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zoom RSS 「かかわりのなかにある支援」三井さよさん メモ (雑誌『支援』Vol.1集録)

<<   作成日時 : 2011/06/27 20:15   >>

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雑誌『支援』Vol.1特集《「個別ニーズ」を超えて》収録の三井さよ論文「かかわりのなかにある支援」がとても興味深かったので、F.B.のノートに書き溜めた。
だいたい書き終わったので、こっちに転載。


引用、で、途中とかにちょっとだけコメント

===
●「個別ニーズって言葉が最大の敵なのよね」

・・・

・・・就学相談や「話し合い」の場において、教育委員会や学校がしばしば用いるのが、「この子の個別のニーズを満たすには、特別支援学校や特別支援教室の方がふさわしい」という言い方である。これは、親としてはもっとも揺るがされる言葉なのだという。・・・ 9-10p

===

===
●個別ニーズ視点

「個別ニーズ」という表現の用い方が象徴的に示しているのは、ある人の個別ニーズを捉え、それに応えようとすることが、ときにその人を排除する論理になるということである。 個別にニーズを捉えること自体は、大切なことだろう。確かに誰かが何かを必要としているから支援するのである。・・・。

・・・。

ただ、当事者にニーズがあることを「前提」としたとき、いくつかの重要なことが見失われがちなように思われる。

第一に、自分(=支援する側)自身が相手とどうかかわっているのかという視点が欠けてしまいやすい。相手を「ニーズのある人」として規定し、「個別のニーズ」を特定し、そのうえで相手とどうかかわるのか決めていけば、そもそも自らや周囲がその人にどのようにかかわっているかという視点が欠けがちである。

これは具体的な視点のやり方や姿勢というより、視点の問題である。・・・。

(ちょっと長い略)

・・・。本当に「ニーズ」を有するのは当事者なのか、問うてみる必要がある。もしかしたら、周囲の人たちこそ、態度やふるまいを改めなくてはならないのかもしれない。

第二に、当事者にかかわる主体として、主に親か、特定の支援者しか視野に入ってこなくなることが多い。現に普通学級への就学を拒否するという文脈で言うなら、特別支援学校の教員など特定の支援者による支援が必要だとみなされ、他の子どもとのかかわりがその子にとって持つ意味や意義はほとんど視野に入れられていない。

・・・。

第一の点と第二の点は密接に結びついている。当事者をまず、「ニーズのある人」と規定してしまえば、そのニーズに応えられる人しかかかわらない方がいいということになりやすいからである。当事者に対して「望ましい」対応をすることが重要だということになれば、当事者を取り巻く人たちは「理解」ある優れた人たちだけに限定した方がいいということになってしまう。

当事者が生活していく上で、必要な支援はたくさんあると思う。だが、何をすれば支援になるのか、何をいまここで誰が必要としているのか、それは当事者を取り巻く人たちのかかわりを前提として、そこから問い直していくようなものではないだろうか。これをここでは、個別ニーズの視点と対比して、「かかわりの視点」と呼びたい。当事者がわたしを含めた多様な人たちとかかわっていることを前提として、そのかかわりをひとつひとつ問い直していくことから、いまここで誰が何を必要としているのかが見えてくる。当事者のニーズという前に、私たちの不当性が問われなくてはならないこともあるかもしれないし、そうではなくもう少し広い目で見なくてはならないこともあるかもしれない。

・・・。  10-12p

====


**さんにかかわろうとするとき、あえて「個別ニーズ」と呼ぶ必要があるのか、という話なのかなぁと思う。**さんはこんな風にされるのが好き、だとか、**さんは**が苦手だから、こうしたほうがいい、とか、・・・。個別ニーズという風に抽象化したときに**さんに本当に大切なことが抜け落ちてしまうのかもしれない。


この文中で、三井さんは「多摩地域の支援活動」と連発し、注4ではそれは「本当は語弊のある表現だ」と書いてはいるものの、確かにこの表現には強い違和感が残る。多くの収容施設をいまだに抱えている地域もまた、多摩ではないかという思いがあるから。

で、これ以降を大幅に飛ばして、結語を紹介しようとおもったが、そこの説明が必要なので、以下にその部分をまず、引用。

===
●「望ましさ」と「あたりまえ」

・・・ここでいうかかわりの視点と個別ニーズの視点は、発想が大きく異なっている・・・。かかわりの視点は、その前提となっている多様な人たちがそれぞれにかかわることを「あたりまえ」と捉えている。この発想は、個別ニーズ視点に限り、なかなか生まれない。「ニーズ」はもともと規範性を帯びた概念であり、個別にその人にとっての「望ましさ」を判断し、「望ましい」状況を生み出そうとするものである。

「あたりまえ」は「望ましい」とは似ているようであって、異なっている。「望ましい」は合理的理由づけが可能であると同時に、必要でもある。「あたりまえ」には理由づけは不要であり、無理に理由をつけようとすれば、意味が変質してしまう。 37-38p

===

結語部分

===
その人にニーズがあるというところから始めるのではなく、かかわりから始める。何が望ましいかという発想だけでなく、あたりまえという発想から始める。そうした支援のあり方もまた、重要なのではないだろうか。 41p

===





しかし、「あたりまえ」というのもまた、規範に変わりえるのではないか、当事者にとっての「あたりまえ」という社会規範は、メインストリームの「あたりまえ」とは明確に異なったものにだろう。「あたりまえ」という発想が無前提に使われてしまうのは怖いと思う。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
先日はどうもお疲れさまでした!

どちらのご指摘も、本当に「そうだよな〜」と思ってしまいました。多摩地域という呼称は考えなおす必要ありですね。そうとしか言えなかった自分の思いは大切にしたいですが、あまりに乱暴すぎます。

「あたりまえ」の話も同じです。「嘘をつかない」ことだけにしがみついて書いていたので、それしか書けなかったけど、そんな言い方では乱暴すぎます。ここはずっとずっとの課題です。でも一番、書きたいことでもあります。

精進します。

でも、コメントいただけること、本当に少なかったので、とってもとっても嬉しかったです!(研究仲間もほとんど何も言ってくれないのですよ、なんでだろ)

今後もぜひビシバシとおっしゃってくださいませっ
ちょしゃです
2011/07/27 19:23
三井さん、コメントありがとう。
でも、ほんとうに面白かったですよ、これ。
ただ、ぼくのコメント、あら捜しが目に付いちゃいますよね。
面白いのが前提です。読んだ人、勘違いしないでください。

三井さんがコメントかいてくれたから、持ち上げるわけじゃないです。はい。正直、確かにそれはないとはいいませんが、ぜひ、読むべき内容満載のはずです。これだけのために「支援」を買ってもいいはず。きっぱり。
tu-ta
2011/07/29 04:14

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