NHKの兄が見た「あゆちゃん」の暮らしから(ほんの紹介45回目)知的障害者の母親の役割について追記あり

たこの木通信11月号の「ほんの紹介45回」の原稿。誤変換、URLなどを補足。

NHKの兄が見た「あゆちゃん」の暮らしから

(ほんの紹介45回目)

 今回、紹介するのは『亜由未が教えてくれたこと〝障害を生きる〟妹と家族の8800日(坂川裕野著 NHK出版2018年)。袖には以下のような紹介文が記載されている。

「障害者は不幸を作ることしかできません」。

20167月、神奈川県相模原市にある知的障害者施設で大量殺傷事件を起こした植松聖被告の言葉だ。障害者を解除する立場にあった元職員が起こした事件の衝撃性と同様に、その言葉も人々の心に暗い影を落とした。被告を非難する声が上がる一方、賛同する者も少なからずいた。 事件をきっかけに、重い障害を持つ自らの妹にカメラを向けて番組を作った若きテレビディレクターの著者。本書はその極めて個人的な記録である。と同時に、少しでも多くの人に障害者のリアルな苦悩や喜びを知ってほしいと願う著者が、社会に宛てて綴った手紙でもある。

坂川亜由未さんは「じゅうしん」と呼ばれる医療的ケアが必要な障害者。「あゆちゃんち」が彼女の生活を支えている。以下HPから。

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「あゆちゃんち」で彼女の笑顔を見て、素敵だと思っていた。この本を読んで、母・智恵さんのパワーの陰にこんな話があるのかと感じさせられた。そして、亜由未さんの笑顔にただ惹かれていた自分の浅さにも気づかされた。笑顔に関する深い話はNHK番組に関するウェブサイトでも読むことが出来る。智恵さんのインタビューが4回に分けて掲載されているが、その1回目 https://www.nhk.or.jp/hearttv-blog/choryu/276044.html が亜由未さんの笑顔の話。智恵さんは、「障害者を無理に笑顔にする必要なんてない」と言う。それはなぜなのか、というのがインタビューの内容。その話が本書では兄の視点で書かれている。そして、笑顔が亜由未さん自身のいのちを危険にさらすことがあるという話は『続・亜由未が教えてくれたこと』として、NHKが動画で配信している。https://www.facebook.com/watch/?v=237313124419569

また、本の中では亜由未さんが老人ホームにボランティアで行った時の話がある。いつもは全然動かないお年寄りの男性が、ゆっくりと亜由未さんのほうに手を伸ばし、モノを受け取り、それだけでなく手を握りしめ、しばらくの間離さなかった。いつもは全然動かない男性が動いたことに周囲がざわついた、とのこと。そして、智恵さんはこんなふうにいう。

「支援って、何でもやってあげることじゃなくてさ、自分が動きたいって思うような気持ちにする、自分がやりたいことを助けるのがいちばんいい支援だから、いつもは動かない人を動かしたっていうのは最高の支援だと思ったのね。 亜由未っていいヘルパーになるなって思った」

結語近くで著者(兄)は1か月の支援の中で気づいたこととして、以下のように書いている。

・・・、僕自身が「障害」という言葉の前に思考停止していなかったか。「障害者の妹である亜由未は……」と考えるばかりで、「亜由未の障害はこういうふうに大変だから……」という視線を持ち合わせていなかった。

 要は、「障害者」が先にくるのか、「亜由未」が先にくるのか。ここに大きな違いがある。235p

経管栄養など、医療的ケアが必要な人たちが使える制度や事業者はまだまだ少ない。そこは障害者問題の一つのフロンティアともいえる領域だろう。そんななかで、あゆちゃんちの取り組みは一つの印でもある。彼女たちのようにはできないと思うかもしれないが、同じようにする必要はない。彼女たちから学ぶべきなのは施設で囲うのではなく、街の人々の息吹の中で暮らす環境を作ろうとする熱意と姿勢。それに触れるためにこの本がもっと読まれるべきだと思った。知的障害者の自立生活における母親の役割についても考えさせられたが紙幅が尽きた(涙)。

~~掲載原稿、ここまで~~

「知的障害者の自立生活における母親の役割」

社会的性差(ジェンダー)に関わる大きな問題だと思うが、現状で、ほとんどの家で成人した知的障害者の暮らしに関して「母親」が大きな役割を果たしているのは間違いない。自分の子どもへの思いから、その大きな役割を楽しんでいる人も少なくないかもしれないが、社会がその役割を強制している面も小さくないと思う。「知的障害者の自立生活について考える会」のイベントに参加しているのも多くは母親で、父親は主催者側にいる二人の他は、とても印象が薄い。「あゆちゃんち」の暮らしにおいても、母親・智恵さんの存在はとても大きい。

智恵さんだけではなく、その存在なしでは暮らしが成り立たない例は枚挙にいとまがないだろう。

それは当事者自身の決定にも大きく影響している。いいとか悪いとかいう話ではなく、多くの知的障害者の暮らしに関して、それを抜きにしては生活が成り立たない現状がある。

それは社会から押し付けられた役割という話だけで済まない部分が複雑さを形成しているようにも思う。「大好きな子どもの暮らしを支える喜び」みたいなことを感じさせる母親も少なくない。

もちろんそれは、あれかこれか、という話ではなく、一人の母親がいろんな感情を抱きながら、役割を果たしているといえるだろう。

その母親の役割を軽くする責任が父親に、そして、社会にあるのだと思う。

この本を、たこの木通信に選んだ背景に、たこの木の連続講座の会議で「あゆちゃんの意思」と「母親の意思」に関する不注意で失礼な発言を指摘された、ということがあった。

以前、重度知的障害者の息子の自立生活について、その分野でも研究を続ける大学教員の父親が「嫁に出す」という比喩を使って、議論が起きたことがあった。それを批判する側には、歴史的に「嫁に出される」女性の意思が尊重されてこなかったことへの怒りがあったのだと思う。しかし、同時に、息子をヘルパーやコーデネータに委ねて、自立生活させる家族の側の正直な思い出もあったのではないか、とも思う。

知的障害者の母親の役割と知的障害者の自立生活の抜き差しならない関係については、もう少し考え続ける必要があるのだと思う。

「自立生活における」という話から、少し離れて、一般的な知的障害者と母親という話になったかもしれない。例えば、子どもが自立生活をするかも、と考えたときに、環境が整っている地域はほとんどない現状がある。そんな時、まず親がコーディネータの役割を果たすことになる。母がコーディネータの一人暮らしと「自立生活」の関係も微妙だが、とりあえず他に選択肢はない。コーディネータの役割を果たせる人材や組織やヘルパーがどのように増やしていくかというのも、障害者、とりわけ知的障害者の自立生活を考えるときの大切な要素になっている。



~~~

以下、参照URL

著者の坂川裕野さんとのメールでのやりとりを含めた読書メモは以下(読み返したら、けっこう長い)
https://tu-ta.at.webry.info/201809/article_1.html

また、フェイスブックで「あゆちゃんち」が問いかけていたことについて考えたのが以下
https://tu-ta.at.webry.info/201812/article_4.html

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