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zoom RSS 「大切にされるということ」 Canaさんからのコメントをめぐって

<<   作成日時 : 2006/07/20 03:36   >>

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「能力に応じて働くということ 」
http://tu-ta.at.webry.info/200607/article_18.html
にCanaさんからコメントをもらったので、ここに再掲
最後にこのコメントへのレスポンス

===

tu-taさん、お久しぶりです。
ここにコメントを採用していただいた
かつての M です。

このやりとりのとき
「あたし、はたらいていますよ」と
コメントを返したのを
覚えていらっしゃいますか?

暮らしをたのしみ
人生をたのしむということが

なぜ生きなくてはならないのか、わからず
つらくてつらくて
混乱ばかりしていたものとしては
はたらくのと同じくらい意味のもつものだ

あのときは
そういいたかったのではないか と
思い返しております。

あれから一年
少しずつ、ひとびとのあいだに
でてゆけるようになって
思うことは

わたしが暮らしをたのしみ
人生をたのしむこと

それを分かちあうと
たのしむひとがいる
よろこぶひとがいる
わたしに会いたいと思うひとがいる

そして
わたしが暮らしをたのしみ
人生をたのしむことで
生きがいを得ているひとがいる

それが
いまのわたしの存在意義なのだな と
いうことです。

わたしはいま
自閉症とよばれるひと
知的障害者とされているひとと
交流する場をもっておりますが

NO! でしかコミュニケイションができなかったひとが
わたしと話すことで笑顔がでて
「ありがとう」と
みなに伝えられるようになったこと

こだわりのきついとされるひとが
わたしのつくる料理を、たのしみにして
自分から取り分けてくださること

わたしのうたを、たのしみにしてくださること

三歳か四歳の男の子が
わたしとだと、手織りの体験教室を
一時間も集中してたのしむこと

そういう体験をつうじて
はたらくということの概念について
とらえ直しが必要だと感じております。

たとえば
わたしの料理は、オカネにならない
わたしのうたは、オカネにならない

重度の知的障害のひとと
コミュニケイションができたとしても
それは、オカネにならないし
評価されたとしても
わたしは、たぶん
オカネに換算しないでしょう。

オカネにしないということからすれば
わたしは、はたらいているとはいえないかもしれない

けれど
生きるよろこびを分かちあう体験をつうじて
わたしは、ひとびとに
誰にもできなかっただろう
よろこびを、伝えることができている

それは、やはり
意義ある活動ではないか と。

ここで
その結論をださないでおきますが

もうひとつ
はたらくということを
別な角度から、とらえなおしてみますね。

福祉にたずさわるひと
医療にたずさわるひとに
なぜ、職があり
はたらくことができるのか

福祉の対象者
医療の対象者がいるからです。

障害者が、ひとの手を借りて生きざるを得ない存在だから
障害者福祉で食ってゆけるひとがいる

病者がいて、患者がいるから
医療従事者が、職を得ている

そういう意味で

なにもできないひとがいる という
存在意義を
見つめなおす必要があるだろう

人間存在は
本質的に共同存在である というのは

この点からも
くみ取れるのではないか。

福祉従事者に、医療従事者に
はたらく場を提供しているということで

障害者は、病者は、患者は
りっぱにはたらいているではないか

人間の存在意義は
多様で、ゆたかです。

従来の資本主義で
偏った能力しか評価しない
能力主義のなかで
はたらくということを考えると

大切なものを
見失ってしまうのではないでしょうか。

Cana
2006/07/18 09:04

==転載ここまで==

なんだか、沁みてくるレスポンスだったので再掲したくなりました。
この文章の余韻を楽しみたい人は、ここから先のぼくのレスポンスは読まないほうがいいと思います。







さて、Canaさん、お久しぶりです。
「Canaさんからの問題提起」
http://tu-ta.at.webry.info/200605/article_10.html
では、お世話になりました。あれから、もう2ヶ月というべきか、まだ2ヶ月というべきか、長く感じたり、短く感じたりする時間ですが、歳を取ると、やっぱり時間がたつのは早いように思います。

さて、
ぼくはあいかわらず、ここに書きたいことを書き、掲載したいことを掲載してうさを晴らしてる感じはありますが、こんな風に生きてます。

で、いただいたコメントにお返事です。

確かに、あのとき
>「あたし、はたらいていますよ」と
>コメントを
いただいたのを覚えています。ただ、ぼくはたぶん、そこでCanaさんが抱えていることに思いを寄せることなどなく、ただ「あ、そうなんだ」と思ったのでしょう。そういう思いが詰まってるお返事だということに全然気がつきませんでした。

 先日、職場の同僚を定時制高校の「人権講座」にひっぱりだした関係で、ぼくも少しだけ話をさせてもらいました。そこで、「人権」って何だろうということを少しだけ考えて、話させてもらったのですが、要は「自分を含めて、人を大切だと思うこと」なんじゃないかと思うのです。かけがいのない自分は、ちょっとまずいなぁという部分もあるけど、それはそれで、やはり代わりがいるわけではなく、大切な存在なのです。ぼくはそこが出発点でいいんじゃないかと思います。そして、そこから自分だけじゃなくて、誰もがそういう風に大切な存在なのだということに、その話をつなげていくことが「人権」なんじゃないか思う、と柄にもなく、そんな話をさせてもらいました。障害があってもなくても、どこで生まれても、大切にされなければならないということ、そこが理解してもらえたらうれしいと思うんだけど、なかなか、ちょっと話しただけじゃ伝わらないですね。これから生徒の感想を読ませてもらうところです。

 そんな風に考えているので、Canaさんのコメントはけっこう沁みたのだと思います。

先日、「ラルシュについて」というのをこのブログで書きました。
http://tu-ta.at.webry.info/200606/article_28.html

 もう10年も前ですが、某P国のラルシュでちょっとだけ(2〜3ヶ月)いっしょに生活させてもらったのはRとJという青年とLという女の子。
(ラルシュではコミュニティの中心に障害のある人がいるべきだという風に考えられていて、彼らをコアメンバー、そしていっしょに生活している人をアシスタントと呼びます。(この固定化が誤解を生むことも少なくないですけど)。

この3人のコアメンバーと数人のアシスタントといっしょに暮らしました。
Rはいわゆる重度の自閉症で、Jは重度のCPで咀嚼できません。そして、ふたりとも、言語では発話できません。(ただ、この国の言葉でコミュニケーションがちゃんとできないという点ではぼくも同じです。)彼らの特徴を数語で表現しようとすると「〜〜できない」という風にしか表現できないのが残念ですが、この数人で暮らすという親密な空間(これも新しい親密圏と呼べるのではないかと思うのですが)、そこではもちろん、人が暮らしているのですから、コンフリクトはありますが、ぼくはとても気持ちのいい時間を過ごさせてもらったように記憶しています。
 3人のコアメンバーといっしょに暮らすことで与えられたものを、なかなか言語化できないのですが、たくさんの贈り物をもらいました。
それが、先日、引用させてもらったジャン・バニエさんの
"Communities where people whatever their race, culture, abilities or disabilities, can find a place and reveal their gifts to the world" と、つながる部分です。
 この3人、確かに資本主義の中では役に立たないとされます。彼らはP国の厳しい現状の中で、遺棄され養育を放棄されてさえいました。でも、彼らが見せてくれるGiftがあります。あんまり言うと、パターナリズムにハマってしまいそうですが、ラルシュという場所は、そんな方法でひとりひとりの大切さに気づかせてくれるところでした。ぼくはインドの4ヶ所のラルシュでも、気持ちのいい時間を過ごさせてもらいました。ほとんど、責任のないゲストだから、ただおいしいところをつまみ食いしたのかもしれませんが、親密な空間で大切にされることは、とても重要だと感じさせるものでした。
 もちろん、通常の家で表面的にも「大切にしてる」なんて表現しあっているのは気色悪いし、その親密な空間が「通常の家族」でなければならないというようなイデオロギーは唾棄すべきものですが、そういうことを意識した上で、それでも親密な空間は大切だと言えるのではないかと思います。

 そのP国のラルシュでは日中は作業所のような場所も併設していて、外からの障害者も受け入れるのですが、彼らは日中、そこで過ごします。それは文字通り彼ら二人にとってはデイケアなのです。そのデイケアで過ごすことを「働く」という風に考えることができるか、働く義務主義者のぼくにも思い悩む部分はありますが、とりあえずそれも働くってことにして、誰もが就労の義務を果たしていると問題を立ててしまえないか、と思ったりするわけです。

 そして、Canaさんが書いているように、彼らが就労の機会を作っていることは確かです。そういう「働く」という考え方があってもいいかもしれません。

 なんだか、だらだらとした脈絡のないレスポンスになってしまいましたが、Canaさんのコメントに触発されて、感じたことを書かせてもらいました。コメント、ほんとうにありがとう。







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