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<<   作成日時 : 2009/12/28 18:19   >>

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記録のためにこっちにも保存


***さま、(みなさま)

読ませてもらっています。
以下、雑感です。

以前、花崎皋平さんがシンポジウムで社会運動のポリティクスとポエティクスという提起をしたのを思い出し、ピープルズプランのバックナンバーを探しました。
No.45の131p〜の冒頭で掲載されています。

ちょっとだけ抜粋します。こんな風に記録されてます。
===
社会運動のポエティクス

・・・なぜ、ポエティクスを言うかというと、運動する主体のポテンシャル、潜在的な力に働きかける、あるいはその力が目覚めるようにする営みをポエティクスとしてとらえたいからです。そういう民衆のポテンシャルとしては、よき世界への待望が共通普遍にあると思います。
 そのようなポテンシャルを社会運動のなかで自覚的に表現していくことは、政治と芸術と宗教の交じり合った――(この場合の宗教についての説明略)――言葉が、近代の政治の言説では無視されたり、低く評価されてきたことの反省からです。それは詩であったり、歌であったり・・・
===

そして、花崎さん自身も詩を書き、詩集を発表されています。


運動の言葉と詩の緊張関係をどう保ち、どう紡ぐのかというのは綱渡りのようにチャレンジングな作業かなぁと思います。詩だけではなく社会運動とアートの緊張関係といいかえることができるかもしれません。

また、アートはこちら側でも使えるし、向こう側も使います。アートを商業主義から取り戻そうとする最近の若い人たちの運動に可能性を感じています。


また、こちら側(であるなず)のアートも、ときとして党のプロパガンダの枠に入ることを強要されたり、そこを超えようとして弾圧されたり。

1950年代のサークル運動が再び見直されつつありますが、多くは「社会主義リアリズム」と半ばさげすまれるそれらの中にも、光るものはあったし、人々が表現を自分のものにしようとする営み・プロセスの中に大切な何かが含まれていたのではないかと思います。

社会運動とアート、それぞれがそれぞれに従属されないようなかたちで結びつくことができるかどうか、はたしてそんなことが可能なのかどうかが問われているようにも思います。

こんなことを書いていて、先日まで目黒区美術館で行われていた「‘文化’資源としての炭鉱」展を思い出しました。そこに展示されているすごく多様な表現からいろいろ触発されるものがありました。

(展覧会のすごく断片的なメモを書きました。

http://tu-ta.at.webry.info/200912/article_9.html )

そこでも労働組合運動やサークル運動から生まれた作品が数々展示してあり、また、アートと社会運動、花崎さんの言葉を借りれば、ポリティクスとポエティクスが交錯する地点で作品に向かうアーティストの作品がいくつも展示されていました。そこにもまた、アートと社会運動の関係における緊張と交錯があったように思います。


ちょっとずれるかもしれませんが、リアリズムと抽象表現主義の「文化冷戦」の本が海の向こうで出版され、少し話題にもなっていますが、作品としてみれば、それぞれにいいものがあるしそうじゃないものがあるっていうか、ぼくが好きなものと嫌いなものがあるんだなぁと、今日、日曜美術館でマーク・ロスコの絵を見ながら考えてました。


====

そう、こんなことを書きたくなったのは、***さんの新左翼批判の詩に触発されたからでした。

新左翼は本当に誰も責任をとらなかったのでしょうか。
ほとんどの人が運動の場面から消えていく中で、負け続け、それでもなんとかしようとしている(もがき続けている?)人がたくさんいます。ぼくがそうだという自信はないのですが、ぼくも新左翼運動の端っこにいて、いまも運動を細々と続けています。新左翼運動に責任をとるってどういうことでしょう。何をしたら責任をとったことになるのでしょう。そんなことを考えました。

確かにいまだに内ゲバをやっていた人たちが、あたかもそんなことはなかったような顔をしているのを見るとうんざりします。彼らがどれだけ運動を人々から遠ざけ、また、特定の人の人生を壊してきたきたのか。もちろん、ぼくもいろいろな場面で人を傷つけたりしてきたことはあったと思うのですが、人を壊すことを目的として、そうすることとは違うといいたいです。

運動が力を失ったり、少しずつ代替わりしていくなかで、内ゲバをやっていた人たちが、そのことへの反省もなく、何かしようとしているのを見ると、そこでは確かに違和感を禁じ得ません。


また、三里塚闘争には、いまに語り継ぐべき豊かな内容もあると思うし、それはもっと語り継がれなければならないと思うのですが、そこでの『武装』(ちょっと書くのが恥ずかしい感じさえするのですが)や「暴力」なども、それを主導していた人たちに、もっと考え直して欲しいと思わないわけでもありません。どこかで発表されてるのかもしれませんが、ぼくは見たことがありません。

あの当時の実力闘争には非暴力・不服従という側面もあったと思うのですが、それを越える暴力もまた含まれていたように思います。そのことをいまの時点から、どう考えるべきなのか、「9条を実現しよう」という運動が単に戦術的な方便なのかどうかも、そこで問われているように思います。

ぼく自身も少しは関わったものとして、そのことを考えたいとは思うのですが、それがなんだったのかということを考えるべき人はもっといるんじゃないかと思うわけです。

管制塔闘争の被告への民事賠償のカンパ運動は、そのようなことを考える契機になりえたと思うのですが、なんだかお祭り騒ぎのように通り過ぎてしまったのは残念なことでした。



責任はいまにつながる運動の中で、考え行動する中でしか取りえないのではないか、とも思います。そこで苦闘している、いわゆる「新左翼」(ってぜんぜん新しくないのですが)の人は少なくないのではないかと思います。



思いついたことを書いていたら、すごくとりとめのないものになってしまいました。(いつものことですが)

このあたりでペンを置きます。


----- Original Message -----
From: "***"
Sent: Sunday, December 27, 2009 10:46 PM
Subject: [ppml 6314] 新左翼運動


>
> 誰も責任をとらなかった。
>
> 誰ひとりとして責任を
>
> とらなかった新左翼運動

(以下略)





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