今日、考えたこと

アクセスカウンタ

zoom RSS 上野千鶴子「フェミニズムから見たヒロシマ」メモ

<<   作成日時 : 2010/08/01 08:39   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 0

(2012年3月26日に間違いを訂正)
上野千鶴子「フェミニズムから見たヒロシマ」2002年9月家族社(現在はひろしま女性学研究所と名前が変わっている) http://www.enjoy.ne.jp/~kazokusha/2-1shuppanbutu.html

かなり前に読んだ(と言っても、去年の8・6で加納さんから購入した本だ)が、メモを残してなかった。
10年も前の講演の起こしだが、読むべきものはたくさん含まれていると思う。

ブックレット全体のメモを書こうと思ったが、最初に収録されている上野さんの講演の部分のみについてのメモ。



2000年という10年も前に行われたシンポジウムの記録。本は2002年に出ている。メインスピーカーが上野さん。講演録なのだが、その前フリの部分で上野さんは以下のようにいう。

===
今回「フェミニズムから見たヒロシマ」などという、私にとってはとんでもない難問を投げかけられました。
・・・加納(実紀代)さんは、日本女性史が被害者史観中心だった時代から、…「銃後史」というこの世にはない言葉をご自分でつくられて、過去30年間、女性の戦争への加担を掘り起こしていらした民間女性史家でいらしゃいます。・・・私がここに参りましたのは、加納さんのこの30年間にわたるお仕事に対するひたすらなる敬意からです。
===
とのこと。

さまざまな話題をつまみ食いしているような講演録だが、軸にあり、結語で明記されているのはフェミニズムが戦争という営みに対抗しうるのは「あらゆる暴力の犯罪化」であり、そこではすべての戦争が否定されるべきということ。

喧嘩好きに見える上野さんだが、実はすごく原則的な平和主義者だ。

この講演の中で上野さんはふたつの暴力が犯罪とされてこなかった歴史を指摘する。戦争と家庭内暴力。それを市民社会に属していない「国家領域」と「私領域」の暴力だ。それを「公的暴力」「私的暴力」と名づける。

そこで上野さんはリンダ・カーパーという女性史研究家を紹介する。彼女が気づいた仕組みとして「公的暴力・私的暴力の非犯罪化が、市民社会における暴力の犯罪化と同時に成立した」というのを紹介する。ここから市民社会の外部にあるふたつの「無法地帯」という話につながる。

それが国家による暴力と家庭内暴力であり、従来、犯罪とされてこなかった。ここにフェミニズムと反戦運動が交差する地点がある。

上野さんは国家による暴力について、戦勝国が正義とされ、その暴力が免罪されてきたことにも注目している。

いろいろ書かれているが、冒頭に書いた
===
フェミニズムが戦争という営みに対抗しうるのは「あらゆる暴力の犯罪化」であり、そこではすべての戦争が否定されるべき
===
という結論がここで導かれている。



他に興味深かったところをランダムに紹介


上野さんは本題に入り、まず最初に「シンボルとしてのヒロシマ」という問題を提起する。

敗戦ドイツのシンボルはアウシュビッツで加害者性から出発するほかなかったのに対して、戦後日本の出発点は「受難のシンボルとしてのヒロシマ」だったので、日本では「加害者性」の代わりに「犠牲者性」が構築されたと上野さんは指摘する。

そのように指摘した上でではあるが、プロヴォーキングな上野さんは「女性の戦争への加担を掘り起こして」きた加納さんを前にして、「極端に言えば、それが(参政権)なかった女に、そもそも戦争責任なんかないと開きなおって言えないこともありません」という。



『愚行権の平等』の否定
フェミニズムがあらゆる領域における平等を求めるなら、戦争というような『愚行』への参加も平等にという主張に対して、上野さんは以下のように簡単に切り捨てている
===
・・・「愚行権の平等」を求めるのがフェミニズムだという安直なフェミニズム理解、あるいは男性的なフェミニズム誤解が流通しています。フェミニズムに対するこの誤解は、オヤジの想像力の貧困を表しているにすぎません。自らを基準にしかジェンダー平等を考えることができない、彼らの限界を表しています。
===

講演会で話したことなので、かなり短絡化した話がされていると思うのだが、この切り捨て方はどうだろう。まず、一つのフェミニズムなんて存在せず、複数形のフェミニズムズと呼ばれなければならないとすれば、これもひとつのフェミニズムだろう。現に米国の主流の女性団体がこの主張をしているはずだ。その論争に自らも参加し、当然知らないはずがない上野さんのこの切り捨て方には違和感が残る。また、『男性的なフェミニズム誤解』という表現もかなり本質主義的な批判といえないだろうか。平和主義と母性の結びつきという主張における本質主義を、このすぐあとで明確に批判しながら、こういう批判はないだろうと思う。


この話と少しつながると思うのだが、切断された書き方になっているのが、「女性の国民化」批判。ポストコロニアリズムを手がかりに植民地人の同化の拒否からのアナライズ。

ポスト構造主義のジェンダー理論としてクルスティーヌ・デルフォイを紹介。「ジェンダーとは二つの項のことではなく、非対称な二つの項をつくる差異化の実践」と定式化。彼女の主張するジェンダーの意義が引用されている。
===
男に似るということは、支配するものになるということである。支配するものになるためには支配されるものが必要になる。…みなが同じように「支配するもの」になる社会は考えられない
===
そこで、ジェンダー平等のゴールは男に似るということではなく、ジェンダーの解体であるという結論が導かれる。



少しこのブックレットから離れる。

この「ゴールはジェンダーの解体」という明確な主張から連想したことがある。それは、石垣りんの「今迄の不当な差別は是非撤回してもらわなければならないけれど、男たちの得たものは、ほんとうに、すべてうらやむに足りるものなのか。女のしてきたことは、そんなにつまらないことだったのか」という主張。

そして、このような説明を自らつけた彼女の詩は、その代表作ともいえる「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」
(全文はhttp://tu-ta.at.webry.info/200803/article_19.htmlに書いているし、その前にhttp://tu-ta.at.webry.info/200608/article_9.html
でも、この詩に言及してます)

この詩の中で石垣さんは以下のように言う
===
炊事が奇しくも分けられた
女の役目であったのは
不幸なこととは思われない、
そのために知識や、世間での地位が
たちおくれたとしても
おそくはない
私たちの前にあるものは
鍋とお釜と、燃える火と

それらなつかしい器物の前で
お芋や、肉を料理するように
深い思いをこめて
政治や経済や文学も勉強しよう。

それはおごりや栄達のためでなく
全部が
人間のために供せられるように
全部が愛情の対象であって励むように。
===

この主張がジェンダーの解体という主張とつながるのか、つながらないのか。

男もまた、この豊穣を享受すべきだという主張に立てば、それはジェンダーの解体につながるといえるかもしれない。

しかし、それだけではおさまりきらないものもあるように思う。

ここで、ジェンダーとは何かという話になるのだが、イリッチやドゥーデンが主張した守るべき価値としての「ジェンダー」(ゲヌス)という話と、解体すべきジェンダーという定義の対立について、再び考えてみることが必要なのではないかという気もする。(いつでもジェンダー平等というような考えかたをバッシングしてやろうというような輩がうごめいている中では危険な作業かも知れないが、・・・・)

このあたりの話が藤岡美恵子さんのマヤの宇宙観のもとでの性別役割分業の肯定という話もダブらせながら、もう少し議論される必要があるのではないかと直感している。

ここではこれ以上、書けないけど。


===
2012年に訂正したのは、ブックレットと書くべきところをリーフレットと書いてしまってたところ。
そして、読み返してみて思ったんだが、ぼくは上野さんに「プロヴォーキングな平和主義者」という呼称をあげよう。



テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(1件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
依存と自立の倫理 メモ
ちょんなことから、とある研究会での、金井淑子さんが書いた『依存と自立の倫理  〈女/母(わたし)〉の身体性から』という本の合評で、少しだけコメントすることになった。 そこでコメントの際に配布したメモを一部カット及び訂正などしつつ掲載。研究会での金井さんのコメントを含めた、ごく短い感想は最後に。 ...続きを見る
今日、考えたこと
2011/03/07 03:05

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文

トップ頁の右上に広告が入るようになっちゃいました。それがいやな人はさらに追加してお金を払いなさいとのこと。というわけで、この広告クリックしないでください(なんて、けなげな抵抗)。==============ブログ内ウェブ検索

ブログ内 を検索
上野千鶴子「フェミニズムから見たヒロシマ」メモ 今日、考えたこと/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる