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zoom RSS 「「サブシステンスと障害学」について」について

<<   作成日時 : 2005/07/02 07:54   >>

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「サブシステンスと障害学」について」 について.。
この自動発生する「・・について」について っていうタイトル、いかがなものかかと思ったが、実際、この「・・・について」についての文章なのでそのままにすることにした。ブログにありがちなのだけれども、かなり言葉の使い方が乱暴だったと反省しつつ、自分のかいたものを、もういちどふりかえってみる。

 やはり、サブシステンスの定義に帰っていかざるを得ない。6月11日のブログ http://tu-ta.at.webry.info/200506/article_4.html にも少し紹介したが、サブシステンスという言葉になじみのない人のために、ぼくが見た中ではいちばん簡潔な「アンペイド・ワークとは何か」(藤原書店)の中村陽一さんの用語解説を紹介しよう。
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サブシステンス(subsistence)
一般的には、生命の維持や生存のための活動をさし、たとえば「最低生活費保証原則」(subsistence principle) といった用例が見られるが、本書ではK・ポランニー、I・イリイチ、M・ミースらの用法に学んでいる。すなわち、たんなる生命維持や生存にとどまらず、人々の営みの根底にあってその社会生活の基礎をなす物質的・精神的な基盤のことである。イリイチ『シャドウ・ワーク』邦訳では「人間生活の自立・自存」と訳されている。
===
 このような、近代を超える社会変革の文脈でのサブシステンスの定義としては、横山さんの定義の「諸条件の総体」や、この中村さんの「基盤」という定義がやはり理解されやすいだろう。武者小路さんの「自己を再生産すること」という定義は、武者小路さんの思考回路になれていない人にはやはり混乱を与える。
 その「諸条件の総体」、とか「基盤」という概念を思い起こして、ここで書いたことを振り返ると、やはり、あまりにも不正確だったと反省せざるをえない。

 人工呼吸器は「諸条件」や「基盤」を構成するものの中に含まれるものということになる。車いすや義足などもそうだろうし、生存のために必要な介助や、社会的生活を営むための移動介助・ガイドヘルプ、もそうだ。さらには平穏な暮らしを希望する精神障害の人の服薬もそこに含まれるだろう。
 しかし、これらの定義が無限に広がる解釈の余地のあるものだということが、このように具体的にものをあてはめる中で、見えてくる。サブシステンスを構成するものと構成しないものをわかつ条件が明確にそこで示されているとは、必ずしもいえない。 心臓移植を前回は例に出したが、もう少しわかりやすく、戦争や巨大開発について考えてみる。それらを必要と考える人々は武器や巨大なダムさえも「人々の営みの根底にあってその社会生活の基礎をなす」ものと強弁するのではないか。
 「わかつものは何か」という問いに対してもまた、障害学がぼくに教えてくれた答えがある。「わかつもの」は政治だ。たとえば、障害者かどうか、ここではインペアメントでもディスアビリティでもいいのだが、その属性で語られる「障害者」とそうではないとされる「健常者」あるいは「非障害者」、その境目は常に移り変わる。それはグラデーションでつながっている。どこに切れ目を入れるのかを決定するのは広義の政治だ。狭義の政治で考えればわかりやすい。「わかつもの」は障害者手帳だ。手帳を有する資格のあるものが障害者であり、手帳を持つことができないものが、「健常者」ということになる。
 広義の政治という言葉がわかりにくければ、情況に規定された社会関係という言葉に置き換えられるかもしれない。文字に対する依存度が低い社会では文字が読めない、読むのが苦手という識字障害の人は障害者としてカウントされない。また、北欧の車いすでのアクセスが高度に保障された都市では上肢の状態のいい車椅子使用者は障害者と呼ばれなくなりつつあるという話も聞いたことがある。(とても限定されたところでの話だとは思うが)
 そこから、サブシステンスを構成するものとそうでないものをどうわけるか、という話もこのグラデーションという便利な道具で考えることができるかもしれない。
 どこに切れ目をいれるか、見る人によって極端に切れ目の場所はかわってくるが、しかし、視座をどちらに置くか、パースペクティブの方向性をどう考えるかは明白だ。
 途中だけど、今はたくさん書いたので、このあたりで、いったん休憩。


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「「「サブシステンスと障害学」について」について」について うさぎさん、コメントありがとう。 ==以下、引用== しかし、「生きる」ことを成り立たせる物質やサービスがどのように人に届くのかというの点を問わずに、それを「基盤」と見なすのは問題ではないでしょうか?生存を可能にする物資が供給されていさえすれば、それでいいのでしょうか? ==引用ここまで== 供給されていさえすればいいというわけではない、というのは心臓移植の例で少し言及したつもりでしたが、ここでは明示していませんでした。... ...続きを見る
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2005/07/04 00:00

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内 容 ニックネーム/日時
人工呼吸器、車いす、義足、生存のために必要な介助、社会的生活を営むための移動介助・ガイドヘルプ、薬・・・・。
これらは時代が可能にした福音でしょう。
しかし、「生きる」ことを成り立たせる物質やサービスがどのように人に届くのかというの点を問わずに、それを「基盤」と見なすのは問題ではないでしょうか?生存を可能にする物資が供給されていさえすれば、それでいいのでしょうか?
その点で、最後にご指摘のとおり「道具」がサブシステンスか否かは人びとの「関係性」に多いに規定される事柄だと感じます。
うさぎ
2005/07/02 23:35

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