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zoom RSS タゴールとガンディーについて

<<   作成日時 : 2009/01/07 22:05   >>

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先日書いた読書メモ
タゴールとガンディーとセン(「タゴールとかれのインド」読書メモ)
http://tu-ta.at.webry.info/200812/article_14.html
を某MLで片山さん名指しで紹介して、レスポンスをもらいました。(感謝)
許可をもらってここに転載させてもらいます。

とても、興味深い話だし、ガンディーとタゴールの差異よりもその重なる部分にもっと目を向けるべきだと感覚的に、そんな感じがしていたので、いろいろ参考になるだけではなく、すごく気持ちのいいレスポンスでした。




片山さんは
「ガンジー思想と私」というHP
http://homepage1.nifty.com/kayoko/
の主催者で、ガンジーに関する膨大なデータベースを作りつつあります。
さまざまなことをここで読むことが出来ます。
また、「ガンジー・自立の思想―自分の手で紡ぐ未来」(地湧社)の訳者でもあります。



====


片山です。

>片山さん向けのP.S.2
>
>タゴールとガンディーとセン(「タゴールとかれのインド」読書メモ)
>http://tu-ta.at.webry.info/200812/article_14.html
>というのを書きました

これに関連して、思うことを書かせて頂きました。(長文でごめんなさい。お時間のあるときに読んでいただけたらと思います)

タゴールがガンジーのチャルカ(糸車)の取り組みを批判していたことは有名な話です。
 まずは、ガンジーが英国製の衣類を積み上げて火を放った時に、「そんなふうにして、大衆の怒りをあおっていたら収拾がつかなくなる」と、タゴールは批判しました。
 まさにそのタゴールの不安は的中し、暴動が頻発するに及んで、ガンジーはもっと建設的な取り組みが必要だったのだと目覚めて、村の中で、チャルカを回したり、自給自足の取り組みに力を入れていくようになりましたが、それに対しても、タゴールがガンジーのやり方を時代遅れと批判したのは、このブログにあるとおりです。
 ただし、タゴールはセンも卒業した学校の創設者ですが、その学校では、機織り、陶芸などもカリキュラムに組み入れて、全人的教育を行っています。機織りは創造的仕事であるが、糸紡ぎは単調すぎて創造性を発揮できる余地はないから、機械の時代にあって糸紡ぎはばかげていると、タゴールは考えたわけです。しかし、行き過ぎた機械化というものに反対していた点では、タゴールとガンジーは共通しています。
 ガンジーはタゴールの批判に対して、「この詩人が毎日30分糸を紡げば、彼の書く詩はより豊かなものとなるでしょう。と言いますのも貧しい人々の欲求と悲しみを今よりももっと強い調子で表現できるようになるからです」と述べています。
 しかしながら、ガンジー自身も、自分の糸紡ぎの取り組みがうまく行っていないことには気づいていました。(実際に気づいたのはガンジーの最晩年の頃です) ガンジーのチャルカの取り組みは、今で言うフェア・トレードのような取り組みから始まりました。紡ぎ手に賃金を払い、出来上がった衣類を都市で販売したのです。高くても手紡ぎの衣類を買ってくれるのは、それだけのゆとりがあって、心優しい一部の人に限られていましたから、あるところまで行くと頭打ちになり、カディーの在庫を抱えこんでしまう事態に陥ってしまったのです。実際に糸を紡いでいる村人は、相変わらず工場制の衣類を着て、貧乏暮らしです。
 そこで、村人が自分で着るためのカディーを作らないといけなかったのだと気づいて取り組みを変更したのですが、その直後にガンジーは暗殺されてしまいました。
 ガンジーはもともと、村が必要とする布は村で作ろうとしました。糸紡ぎというのが、一番時間のかかる仕事であり、人手を必要としているからこそ、機械に頼らないで手で紡ぐことで、全ての人が仕事に従事できるのです。そして、余分の糸や布と交換に食糧などの基本的必需品を確保できれば、村に住むすべての人が自由を享受できるようになります。こうして、衣類の生産やその他の仕事を通してすべての人に経済的独立を保証するのです。なぜなら、村の人々はそれらの物を自分で生産できるからです。搾取を避けるということがガンジーの考えだったからです。
 しかし、タゴールの存命中(そして今も)、チャルカの取り組みはガンジーが本当に描いていた展望とは全く反対に進みました。商売になってしまったのです。そのため仲買人に従属する立場から、村人は脱することができませんでした。そのため、タゴールはガンジーの熱心な信奉者であったにもかかわらず、チャルカやカディーの取り組みに盲目的に従うことはしなかったのです。会議派の人々が、ガンジーの手前不本意ながらチャルカを回したのとは対照的でした。


以下に、長くなりますが、Development Without Destrudtion: Economics of the Spinning Wheel(Nandini Joshi著)より引用させていただきました。
・・・・・・・・
 「タゴールがチャルカの取り組みが広がっているやり方になにか間違っているところがあると気づき、たとえガンジーとそのチャルカの政策が国中に圧倒的影響を与えていても、徹底してそれに異を唱えていたのは、ある意味タゴールの天才的鋭さを証明していると言える。しかしながら、独特のタゴールの抗議を思えば、タゴールがその抗議をさらに進めて、なぜチャルカがスワラージ(自治・独立)をもたらす手段と思えないのかについて、自らの考えを詳細に述べてくれていたら良かったのにと思ってしまう。ガンジーが最晩年になってやっと気づくことになった抜け穴を指摘してもらえれば、ガンジーにとっても非常に価値あることだっただろう。そうすれば、ガンジーももっと早い時期にチャルカについて自分が本当に考え、展望し、戦略としていることを非常に明快な言葉で説明できただろう。つまり、チャルカがすべての人に経済的自由をもたらし、すべての村人に基本的必需品を与え、この最後の者にまで仕事を提供し、搾取を排除する道具であるということをだ。それによって、自由、尊厳、慈愛というタゴールが非常に尊んだ理想を蘇らせることになる。
 シャンティニケタンでタゴールは、陶芸、籠細工、紙漉き、皮細工、木工、機織りなどを養成する手工芸を取り入れた。もしこの村が、これらの手工芸に加えてチャルカも導入していたなら、この村に相当の購買力をもたらすことができたであろう。(というのも、村での支出の大半は衣類に当てられており、これは繰り返し発生する経費だからだ) そしてその結果、他の製品もすべて村の中で市場を確保できただろう。チャルカがなかったために、これらの製品はその地域の中で販売できず、外部に市場を探さねばならなかった。しかし、そこは獰猛果敢な競争やその他市場の危険に支配されていた。残念なことにタゴールの存命中にチャルカがこのようなやり方で採用されることはなく、チャルカが果たすべき極めて重要な役割も失われた。衣類など大多数の村人たちが負担しなければならない毎月の莫大な経費を節約する道具として、チャルカが理解されていたならば、そしてその結果、村の他の製品を購入するための購買力を大いに高められる道具として理解されていたなら、おそらくチャルカもタゴールのシュリニケタンの展望の中で、適切な位置を与えられていただろう。

 村の人々はすでに穀物を栽培しているので、もう一つの基本的必需品である衣類を、他者に頼る必要もなく自分たちで生産することができれば、そしてその課程で、糸紡ぎ、機織り、その他の村の手工芸で仕事が見つかれば、彼等の無限のエネルギー、内部に秘めた資質が自由に注ぎ出るようになる。そして彼等の芸術、文化、文明がより豊かになる。これこそがまさにタゴールが、そんなにも熱烈に思い描いていた夢だ。
 賃金ではなくカディーを得るために村にチャルカを導入する小さな実験を開始すれば、衣類のような不可欠の日用品を全く自分たちだけで作ることができる自由に人々が歓喜するのが分かるだろう。
 このように、タゴールの描いていたことと、ガンジーの村を再建する計画には衝突することは何もないようだ。詩人が、自分が理解したところに従ってチャルカを否定したとき、彼はガンジーが後に気づき修正する欠陥を指摘していたのだ。 それどころか、現代インドの偉大なるこれら二人の指導者の展望、考え、行動には驚くべき類似性がある。西洋からの圧倒的な影響下にあるときでさえも、二人ともインド文化および文明を誉めたたえていた。二人とも工業化が地球を嘗め尽くしている最中にあったにもかかわらず、機械偏重の工業化は破壊的結果をもたらすと警告を発した。
 タゴールはその絶えることない天分のひらめきに輝く詩的表現でガンジーと同じメッセージを伝えていた。:「社会生活において貪欲と力崇拝とが無制限に成長して行けば、人間が自らの人間性を発展させることに専念することができなくなる。人は権力を熱望し、自らを充足させることを忘れる。そのような状況下では、都市が最も重視されるようになり、村は顧みられなくなってしまう。...
 「貧しい村人たちが自分たちの不足する運命を嘆かなければならないのは、金持ちが富を街や都市で消費するからだ。村の人々は、自分たちの生活を良くする手段が、自分たちの中にあることを信じる気力も失っている。
 あと一歩踏み出せば、ガンジーのチャルカも従来行われていたのではなく、その本来の意味であるところのものは、まさしくこの信念を蘇らせ、経済の場で実践する道具であると理解することができよう。
チャルカでどうやってスワラージ(自治・独立)が達成できるのか分からないと、チャルカの実際の取り組みでのまさにその誤りを指摘しながら反対を唱えたのは、それでもタゴールであった。そして、その誤りについてはガンジーもずっと後になって、その生涯を終える直前に気づき、誤りを修正した。しかしその時までこの詩人は生きていなかった。だから、タゴールはチャルカを廻すことはなかったのだが、それだかこそ、この二人が互いの疑問点をはっきりさせていたなら、二人とも自らの使命を果たす上で大いに貢献できたのにと強く思わずにはいられない。そして、チャルカも本来の利益をもたらす役割を得て、偉大なる二人のインド人、もっと言えばこの時代の世界を照らすこれらの先覚者は、まさにその生きている間に彼等が思い描いたインドの夢を、ひいては世界の夢を実現できていただろう。「心に恐れなく、頭を高くもたげ」と詩人が神々しく歌いあげたような夢をである。
・・・・・・・・・

以上で、引用を終わります。

12月20日の石井さんのお話が、どういう話だったかはわかりませんが、センに関する限りは、表面的なガンジー批評に終わっているような気がします。それについては、NHKの中島岳志さんのお話しは、枝葉末節的な感じがしましたし、ラジオの森本達雄さんのお話しも相変わらずいつも同じという感じがしてしまいました。
 結局、すでに日本語に訳されているものから、ガンジーを追及するからこうなるのだと思います。これまでのガンジー研究者が、森本達雄さんのように宗教者としてのガンジーを紹介するか、長崎暢子さんのように政治家としてガンジーを紹介するかのどちらかで、訳されてきたものも、そういう側面を紹介する記事ばかりでした。そこに歪んだガンジー像が日本で紹介されてきた原因があると思います。歪んだ形が紹介されているほうが、為政者にとっては都合がいいでしょうが・・・
 ヒンディー語やグジャラート語がわからなくても、ガンジーの全集は英語にはなっていますから、英語の原典に当たってガンジーを研究する研究者が誕生して欲しいものだと思います。
 
 ガンジーの思想で重要な部分はやはり、糸紡ぎに代表される経済観だと思います。
 「お金がなくても、手足を動かせば大地の恵みを必需品に変えることができるから、生きていける。生きていけないのは搾取されているからだ。だから、手足を使うことを厭わずに働いて、搾取から抜け出そう」というのが、ガンジーのメッセージです。
 「手足を使って働こう」そこに自由を得る鍵があるわけですが、この時代、これを伝えるのは難しいですね。

 手紡ぎ・手織りは高級品ですが、その高級品を自分が労働すれば自分のものにできるのです。しかもただで。こんなすごいことはないのに、それに気づかず貧乏で、意気消沈しているとしたらなんともったいないことか。ここなんですね。
 同様のことは、今の時代、食べ物についても言えると思います。ホームレスの人が増えゴミをあさったり、餓死する人もいますが、田舎には休耕田が一杯あって、少しの土地さえあれば、食べ物を育てられるわけですから、ここに、失業におびえなくても済む生き方があるのではないかと、思いますね。米価が下がって、農業も厳しい状況ですが、自分が食べるための農業なら、価格の変動におびえる必要はありません。どうやってそういう方向に持っていくか。
 その一歩は、自分で料理をする習慣を身につけることではと私は感じています。農業までしなくても、料理ができればかなりの節約が可能です。さらに漬物文化をとりもどせば、もっと楽になります。雪国では、昔は冬になると漬物ばかり食べていたそうです。ご飯と漬物があれば、数ヶ月生きていけていたのです。毎日同じものばかり食べていても、人間は生きられるのだから、そうやってお金と時間を節約して、好きなことをやれたら、どれほど自由に生きられるだろうかと、思うのです。ご飯と漬物と味噌汁だけを毎日食べていくことは、貧乏であるという洗脳もある気がします。
 ホームレスの人たちを支援するために炊き出しを行うことは、本当に必要なことです。しかし、それはあくまで応急措置であって、それと並行して、企業に頼る必要のない自立した生活の基盤を築くことが必要で、そのためにはガンジーの言葉に耳を傾けることだと私は思うのです。そうでないと、依存状態をうみだすことになり、その状態から彼らは抜け出せないでしょう。
 農業も料理も糸紡ぎもそうですが、日々の繰り返しが重要です。単調なことを繰り返せるかどうかが鍵です。糸紡ぎの講習会を、いろいろやってきましたが、イベント的な講習会では意味がないと最近気づいています。1度やって終りでは、面白い体験ができたというだけで、作品には至らないからです。今は月に2回講習会をやっています。同じ人がずっと来て、作品化が始まっています。数人規模でしかできませんが、いろいろな人がいろいろな所で同じことをやってくれれば、広がっていくわけですから、一つのモデルとして試みています。年配の人がすごく熱心で、若い人がよい影響を受けています。「これだけの糸で何ができるの」と思ったときに辞めたくなるのですが、年配の人たちが家でもどんどん糸を紡いで、ショールを編んだりしていると、刺激を受けて、やめないで続けてみようと思えるみたいです。
 糸紡ぎは、コツをつかむまでが大変ですが、コツさえつかめれば自転車をこぐようなものです。自転車をこぐのも気晴らしなら楽しいでしょうが、延々とこぎ続けるとなると、続けることが大変ですよね。糸紡ぎも同じです。でもそこで続けられる力というものが養えたら、怖いものがない。企業に頼らない自立した生活の第一歩がここにあると感じています。
 農村が崩壊していった過程も、調べていくと、農業の機械化が始まって、その機械を買うために出稼ぎや兼業農家が増えて、機械代が農家を苦しめ、農業が儲からなくなっていったのです。機械で農産物が大量に生産できても、農産物価格が低迷すれば、機械代・燃料費などを差し引くと赤字です。そのために、若者が農村から都会に出て行ってしまいました。であれば、機械をやめて、手足でできる範囲で耕して、自分が食べる分だけを確保する方が良いはずです。(牛馬耕も見直されてよいでしょう) 都会に出た若者が、田舎に帰ってそういう自給的農業を行うことができれば、いろいろな問題が解決できると思います。
 そういう意味での、糸紡ぎの思想を広めていかねばと感じています。そして、ガンジーの非暴力思想も糸紡ぎと関連した広め方をしたいのです。それこそガンジーが意図していたことですから。
 最近「蟹工船」を読みましたが、搾取に対して暴力で対抗しようという思想ですね。しかし、暴力は為政者に弾圧の口実を与えてしまいますから、暴力以外の方法もあるということを、人々に知らせていくことが今すごく求められていると思います。搾取する側=企業に頼らなくても、自立した生活ができるのだから、暴力をふるっている暇があったら、自分たちの手足を動かそうというのがガンジーの思想だったのです。


片山佳代子



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ガンジーは暴力を選ぶ
 もし卑怯と暴力のいずれかを選ばなければならないとすれば、私は暴力を勧める。…… ...続きを見る
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2009/01/12 20:02
「ガンジーの危険な平和憲法案」メモ
辛口だった天野恵一さんが季刊ピープルズプランでかなり激賞しているのを見て、読んでみたくなったので、図書館で借りた。 ...続きを見る
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2010/04/06 18:31

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