ソーシャルワークって、何だろうね (「ほんの紹介」17回目)

以下は2019年3月のたこの木通信に送った原稿。改行位置や強調の部分は変更


ソーシャルワークって、何だろうね(「本の紹介」17回目)

 前回、少しだけ触れた『解放のソーシャルワーク』横田恵子編・著 世界思想社 (2007/07)(のまえがきと第1章)をとりあげる。少しだけ古い本。
以下を読む前に、ちょっと「ソーシャルワークって、なんだろう」という問いへの自分なりの答えを考えてみて欲しい。











 この本のまえがきではソーシャルワークについて以下のように書かれている。
具体的にソーシャルワークは、介護、児童、虐待、ドメスティック・バイオレンス(DV)、学校教育、社会保障給付から先端医療場面での自己決定といった広範囲にわたる現象について、具体的な対応はもちろんのこと、コミュニティにおける指針の提示や社会政策への提言や 立案まで、今までにも増して様々な役割と機能が期待されるようになってきた。
そして、その上でこの要請に応えられているかと問い、 ふたつの具体的な問いが立てられる。
1、人々が直面する社会的な問題を解決するための仕組みづくりに対して寄与できているか?

2、今までと同じように立ち行かなくなってきた人々の日常生活や親密な関係性に対して、指針や方向性を示し、さらには手立てを講じることができているか?

 この本は、この二つの問いに応えるために著者たちが論考を寄せたもの、とのこと。
そして、編者としては「社会の中でソーシャルワーク実践と実践者養成の果たす役割と機能は自明であり、それを支えるのが専門性というものである」という方向には与したくはなく、 「いやいや、事はそう簡単でもないのだ」ということがうまく伝わればよいのだが、と思いつつ、試行錯誤で全体を編んでみた。と書かれている。

 さらにこの本のタイトルの「解放」について、抑圧された人々の解放という意味のほかに、「通常のソーシャルワーク実践で繰り返される援助概念や方法のあれこれに、もうこれ以上いたたまれない、という感覚を持っている」そういう意味での「解放」でもあると書かれている。

 このあたりの問題意識はけっこう好きだ。

 ぼくにはそもそもソーシャルワーカーという自覚があまりなくて、ソーシャル・アクティビストにはなりたいと思うんだけど、その違いはなんだろう?(ま、どうでもいいか)。

 第1章は『ソーシャルワーク実践における援助技術教育―普遍的モデルの多元的再検討』というタイトルで編者の横田恵子さんが書いている。

 その前書きでの紹介が簡潔でわかりやすい。
 第1章では、ソーシャルワーク実践者養成教育にかかわる問題から、私たち自身の「解放」を考える。現在、「援助技術教育」というくくりで教えられている領域について、学校教育モデルでソーシャルワーク実践が持つリアルな身体性を教えることができるのか、さらに、現在、学校教育で教えられている援助概念が依拠する歴史的、地理的、思想史的文脈に触れずしてソーシャルワーク実践を理解できるのか、という論点を提示しそれらへの回答の試みとして実践事例を提示する。
とのこと。これについて、詳しく知りたい人はそんなに長くない文章なので全文読んで欲しい。 

 よくわからないのだが、オーストラリアのクリティカル・ソーシャルワークというのがこの本と関係しているらしい。自分のやってることも含めて、ソーシャルワークのだめさを日々見せつけられてると、確かにソーシャルワークはクリティカルに見直されることが必要なのだろうなと思う。帯には「実践論への根本的な問い直し」と大きく書かれている。 

 ここではまず、日本のソーシャルワークがミクロな関係に終始し、ソーシャルワークの国際定義にあるような、問題を生み出す社会構造とのかかわりを見る視点が欠如しがちだという指摘があり、だからこそ、「ソーシャルワークの実践者養成教育を、激変する現代社会における新たな公共性の担い手を養成する教育として位置付ける」ことが必要だという。ここもすごく同意できる部分だ。

22pでは専門家とユーザーの間に立ち通訳機能を果たすことが要求されるソーシャルワーク実践者について記載がある。 そして以下のような問いがたてられる。
・圧倒的に説得力を持ち強力である先端医療言説の下で 、ユーザーは、他の選択肢を本当に「十分に知り、自ら選択する」ような自己決定を行うことが可能だろうか? サービスユーザーにとって、圧倒的で明確な存在である「専門家」がその領域特有の言葉や概念を駆使して行う「説明と助言」を受けた後に、それをあえて選ばないことは、容易だろうか?

・その当事者に専門家言説を相対化するだけの「ちから」があったとして、「ユーザーのラディカルな自己決定」が行われようとするときに、それを支援するだけの「ちから」をソーシャルワーク実践者が持っているのだろうか?

・遺伝子カウンセリングの現場や発達障害児のノーマライゼーションを目指す早期療育プログラムにソーシャルワーク実践者として関与するとき、それは人間存在の多様性や尊厳の問題とどのように折り合いをつければよいのだろうか?

 この問いに続いて、以下のように記載される。
 予防と治療という枠組みがあまりにも揺るぎないため、ソーシャルワーク実践の基盤となる価値観との緊張関係はますます高まる。実践者としては、組織的文脈、現代社会の趨勢として抵抗感をもちつつ受け入れざるをえないが、このような強力な言説を超えたところで自己決定は可能なのか、科学的中立性が結果的に社会的排除やマイノリティー差別を助長していないかどうか、などをよく考える必要がある。
予防や治療といった行為が、当事者の尊厳や自己決定と抵触する場面はありそうだ。ユーザーがそれを拒否したいと考えるとき、ソーシャルワーカーはどのような立場に立つべきなのか問われる


エンパワメントとソーシャルワーク

 ここから、前回 https://tu-ta.at.webry.info/201901/article_3.html も触れたエンパワメントとソーシャルワークの話に移る。筆者は近年ソーシャルワーク実践領域でも比較的安易に使われている「エンパワメント概念」に疑問を呈する。
日本のソーシャルワーク実践教育が前提としているのは「ユーザーと実践者のミクロなユニットを基本単位」とすることそのようなものとして教えているのでエンパワメントを基本的に「個人の能力強化と覚醒」に焦点を置くものと定義している。そこに焦点を当てるのはおかしい、というのが著者の主張だ。
「エンパワーメントは当該社会内部の社会関係の変容によって達成される」というのが最終目標だという開発領域での使用法が紹介され、エンパワメント概念から社会を抜き去り、個々のものに回収してしまうことが批判される
そして著者は「ソーシャルワーク領域においても、エンパワメント実践において到達すべき目標は同じであると考える」と書き、以下のように続ける。
人々の「人権と尊厳、福祉(well-being)、平等、公正」に資する取り組みが自らの傾注すべき価値であることを、ソーシャルワーク実践者自身が内在的にでも目的感覚として保持しているならば、エンパワメントに名を借りた実践の目的が、単にヴァルネラブルな人々の自己覚醒や効力感の増強に留まることなく、当該社会の社会関係の変容に設定されるはずなのである。29-30p

【「人権と尊厳、福祉(well-being)、平等、公正」に資する取り組みが自らの傾注すべき価値である】とは思う。しかし、ソーシャルワークにおけるエンパワメントの目的が【当該社会の社会関係の変容に設定されるはず】なのかどうか。

 ソーシャルワークが対象にする様々な困難を抱えた人々のエンパワメントを考えた時、まず必要なのは、社会関係の変容ではなく、自らの存在そのものの価値に気づくことではないだろうか? その先で社会関係の変容を求めるかどうかはソーシャルワークの領域ではなく社会運動の領域の話でもある。もちろんそれが大切だと思うし必要だと思って社会運動に参加しているのだが、 ソーシャルワーカーがその人のエンパワメントに寄り添うのはその人が自らの存在そのものの価値に気づくところまでではないか。

 しかし、他方で著者が主張しているように、日本の多くのソーシャルワーカーが社会関係の変容にあまりにも無自覚な現実もあるように思う。

 抑圧的な社会が自己肯定感を損なっている現実がある。そこを抜きに本人の努力だけでエンパワメントは実現しない。エンパワメントのプロセスの中にはその抑圧的な社会の現実に気づくということも、とても大切な要素として含まれているはずだ。

 著者の言いたいことはそのあたりにあるのだと思うし、そこは本当に大事な部分でもり、それが障害の社会モデルにもつながる。

 エンパワメントは手段でもあるが、単なる手段ではなく、そのプロセス自体が生きていく上で大切な要素だと思う。

そして、ソーシャルワークに話を戻すと、それは現状の社会の仕組みを前提にせざるを得ない。しかし、それは変えられるし、変わらなければならないという自覚が同時に求められているはず。


『解放のソーシャルワーク』(第1章までのメモ)というタイトルのブログ https://tu-ta.at.webry.info/201812/article_5.html にもう少し詳しい読書メモがあり、著者の横田さんとのメールのやり取りは『解放のソーシャルワーク』についての質問とそれへの横田さんからの返答というタイトルのブログ https://tu-ta.at.webry.info/201812/article_6.html で書いているので興味のある人は検索して読んで欲しい。

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