今日、考えたこと

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zoom RSS Canaさんからの問題提起

<<   作成日時 : 2006/05/13 05:47   >>

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「ボクサー亀田くんに関する心に残った日記」という5月11日付のぼくのブログ記事にCanaさんから、コメントが寄せられました。
ここに再掲します。
===
キチガイ映画とか、気の狂った映画とか
いいたいことはわかりますが
〈キチガイ〉とか〈気の狂った〉とかいう
形容詞が、ひとからつけられそうな
統合失調症者としては
とても気になります。
この場合の
キチガイとか気の狂ったという形容詞が
人間を人間としてみていない
ひとびとの残酷さを形容するために
つかわれているがゆえに
よけいに気になります。

わたしは
どう考えたらよいでしょうか。
===

このCanaさんの指摘を読んで、こういう言葉を使われると、「痛い」と感じる人がいるということに気づかされます。引用した日記も、他者の「痛み」を「痛み」として感じる能力が薄れている社会を懸念して、書かれたものです。ぼくもそこに共感したので転載したにもかかわらず、他者の痛みに鈍感で、指摘されるまで気がつかない自分がいます。

今回、Canaさんが問題を提起してくれた、こういう言葉づかい、オフィシャルには使われないけれども、ぼくの身の回りにはあふれています。そして、流されて、どんどん鈍感度を増している自分がいます。公式には使われなくなっているこういう表現、使うことを禁止するだけでは、オフィシャルでない場面で出回ることの解決にはつながらないようにも思います。

しかし、ここでは一般的なことを指摘されているわけではありません。まず、ぼくは自分が表現に使用したという、自分の問題として「痛い」と指摘されたことを考えてみます。

言われないと気がつかないという問題があます。じゃあ、「痛い」と感じ、差別されている側の人は、いつも言い続けなければならないのか、痛いにもかかわらず、痛いと感じた自分を表現し続けなければならないとしたら、それはセカンドレイプともいえるようなことです。

自分ではなかなか気がつくことが出来ない、その感性をどう変えていくことができるのか、ということが問われています。書き言葉や話し言葉に表現される自分の感性をどう磨くことができるのか、ということのようにも思えます。

しかし、ただ磨けばいいということでもないようにも思います。ダルな部分もないと、たぶん、ぼくは生きていけません。磨く必要がある部分とダルにしておく必要がある部分、スイッチを切り替える地点があるように感じるのですが、なかなか言葉で表現することはできません。Canaさんの問題提起について、どう受けとめることができるのか、もう少し考え続けてみます。

Canaさん、問題提起ありがとう。
そして、ごめんなさい。

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