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zoom RSS 「NGOとは何か」伊勢崎賢治著 読書メモ その3

<<   作成日時 : 2007/09/01 05:58   >>

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伊勢崎さんは「ボランティア主義を引きずるNGO」というところで、アメリカの平和部隊制度が「ピクニック気分で海外ボランティアを」という恐るべき「気安さ」を築き上げたと書き、それが「途上国は人材が不足している」という概念を定着させたという。そして、この概念にNGOが便乗して、「どうしても自分が行きたいという連中が徒党を組み、NGOを発足させる」と。

さらに、「ボランティア」の看板をかかげているNGOが問題だという。こんな風に書いている。
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責任を感情論によってうやむやにしようという意図が、「ボランティア」に見える。「ボランティア」は、「アマチュア」を連想させるからだ。
 「アマチュア」を最初から標榜すれば、深刻な批判は避けられる。つまり、「開発援助」が持つべき社会的責任のレベルを意図的に下げることによって、自分らがぬくぬくとしていられる「幼稚な」パラダイムを維持しているだけ、と誤解されても弁解の余地がないのだ。
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たぶん、伊勢崎さんはこんな風に書いちゃって、不必要に敵を増やしているようにも思える(笑)のだけれども、・・・。(とはいうものの、ぼくは個人的には彼を知らない)

ぼくの知り合いも多い日本では老舗のNGOも名称にボランティアという名前を含んでいるけれども、そこが「アマチュア」を標榜しているとは思わない。ボランティアが示しているのは「自発性」じゃないかと思う。

伊勢崎さんがさかんに強調する地元に人材はたくさんいるのに、それを使わない、あるいは使えないことがおかしいというのはそのとおりだと思うけれども、このボランティア批判は少しいただけない感じだ。エチオピアあたりでボランティアの名前のつくNGOと何かコンフリクトでもあったのだろうか、と勘ぐりたくもなってしまう。



ともあれ、いずれにしても、ぼくとしては「開発NGO」にかかわることにあまり関心はない。
「北と南の構造の中で踏みつけている足をどけさせる」という視点を欠いた「開発NGO」は、いくらがんばっていても問題を見え難くするだけだし、北と南の構造や価値観を固定させる役割を果たしている。

じゃあ、ぼくが望むような変化のために何が必要なのか。日々の食べ物が手に入らないでいのちを落とす人がいる、そんな人々を前に「南と北の構造が・・・」という演説をしても確かにしょうがない。その土地で食べられるものを作る手助けができる開発NGOなんかのほうが、よほどありがたいっていうことになるだろう。あるいは、とりあえず食べるものがもらえさえすればそれでいいということもあるかもしれない。

抽象的な言い方をすれば、南と北の構造的な暴力を可視化していくことと、人々が食べていくことができるようになるための具体的な手立てをつなげていくような努力が必要で、また、そのことは可能なのではないか。

国際連帯税なども、そのようなものとして構想されなければならないと思う。

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