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zoom RSS 《精神医療論争史》メモ、その4

<<   作成日時 : 2011/07/25 04:58   >>

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第12章 ● 谷中輝雄とやどかりの里

この本の著者、浅野弘毅さんはデイケアを始めるにあたり、表題の谷中さんに「指導を請うた」と書いている。

この章の3節「谷中の思想」で、彼が「社会復帰」の目標を、就労や一人前として生活できることにおくのではなく、あたりまえの人としてのつきあいや生活においている、と紹介される。「一人前として生活できること」というのはよくわからないが、ゴールを就労に置かないというのは検討に値する話かもしれない。その選択肢と、べてる流のもみくちゃにしちゃうような選択肢が両立可能なのかどうか。

ぼくは、いま準備している仕事の中で、障害者が来て、居心地のいい場所を準備して、ずっとここにいられたらいいかなぁとか思える場所にしても、しょうがないんじゃないかと思ってきた。

その問題はとりあえず、置いて、再び引用
===
 ・・・援助する側の活動は組織が大きくなればじきに官僚化の弊害が生じ、時間の経過とともにマンネリ化が起こってくる。谷中は、そのことにも絶えず腐心している。
「安全で安心できる場づくりや喜びや楽しみを通して、前向きで生き生きと生きることを共にしていくことを目標にかかげることはできる。しかし、活動の場が生き生きとしたものであるためには、かかわる側の姿勢やかかわる側のすこやかさ、ゆたかさ、ゆとりが問題となってくるのである。」
139p===

「前向きで・・・」とかいうことにも少しひっかかるのだが、かかわる側があっぷあっぷしてたり、カリカリしてたりじゃだめなんだろうな、とは思う。


次に、谷中さんの著書「生活支援」(1996年)について
その基本的な考え方について以下のように書かれている
「その人なりの生活、その人らしい生活を認めるということは、普通の状態へ持っていくための訓練や指導を抜きにして、生活を支えていくということであり、それが『生活支援』の原点・・・」「ありのまま受け入れること。それを継続的に見守ること、が大切なことである。その結果を性急に求めたりしないことである。そのまま変わらなくてもよいのである。周りが継続して困った時の支えてであれば、それでよいのである。」
139p


精神科医や作業所への批判もある。精神科医への批判は飛ばして、作業所への批判というか、エールをタイプしておこう。
「せっかくできた作業所を、なんのことはない、彼らの内的世界をどんどん細めてしまうようになってはいけない。作業所は人によってはそこでくつろぎながら、やがて時を経て働くということに結びついていく場であってほしいと願うのです」
「我々は作業を否定したのであった。正確に言えば、病院内でしている作業療法をそのまま地域内での活動の場に移すようなやり方や考え方を拒否した。」
「活動助成金を受け、その範囲内で施設ケアを提供するだけでは、地域は精神障害者にとって差別と偏見の場、再発を生みだす原因としてありつづけることになる。」


何が求められているのか、回答に向けた一つの示唆ではあるが、これがすべてではないし、違うこともあるだろう。

疲れたから寝ます。




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