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zoom RSS 「清浄なる精神」(第一章)メモ

<<   作成日時 : 2010/02/06 07:48   >>

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内山節さんの新聞での連載をまとめたもの。初年の11月発行。
1月27日に読み終えている。

以下、抜書き&メモ。いつも書いてるのだけど、自分用のメモ。これを読んでその気になってると痛い思いをすることもあるはず。関心がある人は自分で読んでください。

今回は序論から一章にかけてのメモ。続きも書きたいと思うけど、不明。途中で終わってるメモもたくさんあるし。



序論 未来への航路

今日の状況はあまりにも大きな思想的転換期なので、安易に思想を語ることもできなくなっていると内山さんは指摘する。
そして、この本は欧米思想ではなく、「日本の精神史」を読み解くことから始まる。それをナショナリズムに対抗する形で提起するという。日本の民衆の「日本的精神」、民衆の精神史にたちかえり、近代思想の意味を問い直すことで、国家主義・ナショナリズムに対抗する思想をつくりだすことを試みる。小泉から安倍政権の日本でのナショナリズムの高揚期にこの連載は始まっているようだ。「高まる国家主義・ナショナリズムの意識の中で」というような表現が使われている。
ともかく、そのように国家に対抗する民衆の精神というような観点から、内山さんは未来への航路を導こうとする、

第1章 理解と諒解

精神の多層構造。表層にあるのが論理的、合理的精神で、もっと深部には別の精神があるとして、柳宗悦の〈合理的理解というものは、便利な理解ではありますが、深い理解ではありません〉というのが引用される。
そして、内山さんは合理的な理解と、精神の最深部からの諒解を区別する。そして、以下のように現代を定義する。
===
現代とは諒解するかたちでつかみとっていく精神が、自分の精神のなかでも閉じ込められ、それゆえに他者のあり方を諒解し、諒解をとおして結びつくことが苦手になった時代、ということもできるだろう。
==
そして、多層的な精神の衰弱というようなことがいわれる。そこで、自分の中での理解と諒解について考えてみる、どうも、それを明確に区別するのは難しい。ぼくの中でも多層性が衰弱しているということだろうか。そう、諒解と根拠は直接にはつながっていない信仰のようなものというこおtができるだろう。だとしたら、「諒解」できるように思う。ぼくの中の「諒解」とは、「人間はいつか人間と自然を解放し、豊かな関係を再び作れるようになる」というような、ぼくの「信仰」は諒解の部類に入るものだろう。

ともあれ、この理解と諒解の違い、多層性の衰弱というのを前提に内山さんは日本の民衆精神の考察を開始する。

科学では理解できない精神の奥にあるものについて内山さんは言及する。ブルーハーツだって「心のずっと奥のほう」って歌っている。そこに通底するものがある。

===
情熱の薔薇 - THE BLUE HEARTS

作詞:甲本ヒロト 作曲:甲本ヒロト

永遠なのか本当か 時の流れは続くのか
いつまで経っても変わらない そんな物あるだろうか
見てきた物や聞いた事 今まで覚えた全部
でたらめだったら面白い そんな気持ちわかるでしょう

答えはきっと奥の方 心のずっと奥の方
涙はそこからやって来る 心のずっと奥の方

なるべく小さな幸せと なるべく小さな不幸せ
なるべくいっぱい集めよう そんな気持ち分かるでしょう

情熱の真っ赤な薔薇を胸に 咲かせよう
花瓶に水をあげましょう 心のずっと奥の方
===

内山さんは表面的なことしかかえりみなくなった現代の人間としての反省をこめて、日本の民衆思想史を探ろうとする。

ここまでに何度も日本の思想というような言葉が使われてきたが、現在使われている多くの「日本の思想」というものが幻想だということが明言される。
===
国家主義者的なナショナリストが語ってきた「日本の思想」は、多くの場合、幕末から明治へ向かう国家の形成者たちの思想で、さかのぼってもせいぜい江戸時代の儒学、国学の思想にすぎない。それは当時の多数派をしめていた「土を耕す人々」の思想とは無縁のものである。
===
内山さんとしては、これはかなり断定的な言い方でであり、ここは自信があり、きっぱりと明言したい部分なのだと思う。

問題は、そんな風に作られた日本の思想を批判する側もそれに乗っかった上での否定だったりすること。そして、日本の思想がもつ多様な全体像の明示が必要であり、それを通して国家主義・ナショナリズムを否定する思想が、日本の民衆思想のなかに存在しているということがつかみとれる、と書かれている。

日本の自然観、あるいは仏教の問題などに触れた後、この章の最後のほうで内山さんは「祈り」に言及する。
「祈り」を通してしかつかみとれない大切なものがある。

一章の最後の部分を引用
===
 そういう精神文化に支えられながら、かつての民衆の暮らしは展開した。そしてその展開する場所が村であった。だから村は、村とという人間社会を指す言葉ではなく、自然と人間が暮らす里であり、自然の神々が暮らす里、人間がいつかは自然性を取り戻して自然の一員になる里だったのである。自然に包まれてこそ人間の社会だった。

 ここに生まれたのは、知性で理解していく思想ではなく、村という場所のなかで、身体や「祈り」をとおしてつかみとっていく、その意味で諒解していく思想であった。そしてそれは絶対的に平和な思想でもあった。なぜならこの思想は、人間とは何か、自分とは何かをみつめつづけるのであって、他者を支配する思想ではないからである。
===


内山さんのアプローチはすごく好きで、共感するところが本当に多いのだが、合理的な理解と内山さんのいう諒解をこんな風に切断してしまうことの危険も同時に感じないわけではない。理解と諒解の間の断絶した部分もあるが、その多くはつながっているのだと思う。その断絶とつながりをうまくつかみとらないと、やすやすとカルトにさらわれてしまう危険もあるように思う。

というわけで一章のメモ、ここまで。






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