『野の医者は笑う』メモ

野の医者は笑う: 心の治療とは何か? 東畑開人著


『居るのはつらいよ』が面白かったので、これも図書館で予約していた

けっこう待たされてきて、いまでも大田区の図書館では 所蔵数 2 冊 貸出数 2 冊 予約数 12 件

人気の本だ。

東畑さんは、近代医学の外側で活動している治療者たちを「野の医者」と名づけ、彼らの治療を見て回る。そこから現代の医療や心理学を問い直す試み

以下、どこからか拾ってきた(か忘れたけど、この)目次と紹介

目次

プロローグ:ミルミルイッテンシューチュー、6番目のオバア

1章 授賞式は肩身が狭い
  ――「野の医者の医療人類学」を説明しておこう

2章 魔女と出会って、デトックス
  ――傷ついた治療者たち

3章 なぜ、沖縄には野の医者が多いのか
  ――ブリコラージュするマブイ

4章 野の医者は語る、語りすぎる
  ――説得する治療者たち

5章 スピダーリ
  ――ちゃあみいさんのミラクルな日常

6章 マスターセラピストを追いかけて
  ――潜在意識と神について

7章 研究ってなんのためにある?
  ――学問という文化

8章 臨床心理士、マインドブロックバスターになる
  ――心の治療は時代の子

9章 野の医者は笑う
  ――心の治療とは何か? 

エピローグ:ミラクルストーリーは終わらない

~~

内容説明

ふとしたきっかけから怪しいヒーラーの世界に触れた若き臨床心理士は、「心の治療とは何か」を問うために、彼らの話を聴き、実際に治療を受けて回る。次から次へと現れる不思議な治療! そしてなんと自身の人生も苦境に陥る……。それでも好奇心は怪しい世界の深奥へと著者を誘っていく。武器はユーモアと医療人類学。冒険の果てに見出された心の治療の本性とはなんだったのか。「心が病むってどういうことか?」「心の治療者とは何者か」そして「心が癒やされるとはどういうことか?」底抜けに楽しく、そしてほろりとくるアカデコミカル・ノンフィクション!


最初のメモ

やはり東畑さんの本は面白い。テーマはでかく、ちょっとアカデミックで、かなり笑える。この本のテーマは「心の治療とは何か?」 こんなにでかいテーマで笑わせる才能はやはりタダモノじゃないと思う。

1章ではこんな著者がトヨタ財団の担当と行ったこんな話が紹介されている。

「・・・。治療ってそもそも宗教的なことではないかというのが私の仮説です。科学に見える今の医学とか臨床心理学も実は一皮剥いたら、宗教と同じようなものではないだろうかって考えられませんか?」26p

この研究への助成を猛プッシュしたトヨタ財団のカガさんとの会話なのだが、そこで彼女はこんな風に明快に整理する。

「野の医者の医療人類学ってそういうことですか。野の医者たちを鏡にすることで、現代の医療や心理学を問い直してみるってことですね」27p

そして、野の医者とのこんな会話

「治療って一体何なのか知りたいのです」という東畑さんに野の医者・心理学者マタヨシ博士は 以下のように答える。

「治療ね、僕は知ってるよ。フッフッフ。」

・・・

「信頼だよ。相手がこっちを信じるか、信頼できるか。どんな治療もそれじゃない?」79p

 実際、医学も臨床心理学も、大量にミラクルストーリーを語り続けてきたではないか。

 ・・・

 私たちは科学を信仰する世の中に生きているから、それらをいかがわしくは感じない。幸いなことに、患者がクライエントの多くが科学的世界観を持って生きているからだ。だけど、表面的な危害を取り去ってしまえば、実は私たちもどの医者も同じメカニズムに則って治療を行っているのではないだろうか。102p

この精神医療などのいかがわしさが、野の医者を見ることで顕在化してくるのだった。

アメリカの精神科医ジェローム・フランクは・・・・ 全ての治療の本質は科学的真実ではなくレトリックにある、とまで書く。 103p

しかし、同時にこんな風にも書くところが面白いところではある。

・・・これは結論にするにはいささか単純すぎるようにも思った。治療は確かにレトリックの営みではあるのだろう。だけど、それは治療がただただ説明モデルを説得して相手に信じ込ませるだけのものということを意味はしない。そこには奥行きがあるはずだ。(104-105p)

129pではユング派の先生と精神分析という学派の先生が同じクライエントに別の診断名をつけ、お互いの主張は平行線で、議論にすらならなかったという話が紹介され、以下のように書く。

 一体、見立てとか診断って何なんだ。この問について、野の医者と会い続ける中で、私なりの答えが見えてきた。
治療者の見立ては、クライエントの生き方に方向性を与える

 これだ。

(中略)

 ・・・クライマン先生の「説明モデル」とは・・・

 つまり、治療者は、診断名を告げることで、なぜ病になったのかのメカニズムを説明し、そして治療の形を提示し、そのためにどうすればいいのかを説得するのだ。

  クライエントはそれを自由自在にプリコラージュして自分なりの治療を組み立てていく。

 だとすると、見立てとか診断は 、ひとつの物語を提示することに他ならない。130-131p


これはアカデミックとコミカルを掛け合わせたアカデコミカル・ノンフィクション(139p)とのこと。


166pでは、兵頭晶子さんの本から「潜在意識」の歴史についても紹介されている。

 自分のことを科学的だと自認している心理療法家に対して、実はそれは宗教的癒しと同じ構造なんですよと伝えたり、必死に心理検査を行っている人に対して、見立てや診断って科学的真実じゃなくて、 物語なんですよ、と言ったりして、 一体何になるのだろう。

(中略) 

 たとえ心の治療の本性が宗教と同じものだったとしても(この点については、私はもはや隠し確信していた)、自分のことを科学だと信じ込んでいた方が臨床心理学は幸せなのかもしれないのだ。 183P

196p~はトヨタ財団のワークショップで東畑さんが発表した話が書かれている。

 そして、私は野の医者の話から、臨床心理学の現状に話題を移した。ここからが発表の肝だ。
 現在、臨床心理学は、複数の学派の雑多な集合体だ。それらはそれぞれに心を全く違った風に捉えている。
 異なる学派はお互いに自分の治療が優れていると考えている。だけど、それは 「キリストと大国主命の何が治療者として優れているのか」という問いと同じくらい、難しい話だ。比較のしようがない。

(中略)

「結局、各学派の理論って、神話であり、神学みたいなものだと思います」私は思い切って、言った。「だから、今必要なのは、そういった噛み合わない議論になってしまう臨床心理学とは一体何かについて考えることです。それは心の治療とは何かという大きな話を考え直すことで可能になります 」
 私は強調した。

「そうです。臨床心理学は今、自分が何者なのかを知るべき時が来ているのです」 

・・・、それが野の医者を言及する意味だと私は考えていた。私たちは野の医者を笑うけど、同じように臨床心理学を笑って、当たり前だとされていることを問い直すのだ。197p

そして、それは同時に、臨床心理学だけではなく、精神医療そのものも見直す作業につながるのではないか。

さらに、トヨタ財団の研究助成のプロジェクトの「イインチョー」氏のコメントが紹介される。有名な学者らしい。イインチョーはこの東畑さんの研究の社会的な価値について

「相対化です!」と叫んだらしい。

そして、こんな風に続けた。

「前半見ていて、こんな研究にお金をつけてよかったのかと後悔していました」
「だけど、後半であなたがしたいことがわかりました。あなたの研究は、権威や制度になっているものを相対化しようとしているんですね。そうやって当たり前の価値を揺るがすようとしているわけです。それは確かに新しい価値を生もうとする学問的行為です」

東畑さんはそれを受けて、この「相対化」が野の医者の文化と臨床心理学の大きな違いだと書く。学問は本質的に常識を疑い、自分自身を疑うものだが、野の医者は、それを信じる者が救われる。そこに違いがある。

243p~は時代と心の治療の話がでてくる。1995年を気に日本社会が変化し、こころの治療も変わったという話だが、これはちょっと怪しいと思う。心の治療のことはよく知らないが、そこから経済学の時代になったという評価はないだろう。専門外の話はあまりしないほうがいい。

268p~の部分でも再び、心の治療について、野の医者と臨床心理学の異同が書かれている。
心の治療はどちらも「クライアントをそれぞれの治療法の価値観へと巻き込んでいく営みでである」
両者の違いは目指すべき治療、呈示(ここではこの漢字が使われるがなぜかは不明)する生き方は違うとされる。こんな風に書かれている。

・・野の医者が思考によって現実が変わることを目指しているのに対して、臨床心理学は現実を現実として受け止め、生きていくことを目指す。軽い躁状態が健康なのか、落ち込まることが健康なのか。てのあるべき生き方の点で私たちは意見を違え違う道を歩んでいるのである。
 とは言え、と私は思う。何が「現実」なのかということも、文化によって変わってしまうのだから、話は本当にややこしい。269-270p

臨床心理学は、魔法も、前世も、天使もいない世界で、ミラクルもない。そんなやり方で人の心と向き合う世界。逆に言えば 、野の医者はそれらが存在する世界。

しかし、臨床心理学のことを素朴に科学的な心の治療だという風には考えないと東畑さんは言う。それは「無色透明な科学」ではなく、ある生き方を提唱する文化だと。そもそも「無色透明な科学」なんてないだろうとは思うものの、心の治療が色濃く、ある生き方を提唱しているというのはそうかもしれない。

282pでは、沖縄の野の医者の多さと貧しさを結びつける。

貧しさが心の不調を予備、癒しを求めて野の医者にたどり着き、野の医者という生き方に憧れるというのだ。

さらに、野の医者は資本主義の鬼子だというのだが、ここはどうだろう?
正確に書けば、近代の資本主義とともに近代医療や心理学が発達し、その近代や資本主義が陰りをみせるなかで、それが出てきたとも言えるのではないか。これに関しても、専門外の話はあまり書かないほうがいいかなぁと思う部分だった。

とはいうものの、全体としてはとても面白く、読ませるし、考えさせる本だ。

臨床心理学だけではなく、精神医学が問い直される時期に来ていて、そこをオープンダイアローグなどが可視化しつつある情況があると言えるのではないか?

"『野の医者は笑う』メモ" へのコメントを書く

お名前
メールアドレス
ホームページアドレス
コメント