映画「人生、ここにあり!」メモ 9/5追記

最初にツイッターやフェイスブックに書いたものの転載。一部改変している。
「人生、ここにあり!」見てきた。すごくよかった。舞台は1983年のミラノ。イタリアでは1978年のバザリア法の制定で、次々精神病院が閉鎖。その移行期に病院直営のやるきのない作業所(これが社会的協同組合の前身の社会 連帯協同組合)が変化していく。社会的事業所などに興味のある人は必見。 2011.08.29 00:29

パンフレットに秦早穂子さんが書いているが、「たんなる無鉄砲なユートピア賛歌ではない」。その急進的なやりかたが持つ重大な危険や挫折も描かれる。そのことが物語の深みを増す。ロビーでは「べてるの家」の書物も売られていた。2011.08.29 00:35

買春反対という立場のフェミニストには怒られるかもしれないが、笑ったのが協同組合で性欲の問題を議論する 場面。そこで仲間の一人がECの補助を使って、解決することを提案。冗談かと思っていたら、本当にその提案が通り、補助金の申請に必要だからと娼婦に年金 番号を聞いて… 2011.08.29 00:43
プログラムによるとこれも実話だというのにさらに驚く。2011.08.29 00:47

それにしても、すごくマイナーだった社会的協同組合とか社会的事業所とかソーシャルファームのことを、もっといろんな人に知ってほしいと思う。日本での就労支援はほとんど、健常者がサービス提供で障害者 がサービス利用。対象は障害者に限らず、「共に働く」というのが上記事業 2011.08.29 00:52

この映画、社会的協同組合を持ち上げている映画ではあるが、冒頭部分のやるきはまったくなく、居心地も悪そうで、かつ、ろくな賃金も出ない作業所もまた、同様の協同組合だということも見て取ることができる。日本の就労支援施設であんなに無秩序にまったりしてるところは珍しいが、「居心地も悪そうで、かつ、ろくな賃金も出ない作業所」というのは少なくないと思う。就労支援施設という名目の「障害者の居場所」。そういう場所が必要な面はあるのだが、何かが間違っていると思う。2011.08.29 03:09

ツイッター、フェイスブックここまで


プログラムにいくつか面白い文章があるのだけど、

とりあえず、最初に紹介したいと思ったのは以下

「生きづらさ」との闘い――イタリア協同組合運動の挑戦
鈴木 勉(佛教大学社会福祉学部教授)

ここから少し引用

イタリア語に"disagio"という言葉があるが、これは「くつろぎ」を意味する"agio"の反対語である。つまり、"disagio"とは、障害のある人や高齢者、薬物依存者、移民、刑余者等が直面している「暮らしの窮屈さ・居心地の悪さ」を表すと同時に、新自由主義的グローバリゼーションによってこうした人々を排除する社会の側の問題、つまり「社会のゆとりのなさ」も意味している。日本語では「生きづらさ」という表現がぴったりする。

この作品は、精神障害がある人たちの「生きづらさ」を解決する方法として。連帯と協同を媒介に「豊かな生と社会」の実現に向けた、イタリアの協同組合の挑戦を描いている。

(中略)

「生きづらさ」への対抗戦略の1つとして、社会連帯協同組合と称する協同組合がイタリア社会に登場したのは、1970年代後半である。排除により社会的な不利を被る人々に対して、福祉サービスの供給にとどまらず、働く場と住居の場の創出を通して社会参加を促進する実践がイタリアの各地で始まっていく。その一例は、精神科医バザーリアが主導したトリエステの精神保健改革に見出される。この改革は、わが国では「精神病院の解体」と理解されているが、主眼は病院への隔離収容を止め、「働く場」「居住の場」を分離して提供することにより、精神障害者の人間的な要求の実現を図った点にある。 (略) 精神障害者をはじめ社会的排除に苦しむ人々の全人格的復権を、協同組合という方法で、しかも内に閉塞せずに、外に開かれた連帯と協同を形成することで達成しようとしたのが、社会的協同組合と自称した所以である。

(中略)

「豊かな生と社会」の実現をめざすイタリアの協同組合の挑戦は、わが国にとっても「もう1つの日本」を創り上げる「方法」となるに違いない。


8月20日から21日にかけて、ぼくが大会に参加していた「共同連」というグループ、その大会のテーマは「社会的事業所促進法」の制定だった。共同連ではイタリアの社会的協同組合などをかなり前に視察に行っている。その理論的な中心メンバーでスポークスマン的役割を果たしている斎藤懸三さんは、シンポジウムの席上で、いまの日本での運動のターゲットは、社会的協同組合ではなく「社会的事業所」だといっていた。社会的協同組合と提起しない理由について、日本社会がイタリア社会と違って、労働者協同組合の伝統が根づいていないから、というようなことを言っていたと思う。(おぼろげな記憶)

また、社会的企業とは言わず、社会的事業所と言う理由は
http://www.gendainoriron.com/op12saitou.html
に書いてあった。
以下に、少し引用
社会的企業とは言わず、社会的事業所と言うのは障害者やホームレスなどさまざまな社会的排除された人々が合同参加をするための仕組み、ということで共に働くということを柱としています。だから社会的サービスという社会的企業ではない、という意味で社会的事業所と表現しています。そのほうが、かえって自立できるからと考えているからです。そこで社会的事業所というのは新しい法人格を作ろうとするのではありません。事業の中身と目的において社会的事業と自称するものはすべて認めていこうというもので、これは韓国の育成法を下敷きに考えています。


共同連はこの大会で代表を堀利和さんに変え、来年も東京で大会を行うという。『社会的事業所促進法』を本格的に政治の遡上に乗せることが目的だ。

東京にはまだ共同連の動きは十分に作れていない。堀さんが新たに代表になったことも、ちゃんと伝え切れていないと思う。そのあたりを本格的に動かしていくための仕組みが必要になっているように思う。

あらら、共同連と社会的事業所促進法の話になってしまった。



この映画にでてくる社会的協同組合のモデルになってる「ノンチェッロ協同組合」については、公式サイト
http://jinsei-koko.com/
のSPECIALというタグをクリックすると写真などがでてくる。

プログラムにはもう少し詳しい説明もある。

プログラムといえば、この大熊一夫さんの文章はどうかと思う。1970年って40年以上前の話で、そこと比べてもな~んだと思うだけだろう。いまの日本の精神保健医療の話を書ける人にすればよかったのに。そして、できれば。社会的協同組合や社会的事業所を推進している人にも書いて欲しかった。

田丸公美子さんのプログラムでの文章によれば、閉鎖病棟に入院させて治療するという体制から、そうではない新しい体制を推進したときのスローガンは「よく見れば、みんなどこかがアブノーマル」というものだったらしい。。誰か障害学の人が以前、アブノーマライゼーションを提起していたのを思い出した。倉本さんだったかなぁ。そして、田丸さんは以下のように書く。
現代社会のストレスで、今、心を病む人が急増中だ。彼らをひとつの個性として受け入れ、地域で支えるシステムを整備する。これが、日本とその国民に与えられた緊急の課題なのだ。気負わず、焦らず、諦めず、できることから始めれば、きっと社会も変わるだろう。やればできる!
 映画は次のような言葉がスクリーンに出て終わった。(以下、イタリア語部分略)今、イタリアには22500以上の協同組合があり、ほぼ3万人に及ぶ異なる能力を持つ組合員に働く場を提供しています)「能力がない精神障害者」の代わりに使われた言葉「異なる能力を持つ組合員」を見たとき、私は感動でしばし席を立てなかった。



ともあれ、すごく面白いし、いろいろ考えさせられる映画なので、たくさんの人に見てもらいたいと思った。



追記
プログラムの秦早穂子さんコラムの結語が印象深かったので、引用
パンがなくては、人間生きていけないが、希望がなければ生きる甲斐もない。希望は単なる夢であろうか?夢には思想がある。ひとりの人間の考えが行政を動かした。2011年の日本人にもっとも響くテーマではないだろうか?


タイプしてみると、これでいいのかっていう感じだなぁ。絶望・暗闇の中から、見えそうで見えない希望の光をたぐりよせるリアリティとオプティミズム。状況は厳しい、偽りの希望にすがるくらいなら、絶望を噛みしめたほうがいいかもしれない。でも、あきらめない。確実にいえることは、あきらめてしまったら、何も変わらないということ。

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