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zoom RSS 『"溜め"のある社会をめざして』(川本隆史さん)メモ

<<   作成日時 : 2009/07/30 05:16   >>

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先週の土曜日の環境・平和研究会、ぼくはPP研の総会で不参加。

Sさんの報告の
===
〜我々は市場とどう向き合うか〜
セン理論にみる<市場と人間>
===
このレジュメだけ読ませてもらうが、興味深い。「アマルティア・センが<市場>をどのように評価、および批判しているのかを抽出。そしてセンが描きなおした<人間>は、市場とどのような関係におかれ、それらの想定や提起がはたして今日的課題に応えうるものになっているのか、についての考察」

これに関するちょっとしたやりとりが研究会のMLで行われているちょうどそのタイミングで、川本さんの『格差原理・デモクラティックな平等・租税による支え合い』という報告を読んでいて、そこにセンへの肯定的な言及があったので、MLで紹介した。

以下、それを紹介したものから引用
=====
さて、ぼくはよくわからないセンですし、もしかしたら、当日、どなたかが言及しているかもしれませんが、日本哲学会で発行している『哲学』(2009年4月号)で、
川本隆史さんが
『格差原理・デモクラティックな平等・租税による支え合い 
  ――"溜め"のある社会をめざして―― 』
という文章でセンについて肯定的に言及しています。

「哲学するものは、格差と平等にどうアプローチすべきか、哲学の立場からどんな提案ができるのか」という提出された問いに、川本さんはこんな風に答えます。

===
 ・・・私が実行しようとするアプローチをあらかじめ述べておこう。それは(相変わらず!)ロールズ譲りの「反照的均衡」(reflective equilibrium)とセンから学んだ「脱集計化」(disaggregation)である。 前者に関しては (中略)。 後者は、貧困・飢餓に立ち向かうセンの構えを峯陽一が的確に言い当てたものであり〔峯1999〕、さまざまな集計量や集計概念を分解しつつ、それらが一人ひとりの暮らしよさ(well-being)にとって何を意味するかを精査する作業を指す(2)。 こうした「脱集計化」の手法を駆使することによってこそ、現代の飢餓が人口および食糧生産高という二つの「集計量」によって説明できないことや、「家計」という経済主体にひと括りにされた老若男女の中に「非決定者」(消費や貯蓄といった一家の暮らしを左右する決定に参与できない人たちのこと)が伏在している事態をセンは看破しえたのである。この「脱集計化」は、しかし経済学者(むしろ新古典派経済学に対する仮借なき批判者)センの専売特許にとどまるものではない。たとえばシモーヌ・ヴェイユは・・(以下略)

(2)「脱集計化とは、概念というよりも問題にアプローチする際の構え方である。センによれば、これまでの開発経済学は、富と貧困の指標として、国民生産や総所得、総供給といった集計化されたデータに関心を集中しすぎる傾向があった。[……]究極的に重要なのは、具体的な顔をもつ個人の福祉の増進である。しかし、そこまで一挙に脱集計化を進めると経済分析としては意味をなさない。そこでセンは、個人と国家のあいだのさまざまな中間項に注目する。すなわち、一国の経済が困難に直面する場合、それが地域、所得階層、職業集団、性別、年齢の違いに応じて人々に不均等に打撃を与えていくプロセスを、できる限り丁寧に検証しようとするのである。」〔峯1999〕
〔峯1999〕は
「開発研究にセンがもたらしたもの」、『経済セミナー』第530号、日本評論社
===

ぼくには面白かったので、とりあえず紹介しておきます。

==MLに投稿したものからの引用ここまで==


実はこの川本さんの文章のほとんどが理解できてない(っていうか、哲学的な文章を受け付けない体質なのかも)が、この文章の中で他にも興味深いところがあったので、2箇所についてメモ。

ひとつは「注(3)」。川本さんは2008年に書いた「”不条理な苦痛”と『水俣の痛み』――市井三郎と最首悟の〈衝突〉・覚書」『岩波講座哲学 第1巻=いま〈哲学する〉ことへ』所収を自ら紹介している。少し引用
==
・・・ヴェイユ(および障がい児をケアする生活)から「内発的義務」という着想を引き出した最首悟と哲学者・市井三郎との〈衝突〉をめぐる試論も見てほしい。”不条理な苦痛”という集計概念を個々のケース(=苦しみが発生した《現場》)に即してバラしてみる作業(「脱集計化」)を欠いたまま、「苦痛」をひとかたまりで捉えたところに市井の「失敗」の一因があった。ちなみに「被爆都市ヒロシマの平和運動は、今や新たな段階に入っていかなくてはならない。反核の声は、あまりにも政治的な色合いに染まり続けている。[……]もはや原爆の凄惨さを語るだけで、平和が構築できる時代ではない」(町田宗鳳「「環境」を哲学するとき」『哲学』59号2008年)という呼びかけにも。「脱集計化」という問題意識が不足している。そう臆断せざるを得ない私である。
==この引用ここまで==

「不条理な苦痛」を「構造的な暴力」と結びつけてキー概念として紹介している横山正樹さんの影響で、この市井三郎の岩波新書『歴史の進歩とはなにか』を以前に読んだ。快を増やすのではなく、苦の量を減らすべきだという主張は、ぼくにはとても説得力があった。ここで記述されている市井の「失敗」については、できればそのうち読んでみよたい。




で、この川本さんの文章でもうひとつ書き留めておこうと思ったのは結語部分。
===
 最後に、ロールズ流の「財産所有のデモクラシー」にセンの「生き方の幅」(capability)というユニークな自由論を組み入れるという宿題が手付かずのまま残っている。これについては、センのcapabilityを"溜め"という含蓄のある日本語に置き換えた湯浅誠の快著『反貧困』を範として、"溜め"のある社会を構想していこうと思う。真摯な実践と鋭い直感に裏づけられた湯浅の提言を書き留めることで、小稿を閉じる。

「人々に働く場所や住むべきアパートを確保できないという社会の不自由、社会の"溜め"のなさによって、野宿者や「ネットカフェ難民」が生み出されている。貧困問題も本人の「問題」ではなく、社会の「問題」である。[……]どうすれば、人の、そして社会の"溜め"を増やすことができるのか。[……]それは人の支え合いの強化、社会連帯の強化、そして公的セーフティネットの強化を通じて果たされる。[……]私たちの目指す支え合い・社会連帯は、個人・団体・社会の"溜め"を増やし、政財界に言い逃れをさせないための、物言う支え合い、異議申し立てする社会連帯でなければならない」
===

湯浅誠さんの『反貧困』をまだ読んでいないので、<「溜め」=センのcapability>というのが湯浅さん自身の発見なのか、川本さんによる名づけなのかわからない(ぼくの記憶では、『貧困襲来』の"溜め"の記述にはセンの紹介はなかったような・・・)が、「あっ、そうか」と思う。しかし、同時に川本さんがここで紹介している「生き方の幅」(capability)というのも潜在能力とか言われるよりずっとわかりやすい。

そして、「もやい」という具体的な場を提供している湯浅さんが、ただ、その場での「支え合い・社会連帯」ではなく、「物言う支え合い、異議申し立てする社会連帯」をめざしているところが、いいと思う。身近な外国人支援の労働相談や日本語教室をやっている団体とかを見ていると、どうしても、その活動は労働相談や日本語教室だけになってしまいがちで、「異議申し立て」にはなかなか行けない。小さな公的支援を受けるために「異議申し立て」が出にくい状況もあるかもしれない。NGOやNPOが現状のシステムを補完するに留まるのか、それともオルタナティブに向かう契機になりえるのかという、分かれ目は、このあたりをどう自覚して実践していくかというところあたりなのではないかと思う。

そういう「具体的な取り組み」と「異議申し立て」の両方を実践しているこの湯浅さんたちの取り組みは、ヘレナ・ノーバーグ・ホッジさんの言う、「レジスタンス」と「リニューアル」両方の実践の必要性という主張に近いものがある。

というわけで、川本さんからもらったコピーを読んで、わかるところだけつまみ食いしたのだけれども、もう少し中身を理解するために、ゆっくり読んでみたいと思う。





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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
「溜め」って湯浅さんのオリジナルだと思っていました。結構なコノテーションを引きずっていて、ナイスだなと…

湯浅さんの運動って昔は伝統宗教が担っていたのに、難解な理論の裏づけがないと福祉も後退してしまう…というあたりが残念ですね。これも失われた溜めの一つでしょうか
悲田院
2009/08/05 19:06
川本隆史トークライブ
http://www.kinokuniya.co.jp/01f/event/event.htm#minami_77
お知らせ(既にご存知かもしれませんが)
2010/11/07 01:15
お知らせどうも。
===
「個人のかけがえのなさと自由が認められること、社会が誰にとっても暮らしやすいものであること」―― 新訳となったロールズの『正義論』を読み解き、《正義》の原点に迫るトークライブ。ロールズの構想<公正としての正義>は私たちの暮らしを変えることができるのか?
===
というキャッチコピーも香山リカ 竹田青嗣 川本隆史というラインアップも面白そうです。同じ日になるティク・ナット・ハンのプレムヴィレッジの話を選ぶかどうか迷ってます。
tu-ta
2010/11/09 19:52

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