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<<   作成日時 : 2010/11/06 02:02   >>

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『精神性を基盤とするコミュニテイ研究会立上げ準備会』に関するやりとりが某運営MLで流れ、触発されるものがあったので書いた返信を若干訂正して、以下に転載。
この準備会に興味がある人は
http://groups.yahoo.co.jp/group/ancientfutures/message/5877
を読んでください。


====
ごぶさたしてます。

tu-taです。なかなか参加できなくて、ごめんなさい。

いまは、来月13〜14日のAPECへのカウンターアクションの準備に少しだけかかわったりしています。
興味がある人は「いらないAPEC」で検索してみてください。


で、この『精神性を基盤とするコミュニテイ研究会立上げ準備会』、興味深いですね。なんだか、ずいぶん触発されちゃいました。

「なつみら」が「協力」というに異議はないですが、協力とするのなら、ちょっと面倒ですが、プロセスの共有は欠かせないかなとも思います。

どんなテーマで何が話し合われたのか。どのような話し合いが行われたのか、というような。(ま、ぼくが知りたいってことなんですが(笑))

ということを前提に、ぼくの独り言のような感じたことを以下に書かせてもらいます。
それなりに読み流してもらえたら、幸いです。

=====
日本ではどうしても宗教、とりわけカルト系のそれと混同されやすいスピリチュアリティをどのように表現していくのかというのが鍵になりそうな気がします。

そして、かなり内発的なものと密接にかかわると考えられているスピリチュアリティをどのように共有できるのか。

ひとつ間違えると、本当にカルトになってしまう危険もあるかもしれません。
そのあたりを呼びかけの中でも明確にしたほうがいいかもしれないと思いました。

日本社会ではスピリチュアリティといえば、出てくるのが太った占い師だったりすることが多かったりしますよね。

そういう意味で、
「精神性」という日本語をあてているのは、賢明だと思うし、新しいタイプのコミュニティを維持するためにそういうものが必要なんだろうと思ったりもするのですが、それはコミュニティを維持するために必要なのか、生きるために必要なのか、そのあたりも迷うところです。

おそらく、「どちらも」なのだと思います。


新しいコミュニティを作り、維持していくために、そこに共通の祈りのようなものが必要かもしれないと、ぼくも思うのですが、それを無理に定義しようとすると壊れてしまいそうだし、だからといって、見えないままにしておくのも危険、そんな感じがしています。

ぼくが少し関わっている「ラルシュ」(フランス語で箱舟)という知的障害者を中心としたコミュニティがあるのですが、そこも祈りを中心にしたコミュニティだと自らを定義しています。

宗教はなんでもありだし、無宗教でもいいとされています。ま、創設者がカトリックの人なので、世界で100箇所以上あるコミュニティの多くはクリスチャンが主導していますが。
http://tu-ta.at.webry.info/200606/article_28.html
なんかに少し書いてます。
そんなコミュニティでも内部でのコンフリクトは絶えません。
コミュニティの親密さが濃ければ濃いほど、難しい問題も多いのかなと思います。


そんなに言うなら、参加すればいいじゃん、という話でもあるのですが、

残念ながら、ぼくは1回目も参加できないし、実践に向けた準備も心構えもできていないので、2回目以降も参加できない可能性が高いですが、ぜひ、中身はシェアしてもらえたらと思います。


P.S.
そう、最近読んだ本ですが、『希望難民ご一行様』これもなかなか面白かったです。
この本の中でも「流動化する社会への処方箋として複数の論者が新しい共同体の可能性を提示」しているものが紹介されています。
これも読書メモを書いてるので、よかったら読んでみてください。
http://tu-ta.at.webry.info/201010/article_9.html



P.S.2
あと、現代の日本列島社会の文脈で新しいコミュニティを模索するというような試みも必要なんだと思います。

日本の伝統的なコミュニティと現代の日本人。
伝統的なコミュニティから何が継承できるのか。
また、現代の日本人が置かれている状況は何を必要としているのか。

日本に限らず、資本主義が発達した社会では、拡大再生産が前提となり常に経済を拡大させること、便利さを追求すること、効率を追及することがメインストリームであり続けてきました。

そして、それは国民国家と対になり、国民国家単位での利潤追求が求められ、戦争を引き起こしたりもしてきました。

資本主義と国民国家はさまざまな場面でいのちよりも利潤を優先してきました。そこからの大きなパラダイム転換が求められているのだと思います。

わたしたちが新しいコミュニティを求めるというのは、その転換が可能だという「しるし」になることでもあると思います。

魅力があって、実現可能だと思えるようなコミュニティを作ることができるかどうか、もしかしたら、それはわたしたちが更なる野蛮に向かわないで生き延びることができるかどうか、という話にさえつながるのではないかと思います。


書き出すときりがなくなりそうです。

深夜にこれを書き始めて、少しナチュラルハイです。
ぼくの場合、ライティングハイと言えるかも(笑)。


そんな落書きみたいなものをいっぱい書き散らしてるなぁ。

このあたりで、やめときます。


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