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zoom RSS 『障害の政治』あとがき関連 part3

<<   作成日時 : 2006/12/01 06:25   >>

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先日来書いている 『障害の政治』あとがき関連

『障害の政治』 訳者あとがきについてのメモ
http://tu-ta.at.webry.info/200611/article_10.html

障害学は近代を超えるか?
http://tu-ta.at.webry.info/200611/article_12.html

両方を障害学のMLに投稿して、いくつかのレスポンスをもらっているので、転載。

まず、去年の障害学会の報告について
==
来月発行の予定です。
お待たせしており申し訳ありません。

ちなみに、学会シンポのテーマは、
「障害者運動と障害学の接点──障害者自立支援法をめぐって」
司会は横須賀さんでした。発題は、姜博久さん、岡部さん、立岩さん。

==
と自称****編集長の倉本さんから教えてもらいました。



また、立岩さんからは
===
> 記録はこれから出るんでしたっけ?

はい。出たら買ってください。私のしゃべった分は以下。
http://www.arsvi.com/0w/ts02/2006090.htm

あと『障害の政治』について、メモのようなものでしかないのですか
http://www.arsvi.com/0w/ts02/2006011.htm

立岩 真也

===
とのことです。
両方の文章、面白かったので、「いつかコメントできれば」とは思うものの、これもできなそう。


ご本人の横須賀さんからもコメントをいただいています。
===
横須賀です。卒論、営業、雑務でバタバタしていてレスが遅くなってしまいました。申し訳ありません。

tu-taさん、ご丁寧に私の発言について取り上げていただき有り難うございます。インパクトがあったというコメントに感激しています。なかなか、そんなことを言われた経験がないもので(苦笑)

当事者への広がりについては、やや不安を持っていたので、学会シンポのテーマとして提案し、何とかやり終えることができました。あれから少し時が経ち、tu-taさんがご指摘の通り、広がりを見せつつあると思います。DPIの尾上さんが束ねている研究会があるというのは耳にしていますが、是非、さらなる広がりを期待している次第です。川口さんのお仕事について書いておられますが、私は面識もなく、どのようなことをされているかも全然存じ上げていないのですが、広まりを見せているのなら嬉しい限りです。私個人は非力なもので、なかなかうまくできていないのですが・・。

障害(者)の問題を通して、健常者(といわれる人々)も自分を相対化し、社会を相対化していって欲しいと考えています。ですから、あとがきにもあのように書いた次第です。上野千鶴子がそんなことを言ったのは知りませんでしたが、確かに近代的価値観を乗り越えていく気構えで障害学に取り組んでいきたいですね。tu-taさんのお言葉を糧に、微力ながら前に進んでいきたいと思います。


===



それから、MLに投稿するのはちょっとという方からも感想のメールを直接いただいています。
一部、引用部分を省略しています。

====
tu-taさん

はじめまして、**と申します。
jsdsmlへの投稿を読ませていただき、メールさせていただきました。
mlへ投稿する勇気はないものの、tu-taさんからの「このMLを読んでいるみなさんはどうお感じでしょうか?」というなげかけがあり、私自身が思うことを言語化しておきたい!という衝動に駆られました。私も『障害の政治』のあとがきから読み始め、本文はまだちょっとしか読めていないのですが。あとがきを興味深く読んでいた記憶がありまして。
tu-taさんがmlに今回のような投稿をしてくださったおかげで再び読み返すきっかけにもなりました。ありがとうございます。

私の立場を簡単に申し上げておきますと、いわゆる「健常者」で、障害学で批判されがちな「専門家(のタマゴ?)」です。
私は障害学で論じられていることを踏まえながら、健常者である自己と障害者との連続性、関係性を考えてきました。障害学を学ぶことで、なんども障害者と「出会いなお」し、あらゆる文脈から彼らをみられる「たくさんの視点」や、また、障害者問題を考察していける「知的な体力」を獲得できたと思っています。(障害学と出会う前の自分と比べて、の話ですが)

私にとって障害学はその「たくさんの視点」や「知的な体力」を与えてくれるものとしてしか認識していませんでした。当たり前の話ですが、横須賀さんがおっしゃるように、障害学は障害当事者(運動)の中で広がり、石川さんがおっしゃるように「障害学は障害者がよりよく生きる」ためのものということを認識していなければ、と。あとがきを読む中で再認識させられました。

ただ、私が障害学を好んで学ぶようになったのは、倉本さんが「障害学カフェ」で

障害学を担う者、そしてその条件最後に、障害学の主体、つまり、担い手は誰かという点について述べたいと思います。ある時期まで私は、障害学はあくまで障害者自身によって担われるべきだと考えていました。けれども、現在はそのようには考えていません。障害当事者の参加が不可欠であることはまちがいないにせよ、それだけでは不十分だと考えるようになりました。障害学というのは、障害・健常にかかわる問題を、単なる知的好奇心の対象としてではなく、自分自身の問題として受けとめ考えることのできる人すべてに開かれた学問であるべきです。障害者であることで不利益を被ったり、しんどい思いをしている者だけでなく、健常者という社会的立場にむりやり押し込まれることに息苦しさをおぼえる人も障害学の担い手たりえます

とおっしゃっていたからです。ですから、障害学は障害者がよりよく生きるためのものであることは当然ですが、(わたしのような?)健常者もよりよく生きるために必要であります。

(再びあとがき引用)
==
社会を読み換え、新たな姿を創造していくためには、このように障害者を対象化せざるを得ないところがるのは事実である。しかし、そのままでよしとしてしまうことは健常者を不在のものとしてしまわないだろうか。どうして障害者だけが語ることが求められるのだろうか。健常者の抑圧性や健常者であることの不自由といったことが語られるべきではないだろうか。やがて、それが「健常学」として結実していく必要があると思われる。しかし、それだけで終わらせてはならない。ちょうど、女性学と男性学がジェンダー学へと統合されていったように、将来的には健常学と障害学も… 244p
==

「健常学」ということばをここで初めて目にしました。さきほどgoogleで検索してみたんですが、どうやら松波さんが修士論文で言われていたようですね。はずかしながら不勉強で何もものごとをわかっていません。「女性学と男性学がジェンダー学へと統合されていった」ことも知りませんでした。ジェンダー学で語られていることを障害学に敷衍して考えることは有益であることもあるでしょうが、何も健常学と障害学を統合しなくてもいいんじゃないか、と思います。私のイメージでは、「健常学」(中身をよくわかっていませんが)は「障害学」と対になるものではなく、障害学の研究がさらに発展していけばおのずと健常者も相対化されていくのではないか、という感じなので・・・。

うまくいえませんが、女性学と男性学が統合されてジェンダー学になり、それを見習って健常学と障害学が統合されて「なんとか学」になっていくという方向性よりは、障害学にはすでに健常者も考察の対象とする性質があり、現時点ではそれがあまり目立っていないだけであると考える方が自然ではないのか、と。それは、私自身が障害学を通じて健常者である自己の立場を相対化してきたから、そういうこともいえるのではないのか、と思ったのですが・・・。

文章むちゃくちゃですみません(^^;
まとはずれな発言かもしれませんが、一メーリングリスト参加者の意見(反応)として受け取っていただければ幸いです。

また、『障害の政治』本文を読まれて感じることがおありでしたらMLになげかけていただきたいな、と思います。


===

このメールへのぼくからのレスポンス

===
(前の方、略)

> ただ、私が障害学を好んで学ぶようになったのは、倉本さんが「障害学カフェ」で
(中略)
とおっしゃっていたからです。

ぼくもこの倉本さんの文章には注目していました。以下で引用しています。
「障害学と平和学」
http://tu-ta.at.webry.info/200510/article_6.html

また、倉本さんには、こんな文章もあります。
これも以下に引用してあります。
http://tu-ta.at.webry.info/200607/article_29.html
===
倉本さんの
「障害学を語る」あとがき
http://www.arsvi.com/0b/001127ds.htm
==



「健常者という社会的立場にむりやり押し込まれることに息苦しさをおぼえる」とはどういうことなのか、真剣に考える必要があるのだと思います。マイノリティの解放のための「学」としての障害学をマジョリティがどう受容するか、マジョリティの「息苦しさ」はどこから来ているのか、その「息苦しさ」はパターナリズムとは無縁なのか、いろいろ考えるべき観点はありそうです。

> 「健常学」ということばをここで初めて目にしました。
> 「女性学と男性学がジェンダー学へと統合されていった」ことも知りませんでした。

 「健常学」といいう言葉は、どこでもほとんど使われていないし、誰もまだ実体を持って準備していないのではないでしょうか?少なくともぼくは知りません。「健常学」は可能なのか、だとすればどのように、というのは興味深いですね。
 また、「女性学と男性学がジェンダー学へと統合されていった」わけではないと思います。現状で「統合されている」なんて言ったら怒る人も少なくないでしょう。そこの評価はもう少し慎重に考えた方がいいと思っています。


> 何も健常学と障害学を統合しなくてもいいんじゃないか、と思います。

**さんが感じている違和感はぼくも感じます。それは障害の有無と男女の別というそれぞれの関係の異同を考えるということともつながるでしょう。確かに似ている問題は少なくありませんが、明確に違う問題もありますね。とりあえずは障害学が照射する「健常者」中心社会の問題も障害学の中で考えるという**さんの意見に同意します。


ぼくも**さんからメールをもらって、いろいろ確認することができました。ありがとうございます。

ともあれ、**さんの視点はぼくにとっては、とても触発されるところが多いものでしたから、ぜひ、MLにも投稿してみてはいかがでしょうか?障害学のMLの敷居はそんなに高くないはずだし、また、高くてはいけないんじゃないかと思っています。ぼくもレスポンスを投稿したいですから、よろしくお願いします。


> また、『障害の政治』本文を読まれて感じることがおありでしたら
> MLになげかけていただきたいな、と思います。

できれば、読書ノート、書きたいと思うのですが、いつ読めるのか。かなりトホホな状態です。

===





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営利主義に走る郵便局
 約一年の病気休暇・休職をして職場に復帰して7ヶ月が経過した。去年までと郵政民営 ...続きを見る
アッテンボローの雑記帳
2006/12/03 21:42

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