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zoom RSS 「日本辺境論」メモ(一部「てにをは」修正)

<<   作成日時 : 2010/04/27 07:07   >>

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前から気になっていた「日本辺境論」を借りて読んだ。けっこう待って、忘れた頃に入荷のメールが来た。大田区ではこの本、区内15 の図書館が各1冊ずつ持っている。いまでも61件の予約が入ってるので、期限までに返さなければならない。というわけで、期限ぎりぎりになってあわてて読んだ。

はっきり言って、否定したい本だ。しかし、簡単に否定してしまうのは何か違うんじゃないかと感じさせる内容も含み持っている。内田樹の毒にやられている。そして、使える部分はいくつかあるようにも思う。

カバーの裏にもアマゾンにも出ている商品説明には「日本論の金字塔」とあるが、これは言いすぎだと思う。

いつもは読書メモを書く前にアマゾンの感想を読んだりすることはあまりないのだが、読んでしまった(最近のいくつかだけだけど)。忙しすぎて文章が荒いとか、Wikiから引用しているという指摘はありそう。でも星5個の人が一番多いのも事実。

以下、いつもの自分用メモ
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「はじめに」で「大きな物語」とかビッグ・ピクチャーの可否について触れている。

そして、論点について中身に入る前にスケールを吟味するという話が紹介される。時間スケールと、地理的文化的スケール。

時間スケールの大切さについてはぼくも最近感じている。これは湯浅誠さんと内閣府障がい者制度改革推進室の室長になった熊本の東弁護士との対談に立ち会ったときに、湯浅さんが話していたことでもある。(対談はPARCのオルタ2010年3・4月号に掲載される)

例えば、望む状況を実現するまでの時間のスケール、それぞれの問題は短期的な課題なのか、長期的な課題なのか整理する。


しかし、この本にも書かれているように、何度でも問われなければならないのは「日本とは何か」「日本人とは何か」「日本文化とは何か」という問いを立てることが妥当なのか、あるいは、その問いを立てようとするときの政治的な背景、そもそも、その問いが何のためにあり、その問いを立てることによって何が書かれようとしているのか、ということ。


この書の要約は次のようだという
===
 「日本人にも自尊心はあるけれど、その反面、ある種の文化的劣等感がつねにつきまとっている。それは、現に保有している文化水準の客観的評価とは無関係に、なんとなく国民全体の心理を支配している。一種のかげのようなものだ。ほんとうの文化は、どこかほかのところでつくられるものであって、自分のところのものは、なんとなくおとっているという意識である。
 おそらくこれは・・・辺境諸民族のひとつとしてスタートした民族の…」
梅棹忠夫の『文明の生態史観』から  21p
===


そして、これを書いたすぐ後にでてくるのは<日本文化というのはどこかに原点や祖型があるわけでなく、「日本文化とは何か」というエンドレスの問いのかたちでしか存在しません>という断定。23p

次に丸山真男の「・・・。一般的な精神態度としても、私達はたえず外を向いてきょろきょろして新しいものを外なる世界に求めながら、そういうきょろきょろしている自分自身は一向に変わらない」というのが紹介される。それは国家も個人もそうだという。24p

丸山思想の内田訳
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日本文化そのものはめまぐるしく変化するのだけれど、変化する仕方は変化しない  26p
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次に引用されるのが川島武宣の『日本人の法意識』
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・・・言いかえれば、『和の精神』ないし原理で成りたっている社会集団の構成員たる個人は、相互のあいだに区別が明らかでなく、ぼんやりと漠然と一体をなしてとけあっている、というのであり、まさにこれは、私がこれまで説明してきた関係の不確実性・非固定性の意識にほかならないのであって、わが伝統の社会意識ないし法意識の正確な理解であり表現である、と言うことができる。 27p
===

しかし、それが必ずしも悪い、遅れたことじゃないというのが、内田さんの主張だ。

そして、オバマ演説が俎上に上がる。どうして、日本の首相はあんな演説ができないのかとぼくも思った(やっぱり、ただ凡庸だ)。これは政治家の資質ではなく、構造的な問題だと内田さんは書く。一瞬、信じちゃいそうだが、ちょっと待って考えたほうがいい。確かに構造的な問題はあるが、それが不可能だとは思えない。30p


辺境人とは誰か
===
ここではないどこか、外部のどこかに、世界の中心たる「絶対的価値体」がある。それにどう近づけるか、どうすれば遠のくのか、専らその距離の意識に基づいて思考と行動が決定されている。そのような人間をこの本で「辺境人」と呼ぶ  44p
===

次に国際関係の話
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・・・はるか遠方に「世界の中心」を擬して、その辺境にとして自らを位置づけることによって、コスモロジカルな心理的安定をまずは確保し、その一方で、その劣位を逆手にとって、自己都合で好き勝手なことをやる。この面従腹背に辺境民のメンタリティの際立った特徴があるのではないか  67p
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辺境人が中華思想を超克するために
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・・・それは・・・中心と周縁の物語とは別の物語を創り出すことによってしか果たされません。別にその物語はオリジナリティあふれるものである必要はありません。「イーブン・パートナーによる合従連動」…「綱領を共有する集団のゆるやかな連合」…「カリスマ的指導者による統合と救済の物語」でもいい、人類史上、集団の統合に実際に用いられた物語のどれでもいい。とにかく「中心と辺境」以外の物語によって日本人の世界戦略を語ることができれば、列島住民に深く内面化されていた「辺境人のメンタリティ」は解除されたはずです。けれどもついにそれができなかった。72p
====
内田さんはチャンスがなかったわけではないと書くのだが、これからチャンスが到来する可能性があると思っているんだろうか


国際情勢を見る目
内田さんは幕末の日本人は歴史を見る目を誤らなかったが、明治末年の日本人はそれを誤ったと書く。その違いは前者で要求されたのが「キャッチアップ」で、後者に要求されたのは「世界標準を追い抜くことだった」からだという。88p

「世界標準に準拠してふるまうことはできるが、世界標準を新たに設定することはできない」、それが辺境の限界です。97p

学ぶべき見本が外部にあり、それと比べて相対的に劣位にあるわが国の諸制度を改善せねばならない。そういう語法でしか、右翼も左翼も中道も知識人も非知識人も語ることができない。そして、そういう語法でしか語ることができないことに気づいていない。 98p


「君が代」をめぐって
それが外国にもあるから日本でも作ろうという話で出来たことなど、日本人は知らない。だから、「なぜ国歌が必要なのか」「それは何のためのものなのか」という根本的な問いがついに始まらない、と内田さんは書く。言われてみると反対する側の左翼にも「どうして国歌が必要なのか」という議論は少なかったようにも思う。ないわけではなかったが、「戦前の継承」への批判や、「君」が当時の文脈では天皇を指すのは明らかなのでおかしい」という批判が多かったようにも思う。この問いに内田さん自身は「国歌を歌え」という命令は世界標準が要請してきたものだし、国民国家体制には必要だし、合理的なものだという、わりと『常識的な』判断を示しているのだが、ここで内田さんが言いたいのはそのことではない。

つまり制度を根本的に思考するために、どうして「これ」であったのか、「これ以外」のものではなかったのか、というような問いを立てることは、その第一歩であるのに日本人はそこを問わずに、「いつからかは知らないけれど、そう決まってるから、その通りにしよう」とほとんどの人がそんな風に考えるというような指摘が内田さんの主張だ。国旗や国号についても同様だという。

内田さんは日本の辺境性を、ある場合は否定的に表現しながらも肯定的に捉えているようなのですが、この国旗国歌を例にした場合にはその流されやすさを肯定するのではなく、「合意形成のために情意を尽くす努力を継続すべきだ」という主張をしちゃいます。 110-117p


ネゴシエーションについて
ある論点について、賛成でも反対でも、どうしてその判断に立ち至ったのか、自説を形成するに至った「自己史的経緯」を語れる人としかネゴシエーションはできない、という。「譲らない」のは自説に自信がありすぎるからではなく、その意見の成り立ちが説明できないので「譲れない」のだという。ネゴシエーターはその論点の成り立ちや背景を含めた重厚な知識が必要だというわけだ。そして、それは国家も同様だという。(121-122p) 現在の政治的な状況を考えると、普天間をめぐるネゴシエーションがすぐ頭に浮ぶ。話は飛ぶが、この問題について最近のブログで内田さんは
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沖縄県民、政権与党内の合意形成が不調であるのも、当然で、そもそも「要るのか要らないのかについてさえ当事者間で合意できていないものの移転先」につい て話しているのである。
これにすぱっとしたソリューションがあるはずがない。
それを「ある」かのように語り、それが実現できないのは首相の個人的無能ゆえである(だから首をすげ替えればよい)という、メディアが採用している定型への落とし込みはよろしくないと思う。
それは問題を個人的無能に帰すことで「ほんとうは何が問題なのか」という問いをネグレクトすることだからである。
片づかない問題は片づかないだけの理由がある。
その理由をクールかつリアルに列挙してみることは、たいていの場合、問題にアドホックなソリューションをあてがうよりも生産的であると私は思う。
http://blog.tatsuru.com/2010/04/23_1012.php
====
と書いている。

このあたりから先の部分は、ぼくの読解力の問題もあると思うのだが、すごくわかりにくい。個々の文章は読めるのだが、何が言いたいのかよくわからない。全体の文脈や内田さんがこの間書いてきたことから類推すると、ネゴシエーションできないことはそんなに悪いことではないというのかと思ったら、そこは(いつものように)かなり断定的に否定している。「本当は何がしたいのか」が言えないことにも否定的だ。こんな風に書かれている。
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・・・。私たちはつねに他に規範を求めなければおのれの立つ位置を決めることができない。自分が何を欲望しているかを、他者の欲望を模倣することでしか知ることができない。123p
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わかりにくいのは、こういうことなのだと思う。
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  私は「だから日本人がえらいのだ」というような短絡的な結論を導くためにこんなことを書いているわけではありません。同じ前件から「だから日本人はダメなのだ」という結論を導くことも同じように可能だからです。国民性格とはそういうものです。136p
===
ここまで来てやっと、ぼくのもやもやしたひっかかりを解く鍵が与えられたような気がする。「国民性格」。この列島社会を構成する人々の性格を規定するということが、どの程度に可能なのかということが、やはり問われなければならないのだと思う。「国民性格」というようなことを言い立てるのは確かに楽しい話ではある。船から海に飛びこませるに有効な説得の方法というようなジョークを思い出す。ティピカルな***人というような言い方がどこまで有効なのか。そのことをいうことがどういう作用をもつのか、というようなことは問われ続けなければならないだろう。


水戸黄門についての以下のような記述でこの章は閉じられている。
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視聴者たちはこの、自己利益の追求においてはそれなりに合理的なのに、ひとたび権威を前にすると思考停止に陥る人々のうちに自分の似姿を見て、「なるほど私たちの心理はこのように構造化されているのか」と無意識のうちに再認しているのです。156-157p
====
ほんとかよ。



読書メモにいいかげんうんざりしてきた。そんな本なのだ。なんでこんな本のメモなんか書きたいと思い始めたのかと思う。


だけど、やっぱりこのような記述に出会うとメモしたくなる。
===
 日本的コミュニケーションの特徴は、メッセージのコンテンツの当否よりも、発信者受信者のどちらが「上位者」かの決定をあらゆる場面に優先させる(場合によってはそれだけで話が終わることさえある)点にあります。そして、私はこれが日本語の特殊性に由来するものではないかと思っているのです。221p
===

===
本書が論じているのは「地政学的辺境性が日本人の思想と行動を規定している」という命題ですから、当然さまざまな学術用語や専門用語を駆使しなければ論じられない。けれども、私はそれをできるだけ具体的な生活言語を使って論じようとしています。237p
===
そうしないと何を言ってるかわからなくなると内田さんは書くのだが、日常的な言葉が使われていても「辺境性が日本人の思想と行動を規定している」という命題について、結局もうひとつ大切なところへ迫りきれていないように思う。読み手の能力の問題を指摘されたら、反論はできないんだけどね。

メモも中途半端なんだが、投げ出したくなったので投げ出すことにした。




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