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zoom RSS 「サブシステンスと障害学」について

<<   作成日時 : 2005/06/24 21:53   >>

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サブシステンスと障害」について
 さまざまな障害をかかえる人のサブシステンスを考えて、どのようにサブシステンスが見えてくるのか。

 例えば、人工呼吸器。これがなければ生存を継続できない障害がいくつかある。進行したALSや筋ジストロフィー。人工呼吸器はそのような人びとにとって、まさにサブシステンスを維持するための道具である。ここから、何が読み取れるか。
 ひとつにはサブシステンスを維持する条件は時代制約的であることもある、ということだ。人工呼吸器がない時代には生存を維持できなかった人の生存がそれによって可能になる。それは現代が作り出した生存、つまりサブシステンスを維持する条件だということもできるだろう。
 しかし、ことはそんなに単純ではない。それでは臓器移植はどうか、動いている心臓を取り出される側の立場はどうなのか。脳波の一定時間停止など、一定の条件がクリアすれば移植は可能とされるが、その後に意識が戻る可能性は本当にゼロだと誰が断言できるのか。だから、重度で現在の医療では移植しなければ生存しつづける事が出来ないと言われる心臓病患者にとっての移植医療は生存を支えるものかもしれないが、類としての人のサブシステンスを維持する条件であるとは単純にはいいにくい。
 また、人工呼吸器が必要になったALS患者に対して「人工呼吸器をつけますか」という問いが発せられることの意味の深さを、その問いと同じタイトルの本を読んで、ぼくは始めて知った。それは裏をかえせば、「つけずに死にますか」という問いなのだ。つまり、日本の医療・福祉は人工呼吸器を気軽につけられるようにはできていない。周到な準備と介護体制があって初めて人工呼吸器の装着が可能になるというような情況が存在する。つまり、人工呼吸器を装着する条件が整えられない場合は「つかますか」といういかにも中立的なインフォームドコンセンサスのように見える問いも、言外に「あなたが生きつづけることは困難だ」という意味を持つことにもなる。そこではサブシステンスを維持する条件は消去される。

 また、障害者施策を考える時も、それが「サブシステンス志向」なのかどうかという区分ができるかもしれない。人間としての社会生活を維持するための施策がサブシステンス志向であるとすれば、障害者施策はのほとんどはサブシステンス志向の施策といえるのではないか。
 そうではない施策とは、大規模ダムの建設とか、原子力政策とか、人間の快楽を大きくするための施策、ということができるように思える。より早く、より便利にというようなものだ。つまり、優先すべきはそういう施策ではないというのが、サブシステンス志向ということもできるだろう。
 このように考えうるという意味で、障害を切り口に社会を分析する事を可能にする障害学の可能性を感じるわけだ。果たして、この理解が正しいかどうかは自信がないが、そういう考え方があっていいと思う。


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