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zoom RSS 障害者の就労の位相をめぐる考察に関するやりとり続き

<<   作成日時 : 2005/09/23 22:31   >>

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「障害者の就労の位相をめぐる考察への違和感」について」への自分トラックバック
2005/09/20 03:06にここに紹介したレスポンスに対する田島さんからのレスポンスとそれへのぼくのレスポンスを転載します。障害学MLからの転載です。流れが読みにくい面もあるかと思いますが、想像して読んでいただけたら幸いです。障害の否定性をめぐる論議になってきています。


==田島さんからのレスポンス==

私のコメントに対するご返答、ありがとうございました。
で、それに対するレスです。

> ただ、あそこで田島さんが引用していたのは、「障害学の主張」掲載の論文で、少な
> くとも、そこには、そんな風には書いてなかったと思います。

私もだんだんに心配になってしまい(というのも、実は私自身、そのあまりの単純明快さにびっくりした記憶があったんです。だからこの記憶は割と当てになると思っていました)
確認してみましたところ、たとえば、こういうくだりがありました。

「目的そのものはよしとすれば、それを実現するための手段があることはよいことで、そして能力をそのよいことをする力とすれば、能力があることは同語反復的によいことになる。例えば生きていくためになにかをしないとならない。それができることは、生きていくことがよいことなら、そのために必要であるという意味で、よいことである。できないこと=障害があることはよくないことである」pp52

>  できないことはある、そこでの否定性は認める。それを否定はしない。

いやここなんですけどね。
この否定性は、一体誰が付与するものなんでしょう。この否定性を認めるべきではないと思います。ぜひ否定したいところです。

で、著者を越えて私が言うのもはなはだ僭越ですが「ないにこしたことはない、か・1」
で述べられていることは、単純に言ってしまうとこのことだったのではないかと、私は思っております。

以下、それに関連すると思われる抜粋

「迷惑だろうと面倒だろうと、存在を維持するためになすべきことがなされなくてはならない。しかし、自分の働き分は自分だけがとってよいというのがこの社会のきまり、正義とされる。この規則のもとでは『その人の存在は肯定される』は否定され、障害がないこと、なくすことは否応ない要請となる。そして自らが行えることが自らの価値を示すとされる。この時、障害がないこと、なおすことは、その方が快だから、便利だからという以上のものとなってしまう。」p67

「なおすにせよおぎなうにせよたいていはせいぜい『普通』にしかならない。多くは中途で終わる。こうして、『その人の存在は肯定される』を阻害する規範・価値がある中で、『なおすこと』『なくすこと』は、必ずたんに必要を充足すること以上のものとして機能してしまう。しかも失敗してしまう。なおすこと、できるようにすることの不信は1つにはこのことに関わる」p67ー68

「できることが必要であるという意味でよいことであること、それ自体を否定する必要はない。問題はそれがどこに位置づくかである。しかし基本的にはそれ以上でもそれ以下でもない。周囲が負担を負えば、本人にとって障害があることが負であるという主張は少なくとも常に成立しない。だからそう簡単に障害がない方が(本人にとって)よいと言ってほしくない。言うべきでない。」P68

と、改めて読み返してみても障害=できないこと、とむしろ言い切った論考だと(というか、そこから論を立てていると)私には読めます。が。いかがでしょうか。

==田島さんからのレスポンスここまで==

==それへのぼくのレスポンス==
ぼくも立岩さんの本をまたいいかげんに読み返してみました。

まず、最初に書かれていたことに留意したいと思いました。

「こんな問いを立てられること自体のうっとうしさが時々忘れられる」

それを忘れないようにしたいと思いつつ、でもこだわっている部分でもあるので、書き進めたいと思います。

立岩さんがどう考えているかは問題の本質ではないということを前提に、最初にちょっとだけ、そのことに触れておくと、ぼくは立岩さんをそういう風に読まなかった部分があるのですが、素直に読むと田島さん流の解釈が普通なのかもしれません。

それでもあえて書くのですが、
ぼくが田島さんの書き方に違和感をもったのは『「障害」とは「できない」ことであると,まずは,端的に言うことができる』という部分ですが、これと『できないこと=障害があること』という立岩さんの書き方の異同が気になります。うまく説明できないのですが・・・。

繰り返しになりますが、田島さんの解釈がたぶん正しいかもしれないと思い始めていますが、それでも違う解釈を持っているということを書いておきます。これで、立岩解釈についての言及は終わりです。

で、ぼくの違和感について再び考えてみます。上記の田島さんの書き方も立岩さんの書き方も両者とも障害者というときの「障害」が想定されていると思うのですが、ここだけ取り出すと、ここでは「できないこと」という本質的な何かがあるように読めます。構築主義とかいうのはよくわからずに書くのですが、「障害」というのは「できないとされていること」であっても「できないこと」ではないように思います。そういうことは立岩さんもどこかで書いていたかもしれません

ぼくが前回書きながら思いついたことは否定性の重層性というか複数性についてです。ぼくはどんなに差し引いていっても不便さが残る「障害」はあると思っています。この不便さも否定性に含むと考えています。それを否定的な側面という言葉に代えることもできるかもしれません。

もちろん、立岩さんが書いているように、かわりにやってもらえること、また、社会がそれを保障すべきことはたくさんあって、まず、それが保障されなければならないと思うし、そういうことで不便ではなくなることが多いのは事実だと思います。また、初めから不便でさえないという主張もあるし、そういう障害もあると思います。その差し引けること こ・そ・ がもっと強調されなければならないようにも思います。

しかし、残ることもある。それが不便な場合もある。それは否定的な側面であり、否定性に含まれることだと考えています。しかし、それはそれだけの否定性でしかない。そこだけを見られ強調されることが問題だ、というのが、ぼくの今の問題の立て方です。イメージで言えば、三次元的なグラデーションでつながる空間の中にいろんな否定性があって、それは「非障害者」と呼ばれる人の中にもあって、その否定性をどのあたりに、どれくらいの大きさで置くかというのは、ひとりひとりいろいろ違うのだけれども、人としての存在の全体性の中で、そこだけで見られることを否定するという戦略もありえるのかなぁと思ったのです。つまり、否定性を全面的に否定するのではなく、「障害」に否定性が含まれることがあったとしても、それはたくさんある否定性の中の一つでしかないという風に問題を立てることができるのではないかと思ったのです。

だから、リハビリテーションを例にとると、
それを否定しないけれども、人としてのすべてにかかわるようなことではないということはもっと強調されるべきことだと思います。その全体性の中で、立岩さんの表現を借りると、「その方が快だから、便利だから」という、人の全体性の中では一部分でしかないこと、そして、その部分を越えて何かをやっているように勘違いしないことを厳格に専門家の人に自覚してもらえるようにすることこそが、大切なのかな、と思ったわけです。

P.S.
田島さんは知ってるかもしれませんが、
立岩さんのこの原稿の草稿をもとにした関東障害学研究会に参加して、この草稿への感想文を書きました。立岩さんのサイトに置いてもらっています。さっき、読み返してみたのですが、今書いていることと、変わっているような変わっていないような・・・、そんな文章です。

(障害は)「ないにこしたことはない、か」考
http://www.arsvi.com/2000/010300tm.htm

==ぼくのレスポンスの転載ここまで==

ん〜、自分が読み返しても読みにくい。


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