「障害者差別を問い直す」ことはできたか?(ほんの紹介46回目)+【障害者への「優しさ」や「思いやり」といった感情それ自体が「差別」】なのかな?

たこの木通信12月号の「ほんの紹介46回」の原稿。

原稿にはなかった【本当に【障害者への「優しさ」や「思いやり」といった感情それ自体が「差別」】なのだろうか?】という問いと、資本主義に関する部分を付け足した。

まず、原稿転載。(改行位置など、少しだけ修正)

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「障害者差別を問い直す」ことはできたか?(ほんの紹介46回目)


 今回、紹介するのは『障害者差別を問い直す』(荒井 裕樹著 ちくま新書2020年)。少し前に読み終えて、読書メモを残しているが、( 
https://tu-ta.at.webry.info/202110/article_8.html )『障害者差別を問い直す』というテーマについて、どれだけ理解できているかはおぼつかない。とはいうものの、紹介したいと感じたのだった。出版社のサイト https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480073013/ には以下の文章がある。

「差別はいけない」。でも、なぜ「いけない」のかを言葉にする時、そこには独特の難しさがある。その理由を探るため差別されてきた人々の声を拾い上げる一冊。

 また、新書マップというサイト https://shinshomap.info/book/9784480073013.html には、一見似ているが、違う紹介がある。

「差別はいけないこと」だというのは当たり前の感覚である。しかし、なにが差別かを考えだすと、その答えは曖昧なものになりがちだ。多様性が叫ばれる一方で、実際にはマイノリティへの不寛容な価値観が噴出するなか、あらためて障害者差別に向き合う必要がある。過去と現在をつなぎ、何が差別とされてきたのか、そして対していかに異議を唱えたか。その過程は人間の尊厳に迫ることになるだろう。

 それぞれに異なる問いが提出されている。ひとつは「差別はなぜいけないか」。ふたつめは「何が差別にあたるのか」。この微妙にからみあった二つの問いへの明確な答えがここにあったかどうか、覚えていないが、それを考えるための材料はさまざまに提示されていた。

 青い芝の会の活動、とりわけ注目を浴び、代表的な論者を生んだ神奈川の青い芝の話がこの本には書かれる。極端に書いてしまえば、そこから障害者差別が見えてくるという話でもある。

 あの有名な行動綱領も紹介されている。なかでも有名な「愛と正義を否定する」。自分なりにこれを考えてみた。青い芝の会には、当時、愛や正義という美辞麗句のもとに行われているさまざまなことが、ことごとくCP者を抑圧する構造として成立しているように感じのではないか。障害者を施設に入れたり、危険な目に合わせないために管理するといったことが愛や正義の名のものとに今でも行われている。そういう意味で彼らは、流通しているあらゆる表面的な愛や正義を否定し、それらを否定しきった向こう側にある、ほんものの愛や正義を希求して止まなかった。彼らほど、ほんとうの愛や正義を追い求めた人たちは他にいなかったとさえ、言えるかもしれない。

 そして「青い芝の会は、障害者への「優しさ」や「思いやり」といった感情それ自体が「差別」なのだと指摘」したと荒井さんは書く。いまだに「心のバリアフリー」などと言われるときに「優しさ」「思いやり」といった感情が強調されているのではないか。そうではないのだ、と青い芝は1970年代に主張している。「障害の社会モデル」という概念が生まれる前の話だ。

 また、荒井さんは青い芝の特異点として、『母よ!殺すな』から4点をあげる。

 障害者差別に対して明確に「闘う」姿勢。(障害当事者として)

② それまで「常識」とされていた価値観に対して、障害者の立場から拒絶の意思を示すこと 
 「優しさ」「同情」「愛」「正義」の否定。「障害者の親」批判。施設批判。

③ 「障害者であることに割り切る」という姿勢をとり、障害を「克服」したり「治療」したりする考え方を拒絶。
 「健全者幻想」に陥ってしまうことを戒めた。

④ 現代の資本主義社会や、資本主義的な価値観を批判。
  「働ける/働けない」という価値観での分断、序列化するような合理主義的・経済主義的価値観に猛烈に反対。「働く=善」という価値観を根底から否定。 職場・労働環境の改善を求める方向には進まず、むしろ「労働」という概念自体を覆し再定義する方向。

 そこから見えてくるものを書く前に紙幅が尽きた。

~~原稿ココまで~~

さて、本当に【障害者への「優しさ」や「思いやり」といった感情それ自体が「差別」】なのだろうか?

そのように言う時の「優しさ」や「思いやり」とは何を指すのか。差別にあたらない「優しさ」や「思いやり」があるのではないか。

「障害者に「優しさ」や「思いやり」をもって接しましょう」と言われると、そこには上から目線の差別が含まれていると思う。そう、優しさや思いやりを障害者と結びつけてしまうと、そこに差別の香りが残る。やさしい気持ちや人を思いやる気持ち自体に差別は含まれない。しかし、その気持ちを「障害者」と結びつけてしまうところに危険がある。

障害があってもなくても、嫌な奴は嫌だし、許せないことは許せない。もちろん、その許せないと感じる行為が何に起因しているかは考える必要があるだろうが、それは「障害者に「優しさ」や「思いやり」をもって接しましょう」という話とは違う。そう、優しさや思いやりは障害者だけに向けられるものではないから。

そして、ぼくが大切だと思うのは「④ 現代の資本主義社会や、資本主義的な価値観を批判」という部分。「もっとたくさん」とか「もっと速く」とか「たくさん経済成長して」っていう価値を追いかけてきたことと、いまの社会の荒廃、もうこのままでは続かない感じはつながっているのではないかと思う。だから、行き詰ってる現代をなんとかする方向に向かうために、そういう価値から相対的に距離を置くような価値観が求められていると感じている。そのことと、この④はなにかつながっているように思うのだった。

これは「ケアを中心とする民主主義の構想」を主張する岡野八代さん/ジョアン・トロントの主張とも重なってくるのではないか?

ちなみにこの本のもっと長い読書メモは以下
https://tu-ta.at.webry.info/202110/article_8.html



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