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zoom RSS 「依存症」の理解 読書メモ その2

<<   作成日時 : 2007/08/23 05:58   >>

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先日に引き続き
「依存症」の理解 <病>の回復から新生へ
今道裕之・滝口直子編
http://community.books.livedoor.com/item/5900/i871555/
を読んで、抜書きと少しの感想。


この本に最初に言及したのは
『依存症問題での社会モデルと医療モデル』
で「依存症問題での社会モデル」触れているらしいこの本をWebで発見し読む前に少しだけ紹介した。そして、借りてきて読んで、先日は
「依存症」の理解 読書メモというエントリーで巻頭の論文、「依存症という社会の鏡」(滝口直子)から気になった部分を抜書きした。


今日はまず、社会モデルに関して比較的詳しく言及している部分を抜書き
==
アルコール依存症と薬物依存症の治療と回復
――アメリカにおける社会モデル概念の実際
==
という論文から。
著者はリヤルズ、ジャニス・エバリン
となっている。

==
  1、社会モデル概念とは、依存症の人間同士の経験の分かち合いに基づいたプログラム

 アルコールや薬物へ依存する人の回復における社会モデル概念とは、部分的には依存症の人が他の依存症の人を助けるという自助グループの12ステップ(回復を目的として実行する12の段階)に基づくものであり、12ステップを実行するからこそ回復するといえる。一見、単純にみえる12ステップだが、焦点の定まらない、形状のない経験に、具体的な行為の進路の枠組みが提供され、それが人格や飲酒欲求や薬物使用欲求を揺り動かす引き金になる。 248p

==
社会モデルでは、飲酒欲求、使用欲求に対する無力を認めたうえで、他者との支援的なかかわりを通して、その欲求に対抗できる力を仲間からもらうと考えている。端的に言えば、依存症の人は酒や薬物を仲間に置き換えるのである。 250p

==
 社会モデルでは、依存症の人にまず尋ねることは、なによりも飲酒や薬物使用を本当にやめたいのかどうかであり、依存症と認めることを要求したりはしない。生き方の間違いを指摘するようなこともしない。アルコールや薬物の魅力を認めながらも、「われわれにはそれをうまく制御することができない」ことを認めてもらうのである。 251p

==
 社会モデルでは、他者が望むようなあり方ではなく、ありのままの自分を表現することが許される。性格は変わらないかもしれないが、まずやめることに集中する機会が与えられる。 252p

==
ソブラエティは一人一人の責任であるが、人生に一人で立ち向かう必要はない。社会モデルでは参加者が、体験と洞察、情報、強靭さ、勇気を、支援的で、誠実であり、無名の、例会で共有するのである。 253p

==

引用ココまで

こう見ていくと、「障害の社会モデルによる理解」と「アルコールや薬物へ依存する人の回復における社会モデル概念」はかなり性格が異なるということが明確になっていく。「依存症の回復における医療モデル概念」との対比という側面が強いのだろう。しかし、同時に個人モデルではないという側面も重要であるように思われる。当事者たちのグループの中で自己をありのままに表現しながら、回復に向かうステップ。

 「社会モデルによる障害の理解」と「依存症の回復における社会モデル」、それらは別のものだが、そこに見られる共通点を見ていくことも興味深いように思える。今回、紹介したいくつかの文章は当事者グループによる回復に特化されているが、前回、引用した、以下のような理解もまた社会モデルを考えていく上で重要な視点なのだと思う。

 前回省略した部分を多少補って、再度引用する。
===
依存症を特徴付けるのは、力や支配への幻想である。そして力や支配は、現代資本主義社会、大衆消費社会の中核をなす価値観である。より多くの力を持つこと、すべてを(支配できないものも)支配できること、他者に、欲望に打ち勝つこと、そしてこれらの目的を達成するためにがんばること、これがわれわれの社会の目標であった。 
 近代的人間とは、自己を制御できる、自律した存在である、とわれわれは教え込まれてきた。制御不能や無力であることは、たいへん恥ずかしいことである。しかし、(中略)、現代の社会は自己の自律性が、たくみに広範に侵害された社会である。われわれが育っていく過程や欲望は、うまく制度によって操作され、刺激され、管理されている。「がんばればすべてが手に入る」という幻想を、真実のように受け入れることを要請される一方(括弧内略)、「がんばっても、がんばっても満たされないだろう」という冷ややかさが、大人には必要とされる。
 この相違を、冷ややかにあるいは適当に、無視できるなら、そういう人は「はまり込まない」にちがいない。資本主義の論理を素直に受け入れ、この相違にもてあそばれる人は、「はまり込まざるをえない」のではないか。回復の過程で、力や支配を拒否すること、それは、こういった病理を生み出す、きわめて搾取的ともいえる、現代社会への抵抗でもあろう。 28-29p

===

 言い換えれば、資本主義の持っている価値観を相対化し、人間の類としての共同性を当事者グループの中で体験し、自らのものとして取り戻していくプロセスが依存症の回復における社会モデルの中で重要な位置を占めているのではないだろうか。
 しかし、当然にも資本主義の価値観は現代の支配的な価値観でもあり、それは日々の暮らしの中で自分の中に浸透してくる。だからこそ、当事者のミーティングをできるだけ短い周期でずーっと継続することが要請される。
 そう、これは資本主義の価値感という風にだけいうことはできないかも知れない。能力至上主義の価値感、というふうに考えた方が正確かもしれない。ここでいう能力とは金銭的な価値を生み出すような能力のことだ。
 そういう能力がまったく不要というわけでもないのだろう。しかし、そこだけが肥大化され、その能力がないものがまったく価値がないものであるかのように扱われる社会こそを問題にする必要があるのではないか。そういった価値観を相対化し、一人ひとりのかけがえのなさ、あるいは、いのちの大切さを仲間とのミーティングの中で回復していく、そういう意味での社会モデルの視点が重要なのではないか。
 それは多くの場合、本や文字を読んだり、説教を受けることで得られるものではないはずだ。仲間と関わって、自分を開き、仲間の痛み、あるいはうきうきした気分を分かちあう中で得られるものなのではないかと思う。







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