかもしれない。(とはいえ、この章の後段で赤坂さんはもう少し詳しく「浮浪者」を分析している。106-107p)

いまはあまり使われなくなった「浮浪者」という言葉。それがタイトルに使われているというのも80年代に書かれた本だということを表しているのだろう。この章の内容は以下に端的に書かれている。

 浮浪者とはいったいだれなのか。市民社会と浮浪者との関係は、いかなる位相にあるのか。横浜の事件から透けてみえる現在(いま)をつらぬむ排除の構造を、どのように把握したらよいのか。こうした問いを射程におさめつつ事件の解読へとむかいたい。87p

赤坂さんが描いたのは80年代の「市民社会と浮浪者との関係」、そして、現代(2021年)の「市民社会と浮浪者(とは公の場では言われなくなった野宿者)との関係」はやはり異なるはず。ぼくが野宿者の夜回りに参加して2年近くになり、そのほとんどは平和島地区での夜回りなのだが、野宿者と一言では括れないさまざまなタイプの人がいることを知った。赤坂さんは当時、どれくらいの「浮浪者」と呼ばれる人との交流があったのだろう。そこにあまり具体性は感じられない。メディアを通じて見ている印象もある。本人に聞ける機会があれば、聞いてみたい話だ。

60年代前半の当時は、まだ乞食ないし精神障害者にむける地域の眼差しはどこか牧歌的な寛容さに包まれていた。・・・かれら野にある異人たちが一掃されたのは、60年代後半であった。精神病院へ強制入院させられる患者数が、飛躍的に増加しはじめるのが1961年の精神衛生法の一部改正、1965年の新・精神衛生法の成立以降・・・。予防拘禁のためにつぎつぎと収容施設に・・・。

これはたんなる政治レヴェルのできごとではなく、「地域社会が寛容さを失い、異質なるものを排斥しはじめる時代の幕開けであった」とされる。そこで、いまでは書かれないだろう言葉が使われ、「異人」が表現されている。94-95pから抜粋

「60年代前半の当時は、まだ乞食ないし精神障害者にむける地域の眼差しはどこか牧歌的な寛容さに包まれていた」という時代の空気のようなものを検証できるかどうか不明だが、赤坂さんはそのように感じていたということだろう。昭和35年から40年にかけての「乞食ないし精神障害者にむける地域の眼差し」がどのようなものであったのか、映画や文学作品から垣間見ることはできそうな気がする。

 しかし、赤坂さんはノスタルジックに浸り、それをただ称賛しているわけではない。別役実のエッセイが紹介され、それへのコメントがその時代の残酷さを描いている。以下に、少し長いが引用。

 劇作家の別役実は、「お祭りと乞食」(一九七一)と題する短いエッセイのなかで、たいへん刺戟的な発言をおこなっている。あたかも市民的意識を逆撫でするごとき挑発的な文章の、一節をここに引いてみよう。

~~

私はお祭りの度に、何処から現われたのだろうと思う様な多くの乞食が、神社の境内を埋めたのを見た事がある。彼等はものごいをし、我々は与えたのだ。もちろん、彼等の不幸と不潔さと、奇型に対する我々の優越感が、そうさせたのである事は否めない。私はそれを否定しようとは思わない。しかし少くとも、現在我々が、不幸であり、不潔であり、奇型である人々に出遇った時の様なとまどいは、そこにはなかったのであり、例えばそこに差別があったとしても、言ってみればそれは健康な差別であった様に思われる。

共同体が不幸な人々を乞食として許容し、そこに参加する人々がそれに同情でき、彼に金を与える事に何の疑いも持ち得ないとすれば、それはその共同体が健康なせいである。私ははそう思う。

~~

 市民社会の表向きの倫理は、かつての〝健康な差別"と対比され、暗にその"不健康さ"が示唆される。わたしたちは「不幸」「不潔」「奇型」の人々を、ある種の戸惑いなしには眺められない。石を投げることもないし、露骨な差別をすることもない。そのかわりに確実になにかが失われ、「不幸」「不潔」「奇型」の人々とわたしたちとは、奇妙な異和感なしには向かい合うことができなくなった。そうして乞食の消えた街からは、お祭りそのものが失われたのである。

 わたしはこの別役の一文に躓いてきた。にがい異物感を覚えながらも、そのとおりかもしれないと頷き、また、どこか違うという思いへと揺りもどされた。乞食に石を投げる、その醜さ・不潔さを囃したてる、そして、施しをあたえる。これが"健康"な光景であろうか。"健康"とはいったいなにか。たとえば、明治とおもわれる時代の、九州のある山村を舞台としたこんな話がある。|村人がひとりの女乞食をしきりにいじめるのに義憤を感じた若者が、女乞食をかばってそれを止めるが、彼女はすこしも喜ばなかった。いじめたり、からかったりするのは憎んだり嫌ったりしてのことではなく、その女乞食を愛してのことであった。そうされることによって、怒ったり泣いたりするのもひとつの演出で、人々はそのやりとりをつうじて女乞食を意識し、また食物をあたえもしたのである。若者がからかうことを止めると、村人は乞食を見向きもしなくなったうえに、食物もあたえなくなってしまった、という。(『日本残酷物語』)

 村人と女乞食は、ある種の相互補完的ないし互酬的な関係によってむすばれていた。いじめる/いじめられる関係が、おたがいの黙契にもとづく演出行為としてあった。ひとりの若者がそこに導入したのは、むろん、近代市民社会の倫理つまりヒューマニズムである。それは村人と女乞食との相補的関係を、その善意にもかかわらず、いや、善意ゆえに断ち切ってしまう。いじめる/いじめられる関係に密着していた、施す/施される関係が、新しい時代の倫理によって否定される。疑いなどはいりこむ余地のなかった~健康な差別,は、無垢でありつづけることを許されない。乞食をいじめることが「悪」に転落したのは、たぶんこの瞬間である。

 いわば、いじめる/いじめられる関係が、施す/施される関係と表裏一体のものとしてあるとき、それを〝健康〟な状態とみなすことができると、とりあえず規定しておくことにする。「だが、あらためて思い返すとき、なぜ、あの女乞食はいじめを止めようとし、若者の善意を歓迎しなかったのか。石をぶっけられ侮蔑されることが、うれしいはずはい。いじめる/いじめられる関係を、女乞食がすすんでひき受けていたのは、それだけが施す/施される関係を保証してくれたからである。生存のためのギリギリの選択であった。

 そして、”健康な差別"とひきかえにようやく許された生存の途は、疑いもなく惨めで苛酷なものであった。たとえば、厳寒でも火のない野外の生活を想像してみれよい。乞食は火の使用を禁じられるのがつねであった。ここには、およそ牧歌的な色合いが稀薄であることを知らねばならない。それこそが、”健康な差別”をさしむけられる者たちにとっての、まぎれもないただひとつの現実であった。

96-99p

そう、このように書かれていて、はっきり見えてくるのは、やはりその「牧歌的な寛容さ」というものが「疑いもなく惨めで苛酷なものであった」ということだ。

また、99頁の終わりころから狂言のなかの弱者について書かれている。このように記述されている。

「狂言はかれら弱者・不具者たちを、徹底的に嘲り、笑いのめし、いじめぬく」100p

それにしても、この弱者や障害者を「徹底的に嘲り、笑いのめし、いじめぬく」という狂言のありようは見ていて、あまり気持ちのいいものではないと思う。笑っちゃうこともあるのだけど。ただ、それをタブーにするのではなく、関わるということではある。この狂言での弱者との距離の取り方や関係性の形成を、小山田圭吾氏が90年代に描いた障害者いじめの風景と重なるようにも思う。参照:https://tu-ta.at.webry.info/202108/article_1.html

「この狂言の世界が孕んでいる”哄笑の文化”」、それが「いつしか禁忌になった。その、どこかアッケラカンとした、それでいて暗く、不気味な闇の領域から聞こえてくる笑いを、わたしたちの近代はひたすら排斥してきた」。そのような〈不具〉なる人々の登場する狂言は上演されなくなる。「近代ヒューマニズムという倫理の枠組みから逸脱し、そこに包摂することの困難な、毒を含みもった狂言の世界」。それゆえに劇場という虚構の空間からさえ放逐されようとしている。

そして、狂言などの中世文化のにない手が、すくなからず賤視をこうむる階層の人々であり、定住農耕民の世界から疎外されていたのであり、”哄笑の文化”としての狂言のなか酷たらしいまでに嘲り笑われたのが。じつは、かれら自身(またはその分身)だったと赤坂さんは書く。(101p抜粋)

赤坂さん自身は「近代ヒューマニズムという倫理の枠組み」の評価について、ここではほとんど語らない。現代では否定しえない枠組みとしてあるそれ。その結果として、「笑う/笑われる」という関係の演出と引き換えに得られていた「施す/施される」という関係を「ある種の互酬的な性格」と表現する。(101-102p)

それをそのように呼ぶこと自体が持つ危険があると思う。それは明示的には描かれていないが、99頁の引用で紹介した”健康な差別"が「疑いもなく惨めで苛酷なものであった」という話と重ねることもできる。

それが102-103頁に描かれている。

 さて、乞食とはなにか浮浪者とはなにか、なんであったのか。あらためて、この問いへたちかえらねばならない。

 乞食は古くは、ホイトまたはホカヒビトとよばれた。その原義は、寿詞(ほぎごと)や縁起のよい文句を唱える者という意である。柳田国男は乞食の職業を、一種の慣行のうえになりたつ交易であるとした。すなわち、寿詞を唱えることと交換に、施しを当然の対価として受けたわけであり、乞食は一方的に施されるだけの、たんなるモノモライの徒ではなかった。

 乞食はむろん、衣食に困窮した貧しい人々であった。社会的には弱者であり、多くは疾病や身心の障害などを背負った者たちである。かれらは自己の悲惨な境涯なり、傷なり、欠損なりを逆手にとり、それを負の武器として常人たちを脅かし、哄笑をさそい、憐れみの情をかきたてる。そうした自己演出は、すでに芸能といってよい。乞食と民衆との関係 が相互補完的な交易でありつづけるためには、こうした芸能は不可欠である。芸能が介在するかぎりは、異質なる他者同士とはいえ、乞食と民衆はたがいを欠かしえぬ補完物として、対等に向かいあっているのである。すくなくとも、原理的にはそう言ってさしつかえない。

 おそらく、いにしえの乞食たちは、市民的ヒューマニズムなど寄せつけぬような弱肉強食のただなかを、あらんかぎりの腕力と才覚をしばり、懸命に、したたかに生きていたはずである。笑われ、嘲弄され、憐れまれることすら己れの負の武器と化し、社会の最底辺 の場所ではあれ、堂々と自己主張しつつ、常人たちに伍して、かれらなりの流儀でわたり あうなかを生きていたのだ、とわたしにはおもえる。

 こうした乞食たちの風景は、虚心に眺めるならば、かぎりなく”健康”的である。その 圧倒的な”健康さ”こそが、狂言という、”哄笑の文化"を産んだ、下剋上の時代・中世を ささえていた精神的母体でもあった。そして乱世が終結し、近世という平穏な時代が幕を あけるとともに、そうした”健康さ”は失われてゆく。乞食は芸能の徒から、たんなるモ ノモライへと堕ちてゆく。

 別役実が祭りの庭でみたという乞食たちの光景を”健康”的と感じることに、一抹のためらいを覚えるのは、相補的ないし互酬的な乞食と民衆との交易関係がもはや残影としてしかみいだしえぬ、昭和という時代の光景であるからだろうか。西欧文明と出会い、市民社会の倫理 = ヒューマニズムがもたらされた近代以降の日本では、いっぺんの疑念もいだ かずに、弱者・愚者・不具者をおおらかに笑いのめすなど、所詮不可能なことなのだ。

 ある種の芸能に媒介された、笑う/笑われる関係もしくはいじめる/いじめられる関係 が排斥されたあとの、施す/施される関係だけに頼って生きる近代の乞食たち。かれら物乞いの徒が、常民とのあいだに”健康”な互酬的関係をとりむすぶことはない。むろん、 異質なる他者同士の対等な交易も成立しない。102-103p

ここには人権の視点はない。誰もが健康で文化的な暮らしができるようにしなければならないと憲法に規定された「生存権」の視点。政府にはそのための施策を行う義務があり、せれが生活保護の仕組みとなっている。

(健康で文化的な)「生存」は、いまや施されるものではなく。権利として認められている。このテーマを考えるにあたって、ベースにそれがあるということは、はっきりと確認すべきだと思う。生きる権利を求めることは、施しを求めることではない。

しかし、そのうえで、「施す/施される」関係や芸能について考察する意味はあるだろう。資本主義社会のなかで芸能は売れるものと売れない・売らないものに分けられる。売れる芸能は職業=プロフェッションになった。売れない・売らない芸能は趣味や地域活動として扱われる。

また、生きる権利が十分に保障されない社会に「施し」という意識は根強く残っている。他方で「施し/施される」関係を簡単に否定的なものとして葬ってしまっていいのかという疑問も残る。それは「贈与」とか「互酬」とかいう言葉で説明される話ともつながる。


「施し/施される」関係はもはや成立しえなくなっている、と赤坂さんは書く。(104p)
確かにそれは見えにくい。消えてしまったようにも思える。しかし、ほんとうにそうか、という視点もまた必要なのではないか。

さらに、浮浪者というイメージや観念が市民社会の最深部にあって、市民としてのアイデンティティを保証し、また市民であることからの逸脱に向けた禁忌を不断に再生産しているイデオロギー装置であるかもしれない、とも書かれている。(104p)
ほんとうにそうだろうか、存在しているのに存在していないかのように扱われることのほうが多いようにも思える。

105頁からはドヤ街や、そこに生活する人が記述の対象になり、労務者と浮浪者の関係などに関する記述もある。これは80年代の光景だろと思う。先日、寿を訪ねて感じたのだが、いまや寿はすっかり「福祉」の街、「福祉」と切り離すことが出来ない街になっているように感じた。

115頁あたりからはサブタイトルにある、内なる他者としてのドッペンゲンガーに関する記述がある。「無気味なものとしての浮浪者とは、市民社会が無意識化へと抑圧・排除した市民社会が無意識下へと抑圧・排除したドッペルゲンガーといえるかもしれない」(115p)であり、「憧憬と嫌悪の両義性を孕んだ存在である」(117-118p)と。

さらに記述は80年代の漫才ブームにおける「弱者いびり」の話に向かう。赤坂さんはこの漫才ブームと横浜浮浪者襲撃事件を連続したものとして捉える。(120p)

そこで『ツービートのわッ毒ガスだ』の山谷に関するひどい記述が引用される(121p)。この記述に関して、赤坂さんはこの記述が「ギャグになり損なっているような気がする」「市民社会の内部からの視線にさらされた、ドヤ街のひどく凡庸な光景」「偏見をいうのはたやすいが、実際のところ、わたしたちの大多数は、ここに描かれた以上に豊かなドヤ街のイメージを持ち合わせていない」「この剝きだしの排除の眼差し」と表現する。(122p)

そして結語近くで以下のように書く。

 横浜の事件が思いがけず露出させてしまったものは、この、市民社会の境界付近で日々再演されている、浮浪者を生贄とした供犠の光景であったに違いない。123p

結語として書かれているのは

横浜の事件とはやはり、わたしたちの現在(いま)を照射する、市民たちの内なる風景であった。124p

 1082年末から1983年にかけて行われた犯行から40年を経て、残念ながらこの結語は、いまでも有効なのではないか。



以下は読書メーターからの引用
~~

saiikitogohu

「街をきれいにするために、商店街、市、警察(市民社会)は「さわやか運動」によって浮浪者を排除し、その運動を見て育った子供たちは、「浮浪者狩り」に、はげんだ。…露骨な異人表象の許されない場所では、排除にともなう感情的負荷をやわらげ無化するために、排除そのものが非人格的な問題へとずらされる。そこでは街という環境こそが主体であり、街の美化と浄化を要求している」93

「地域社会および個々の家族は、それら内なる異人たちを包摂し扶養していく機能と力をしだいに喪失していった」「優しい眼をした年よりのコジキ、子供たちの遊び相手である陽気な精薄者、ときおり狂暴になるが普段はおとなしい気違い…、それぞれに差異のある貌をもつことを許されていた異人たちは、差異なきカテゴリーとして把握されるようになる」94

「この内なる他者を排斥し殺害することを通じて、私たちはたとえば市民としてのアイデンティティーを獲得し、また再認し続けることができる。市民によって排除される内なる他者のひとつの典型像が、浮浪者である」118



この本は、この後

第3章 物語―家族たちをめぐる神隠し譚

第4章 移植都市―鏡の部屋というユートピア

第5章 分裂病―通り魔とよばれる犯罪者たち

第6章 前世―遅れてきたかぐや姫たちの夢

終章 失われたヒーロー伝説


と続く

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