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zoom RSS 〈帝国〉読書ノートその13  マルチチュードがわからない

<<   作成日時 : 2008/04/26 02:21   >>

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PCにある昔のメールソフトにあった、〈帝国〉を購入した当時の読書メモ。米国がイラクとの戦争をしかけた直後、つまり5年前、MLに投稿したのものだ。サッセンに刺激されて読んだなんてことは、すっかり忘れてた。


====
[ppml 1641] マルチチュードがわからない。(超長文)
Date: Sun, 23 Mar 2003 11:08:24 +0900



戦争が始まってしまいました。
テレビはあんまり見ていません。


共著者のハートが戦争が始まる前にイラクへの戦争にコメントしている記事をどっかで見
たのですが、なくなってしまいました。

==以下、マルチチュードがわからないというだけの話なのですが==

 先月、PP研のラウンドテーブルのあと、とりあえず〈帝国〉という本をのぞいて見ようと、早稲田の本屋に立ち寄り、どこに置いてあるかわからなかったので、店員に聞いた。しばらく待たされてから、「はい、どうぞ」と渡され、なんとなくその勢いに押されて、この高価な高価な本を買ってしまった。
しばらく、持ち歩いてはいたが、ぼくの理解を拒否する難解な言いまわしに辟易し、しおりの位置はなかなか変わらなかった。もう、持ち歩くのをあきらめかけて、持ち歩いている布袋から外していたが、その日はなぜか偶然持っていた。3月15日、サスキア・サッセンの話を聞いた日だ。そこで、サッセンさんが「マルチチュード」を繰り返すのを聞き、終了後のパーティーでサッセンさんに聞いてみた。「マルチチュードって使えますか」「アブソルートリー」という返答。「じゃあ、ネグリ・ハートの〈帝国〉も同意してます?」「全部じゃないけどね」とのことでした。ここから、あわてて、マルチチュードだけでもわかりうようになろうと読んでいるのですが、やっぱりよくわかりません。

 で、いろいろ苦労した後に見つけたのが、このあとがきの説明。
==以下、訳者あとがきから適当に要約==
「マルチチュード」スピノザに由来する概念
これまでは「群集」「多数性」「多性」などの訳語、定訳はない。
(ちなみに先日のサッセンの講演会で同時通訳者は「多数性」としていた。)
本書では原語の読みをそのままカタカナで表記。
その理由は、マルチチュードという概念が、国民国家の枠内で単一かつ均質な同一性として措定されてきた「人民」や「国民」という概念とは区別される多数多様性を指し示しているという点にあり、さらにそれがたんに集合体としての人間の多元的性格の指摘にとどまるものでなく、能動的な社会的行為体、つまり、特異的かつ集合的な主体性をも意味していると考えるからである。
==この要約ここまで==

「最初にこれを置けよな」っていう感じです。ここで、言葉の意味はなんとなくわかったような気になったものの、でもそれが何ものなのかはやっぱりわからない。で、マルチチュ―ド関係のところを索引から拾い出して、いろいろ読んでみたのだけれども、やっぱりわかりません。以下に、私のとほほな努力の後を提示します。



以下、マルチチュード関係など拾い出し。
==
〈帝国〉を支えているマルチチュードの創造的な諸力は、同時に対抗ー〈帝国〉(カウンタ・エンパイア)や、グローバルな流れと交換のオルタナティブな政治的組織化を自律的に構築することのできる力でもあるのだ、・・・・それらの闘争と、それらと似かよった幾多の闘争を通してマルチチュードは、新たな民主主義の諸形態と新たな構成的権力とを創出しなければならないだろう。
8p

===
 ・・・双頭の鷲は、〈帝国〉の現代的形態を・・表象することのできる最初のイメージとして役立つかもしれない。・・・。
 双頭の鷲の最初の頭にあたるものは、・・・構築された法的構造と構成された暴力・・・。・・・・。
 ・・・もうひとつの頭にあたるものは、この広大な海を航海する術を学んできた、生産的で創造的なグローバリゼーションの諸主体からなる多元的なマルチチュードである。・・・・。新しいマルチチュードによって生産された非システム的な諸要素ですら、じつのところ、たとえそれが反転された関係性であったとしても、システムと共約可能な関係性をもちえない、グローバルな諸力なのだ。・・・。
 ・・。・・・、じつをいうと双頭の鷲という比喩は、〈帝国〉とマルチチュードのあいだの関係を適切に表すものではないということを認めなければならないのだ。というのもその比喩は・・。 87−90p

==
 ・・。それゆえ、これらの闘争が例示してきたことのうちで今日もっとも意義深い側面はさまざまな突発的加速、(・・・)換言すれば、さまざまな爆発(これらは、文字どおり〔マルチチュードの〕存在論的な力と、〈帝国〉のもっとも中心的な均衡に対する予想不可能な攻撃とをあきらかにするものである)ということになるだろう。 
 ・・・。新たな抵抗の諸形象もまた、闘争のさまざまな出来事の継起性をとおして組み立てられている。これこそが、〈帝国〉の内部で、〈帝国〉に抗する、今日のマルチチュードの存在の仕方のもうひとつの根源的特徴なのである。   89p
===
 ・・・。ポスト近代性の渦中にある私たちは、主体(マルチチュード)と対象(世界政治的な(コスモポリティカルな)解放)を結びつける装置を、いかにして構築することができるのだろうか?・・・?・・? 多数者の脳と身体の物質的および非物質的な生産は、いかにして共通の感覚と方向性を構築することができるのか? というよりむしろ、マルチチュードの主体としての形成と民主主義的な政治装置の構成のあいだの隔たりを埋
めようとする試みは、いかにしてその君主を見出すことができるのか?
 しかしながら、こうした類比は結局のところ不十分なものでしかない。・・・。・・・、ポストモダンの解放は、この世界の内部で、内在性の平面の上で、・・・たとえユートピア的なものであろうともいかなる外部の可能性にも頼ることなく、達成されなければならないのだ。今日、政治的なものがどのように主体性として表現されるべきなのか、その表現形態はまったく明確ではない。・・。  94−95p


 ・・・。・・・、あらゆる時代において純粋な差異をあらわす「共通名」とは、貧者という名である。貧者は窮乏し、排除され、抑圧され、搾取されている――それでもなお、生きているのである!それは生の共通の分母なのであり、マルチチュードの礎なのである。
 この共通名、貧者とはまた人間性のあらゆる可能性の基礎でもある。・・・。貧者のマルチチュードが持つ神性はいかなる超越にも向かうものではない。反対に、この世界のこの場所で、この場所においてのみ、・・・。貧しき者とは地上の神なのだ。205p−206p

 貧しき者(ザ・プアー)それ自身が力(パワー)なのだ。(世界の貧困)が存在している。だが、何よりも(世界的な可能性)が存在しているのであり、ただ貧しき者のみが、これを実現する力を持つのである。  207p
・・。彼ら(ア<リカの憲法起草者)が考えていたのは、マルチチュ―ドの秩序は力と権利の権源の委譲から生まれるものであってはならず、マルチチュード自身の内的なアレンジメ<トから、つまりネットワーク状に結び合わされた諸権力の民主的な相互作用から生まれるものでなければならない。  210p
マキャベリにとって、・・・。換言すれば、権力はつねにマルチチュードの生の産物であり、その表現の生地を織りなしているということだ。212p

しかしマルチチュードの潜在性からすれば、〈帝国〉の統治は空虚な抜け殻あるいは寄生するもののようにみえる。・・・。私たちは潜在的なものと可能的なもののあいだの亀裂はマルチチュードの活動という立脚点から架橋しうると考えている。  450p

1917年、・・・・1989年にいたるまでの数多くの解放闘争のあいだにマルチチュードの市民権の条件が生まれ、広がり、そして強化された。打ち負かされるどころか、20世紀の革命はそれぞれさらなる前進をつづけ、新しい政治的主体性、すなわち、〈帝国〉の権力に抗して叛乱するマルチチュードの条件をつきつけることで、階級対立の争点を変容させてしまったのだ。  489p

マルチチュードの闘争こそが、自己イメージの逆立像としての〈帝国〉を生み出したのであり、いまや彼らはこの新しい情勢のなかで馴致できない力、いかなる権利と法にもおさまらない価値の過剰を表現しているのだ。  490p

 マルチチュードは単純に諸々の国民や人民を寄せ集め、無差別に混ぜ合わせることによって形成されるわけではない。つまり、マルチチュードは、新しい国〔都市〕の特異な力なのである。
 この点について、次のような反論が生じるのも無理からぬことだ。なるほどこのすべてをもってしても、マルチチュードを固有に政治的な主体として確立するにはいまだ不十分ではないか。自分自身の運命を統制する潜勢力を有した主体として確立することすらできていないではないか。しかし、この反論は、乗り越えがたい障害を呈示するものではない。なぜなら、革命の過去、それに現代の協働する生産能力――(中略)――は目的(テロス)、すなわち解放の物質的な肯定表現を明らかにせざるを得ないからだ。古代世界においてプロティノスは似たような状況に直面しこんなことを言っていた。
   ・・・。代わって目を閉じ、おまえたちのなかで目覚める新たな視力を用いねばならぬ。生まれついての万人の権利、使う者とて限られた視力を。 491p

マルチチュードの目的論は奇跡(テウルジー)〔慈悲深い神々と会話し、その援助を受けようとしてエジプトのプラトン学派のものなどが行った神秘的呪術、神業、奇跡〕である。つまりマルチチュードの目的論は、テクノロジーや生産を自分自身の喜びや自分自身の力の増大に向けて方向づける可能性のうちにある。マルチチュードはみずからを政治的主体として構成するために必要な手段を、自分自身の歴史の外部、現在における自分自身の生産力の外部に探し回る必要はないのである。492p

・・。では、どうすれば自発的なマルチチュードの運動内部で、かつその彼方において構成的な政治的傾向を認識する(そして明るみに出す)ことが可能となるだろうか?
 この問いには、最初に逆の面からアプローチできるだろう。マルチチュードの運動を抑圧する〈帝国〉の政策を考察することから・・・・。・・・。つまりそれはマルチチュードの強さの逆立ちした表現にほかならないのだ。
 このことが私たちを根源的な問いに引き戻す。マルチチュードの諸活動はどのようにして政治的なものに生成することが可能なのだろうか?・・・・?こうした問いに私たちがあたえることのできる唯一の応答はこうだ。すなわちそれはマルチチュードの活動が本質的に政治的なものに生成するのは、その活動が〈帝国〉の中央集権的な抑圧的作動に直接に、かつ適切な意識を持って対峙しはじめるときである、というものである。・・・。
 だがしかし、マルチチュードにとってのこの課題は、なるほど概念レヴェルでは明確なものの、いまだ抽象的なものに留まっている。この政治的プロジェクトにどんな種類の具体的な実践が生命を吹き込むことができるのだろうか?この時点でまだ私たちはそれに答えることができない。しかしながら、グローバルなマルチチュードにとっての政治プログラムの第一の要素、第一の政治的要求を描くことはできる。すなわち、グローバルな市民権がそれである。1996年のサン・パピェ、つまりフランスに居住する未登録の外国人のためのデモの最中、「万人に居住証明書(パピェ)を!」と主張する横断幕が掲げられた。・・・。  495−496p


===抜書き、ここまで==

疲れたので抜書きはこのあたりでやめます。で、
この先にもマルチチュードについて書かれているところはいくつかあるし、そもそもぼくは拾い読みしかしていないので、抜けてるところも多いと思います。それにしても、マルチチュードって一体何なのか、やっぱり、わからないままです。ラウンドテーブルで何か見えるようになればいいんですが、・・。ま、「ぼくにわかんないことを書くほうが悪い」、と開き直ってもいいかとも思うのです。

==昔の投稿ココまで==

この当時と比べると、いまやってる読書会を通じて、もう少しマルチチュードの正体が見えてきたように思う。この当時は以下の説明で少しわかったような気になっていた。
==
本書では原語の読みをそのままカタカナで表記。
その理由は、マルチチュードという概念が、国民国家の枠内で単一かつ均質な同一性として措定されてきた「人民」や「国民」という概念とは区別される多数多様性を指し示しているという点にあり、さらにそれがたんに集合体としての人間の多元的性格の指摘にとどまるものでなく、能動的な社会的行為体、つまり、特異的かつ集合的な主体性をも意味していると考えるからである。
==
しかし、いまは『国民国家の枠内で単一かつ均質な同一性として措定されてきた「人民」や「国民」という概念』というけれども、ネーションはともかくピープルについても簡単に『国民国家の枠内で単一かつ均質な同一性』なんて言ってしまっていいのか、という風に少しだけ批判的に読むことができるようになってる。そう、読書会はぼくを少し賢くしてくれている(笑)。


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