プロレタリアート革命ではなく、ケア革命へ(2022年2月、雑誌「世界」掲載論文について追記

斉藤幸平さんがラジオで、プロレタリア革命ではなくて、ケア革命だと言ってるところが興味深かったので、文字起こしをしようとして、そのはるか前の方も面白くて、つい起こしてしまった。音声読み取りをざっくり修正し、自分で適当に句読点や段落を入れただけなので、大筋で間違ってはいないと思うものの、語尾などの細部で不正確な部分はある。引用したい人はラジオ番組から自分で起こしてみてください。

NHKラジオ、けっこうラディカルです。

これが聞けるのは2022年2月6日まで。

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カルチャーラジオ 日曜カルチャー

「人間を考える~現代を見つめる~」(2) 斎藤幸平
2021年12月12日放送分
https://www.nhk.or.jp/radio/ondemand/detail.html?p=1940_01 から



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残り時間9分くらいから、最後まで

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お金持ちの人達に税金をかける。トマ・ピケティは最大所得税率を9割ぐらいにするべきだという風にも言っていますけれども、なぜかと言えばシングルマザーやお金に困っている人たちに渡せば、家の家賃になったり、子供の給食費になったり、日々のそれほど環境に負荷がかからない活動に支出されるようになる。

つまりどういうことか言うと、より平等な社会は環境負荷が低くなる。なぜならば今すでにお金も持ってる人たちがたくさんの二酸化炭素を出しているので、それを平等にしていくことは同時に持続可能な社会への転換になっていく。これが最晩年のマルクスが 社会的平等と持続可能性というのが共同体社会で結びついているということに気がついた洞察であり、それがマルクスの脱成長コミュニズムの基本的洞察になっているわけです。もちろんそうした社会においての豊かさというのは、毎年ハワイに行くとかそういうことではなくなるわけです。豊かな時間の過ごし方や豊かさというものを再定義していく必要がある。古いレアなワインを飲むとか楽しいみたいなそういう話ではないわけです。 

新しい豊かさを作っていくことがなぜ必要かと言えば、それはもちろん私たちもその奴隷となって資本主義のもとで働くことで、体調壊したり様々な環境問題を引き起こしているって事もあるけれど、 地球の裏側ではこれまでも、そしてこれからも労働力を搾取され資源を奪われてきた人たちというのが大勢いるわけですね。これは奴隷制が始まって、金銀の採掘、プランテーション、化石燃料、そして現代ではリチウムに及ぶまでやはりある種の植民地支配というものが先進国と途上国の格差を生み続けているし、それが私たちの豊かさの根幹にあるということはこれはデータを見ても否定することができないのです。

依然としてかつての旧植民地国からは年間18200万時間の労働と、100億tの資源が高所得国へ流出している。こういう流れを断ち切らないといけない。最初、人新世という言葉でこの講座を始めましたけれども、人類全体が気候変動問題に同じ程度の責任があるわけではないということ。こうした先進国の経済成長のための収奪というものが一方的なグローバルサウスからの不等価交換というものを生み出していて、そしてこの不等価交換を通じて獲得された資源やエネルギーを先進国が浪費することで現代の気候変動危機というものが生まれている。なので、研究者のなかには人新生という言葉ではなく資本新生という言葉を使う人もいます。

もう一つ重要な転換の必要性というのが、今回の講座でも何度か触れているケアという地平ですね。資本主義社会の下ではケアというものが女性の活動と結びつけられることで、不当に低く評価されてました。その裏では資本主義はこの無償の家事労働やケア労働を利用する事でより効率的な経済成長を遂げてきたわけです。 この背景にあるのは間違いなく、セクシズムなわけでね。女性が担う再生産労働というのが、価値を生まない非生産的な労働として低くみなされ、その考え方が続く限りで、同じようなケアの活動を、仮に介護とか保育みたいな形でお給料もらってやる場合にも、それは別に誰でも出来るような仕事だから高く給料を払わなくていいというような、そういうロジックが働いているわけです。 

資本主義の下では再生産やケアが、何かそうではないものを作る活動よりも劣っており、非自律的なものとしてみなされるような価値観が形成されている。つまり自動車を作るというような自然を場合によっては破壊しながら資源を奪い大きなものを作るというような非常に男性的な活動が評価され、そうではないケアというものは非自律的なものとして資本主義のシステムに取り込まれる結果になったわけです。

 今必要なのはまさに価値観の転換ではないでしょうか。社会における相互扶助、相互のケア、そしてさらに言えば地球のケアというような、社会であったり自然というものを維持、再生していくような再生産力を高く評価するような社会への転換が必要ではないでしょうか。

これ、言ってみれば、かつてのようなマルクス経済学のように、あるいはマルクス主義のように生産力を上げていくことが解放の道だという認識を改めて、再生産力を重視する社会こそが平等で持続可能な社会であるというプロレタリアート革命ならぬケア革命というものが必要だということです。こうした脱植民地化ケア革命という視点をいれると気候変動の問題はその本質は二酸化炭素を減らすことではないということが分かっていただけるのではないでしょうか。人新世の危機を前にして、二酸化炭素を減らすことが解決策であるという命題にとりつかれれば、私たちは小型原子炉や電気自動車や二酸化炭素を吸収するCCSと呼ばれる技術を使いさえすれば、今まで通りの暮らしを続けていいことになるわけです。ただしそうした生活の在り方の裏では更なる資源採掘、環境破壊問題、劣悪な労働条件、ジェンダー格差などの問題が不可視化されて温存されることになってしまいます。 

今求められているのは、気候変動問題をきっかけとして、この格差や不公正、植民地支配、ジェンダー格差、セクシズムなどの問題を解決しようとするような幅広い年代の運動なのではないでしょうか。脱成長と聞くと、なんか自分の生活が貧しくなるんではないかと心配になる方もいらっしゃるかもしれません。けれども、私たちは本当に今の世界が幸せで豊かなものなのかというのを捉え返さないといけない。そして仮にその豊かさが、もし別の人達、あるいは未来の人たちからの収奪に基づいているとすれば、それは改めていく必要があるのではないか、こうした問題が浮かび上がってきたのがこの一年半以上続くコロナ禍です。今ポストコロナが謳われるようになっている中で、やはりこの問題を忘れ去ってしまうのではなく、新しい社会への転換というものを考える必要があるでしょう。なぜならですね、この地球環境というものには、だいたいの星というものは存在しないですね。この地球環境を守らなければもう絶滅するしかないですね。そしてこの絶滅の脅威に対しての責任があるのは当然、人類であるし、そして同時にこの危機を止められるのも私たち人類に他ならない。どうもありがとうございました。 

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このケア革命について斎藤幸平さんは

雑誌「世界」2021年10月号特集脱成長

https://www.iwanami.co.jp/book/b591013.html

掲載の文章

気候崩壊と脱成長コミュニズムーーポスト資本主義への政治的想像力

斎藤幸平(大阪市立大学)

のなかで、エコフェミニズムとの連関を含めて以下のように書く。

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 ケアの危機をの前に、脱成長という視点を取り入れるエコフェミニズムは、社会における相互ケアだけでなく、 まさに「地球のケア」、つまり、自然を維持・再生するような「再生産力」 全般が資本主義の下で軽視されてきた歴史を批判する。生産力ではなく、再生産力を高く評価する認識への転換には、グローバルサウスの女性が先住民による自然のケア実践を包括したケア革命が必要だ。 

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日本の言説空間では、歴史的な経緯もあって、ほとんど顧みられることのないエコフェミニズムがこんんあ風に評価されているのはうれしい。






おまけですが、このラジオ番組用の講演でSDGsアヘン論について、斎藤さんは以下のように語っていました。

まず、15分過ぎから21分過ぎまで
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新自由主義という格差を広げ続けるやり方ではこれからの気候変動の時代には対処できないんではないか。別の道、ダボス会議ではグレートリセットという言葉が使われてますけど、一旦リセットしてもっと別の道を探らなければいけないんではないかということが世界的なコンセンサスになりつつある。その別の道とは何かということなんですけれども、それが今、グリーンニューディールとかグリーンリカバリーとかグリーンディールって呼ばれる緑の資本主義を目指す方向性になる。

今までは環境対策をするののであれば、追加的なコストがかかってしまうので、これは経済にとっては足かせになるという考え方が支配的でした。だけれどもこれから電気自動車であれ、再生可能エネルギーであれ、そういうところにですね、投資をして消費者等の環境に優しいプロダクトを求めるようになっているとすれば、むしろ環境にやさしいクリーンな技術に投資をすることの方が企業にとっても業績が上向きになる。そして国全体としてもそういった企業を促進して育てていくことが新しい雇用も生むし、それで商品を底上げになっていいですね、景気の循環を作っていくことができるんじゃないか、このグリーンリカバリーの作戦がうまくいけば、私たちは電気自動車や太陽光パネルやあるいは身の回りにあるものでもビルを作っているコンクリートなんかも含めて二酸化炭素を出すものがいっぱいあるわけで、そういうものを二酸化炭素を出さない技術において全て置き換えて行かなければいけないとすれば、ここには莫大な儲けのチャンスが眠っているし、これをうまく使えばまだまだ新しい投資先はあって、経済成長のチャンスもあるんではないか、そしてこの道を突き進んでいけば持続可能な資本主義を未来永劫続けていくことができるはずだという期待が投資家達の間では、あるいは政治家たちの間でも高まっている。

これが昨今のESG投資とか、日本ではもうちょっと巷でも言われているなSDGsという言葉の背景にある動きです。逆になぜ SDGsという言葉がこれほど急速に流行ったかといえば、世界のトレンドでこうした環境意識の高まりと新しいビジネスチャンスというのが明確に結びついたわけです。ただし、これがアヘンなんではないのかという問題提起が『人新生の資本論』で私が冒頭でしたことですね。

 皆さんが持続可能な社会のために何をしていますかと問われた時に、何をしていると答えますか?

マイバッグを持っているとか、マイボトルを持っているとか。家の車をハイブリッドにしたとか、何かフェアトレードのものを買っているとか、そうした試みが善意からなされてることは間違いない。だけれどもそれで今私たちは直面している気候危機や格差の問題に立ち向かえるかといえば、到底立ち向かえない。

 むしろ自分はフェアトレードのコーヒーを買ったから何かいいことをした。あるいは何か地球環境にとって、レジ袋とか使わなかったことでいいことをしたと思ってしまって満足をしておしまいであればそれは、むしろ有害である。そうしたレベルで何か問題は解決するかといえば到底解決しない。大胆なアクション起こさなきゃいけない時に小さなアクションで自分の罪悪感をなだめていたら、むしろ現実を見ないための麻薬になってしまう。これが『人新世の資本論』で言ったSDGsは大衆のアヘンであるということなんです。
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企業の側もむしろ 私たちの企業の作っている商品はエシカルですよ、サステイナブルですよと謳うことによって2個、3個とですね、消費する事を迫ってくるかもしれない。 あるいはライバル企業のハンバーガーよりもうちの企業のハンバーガーを食べてくださいというようなファストフードの中でもそうした SDGsの競争が行われるようになってきた。あるいはファストファッションなんかもリサイクルしてます、オーガニックコットンを使ってますそうした宣伝というのがなされている。 私たちはそれを見ると、リサイクルボックスがあるからこのリサイクルボックスに着ていないあの服を入れさえすれば自分の罪悪感が軽くなって新しい消費活動にまた勤しむことができるようになっていく。

これがまさに免罪符としての SDGs、このSDGsウォッシュの問題点とは問題の本質が明らかに儲けを優先とする大量生産・大量消費・大量廃棄のサイクルであるにもかかわらず、つまり、それを進めているファストフーズやファストファッションであるにも関わらず。あたかもファストファッションやファストフードが持続可能になれるかのような嘘を振りまいていることなんですよね。 

本当にそうした企業がSDGsに関心があるのであればもっとバングラデシュの人たちに給料を払うべきなんですよ。そしたら、ファストファッションじゃなくなっちゃうわけですね。本質に搾取の構造が埋め込まれている産業というのは持続可能になりようがないし、あるいはせめてポーズとして日曜日はお店を閉めますとか、夜10時以降はお店を閉めますとファストフードもやったらいいじゃないですか。だけど、そんなことは決してしない。なぜならば SDGsに取り組んでいるというメッセージは宣伝にはなるけれども、実際にSDGsに合致した行動をとることは利益を減らすことになるからなんです。

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