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zoom RSS 《べてるの家の「非」援助論》メモ (SST以外について)

<<   作成日時 : 2011/08/03 03:16   >>

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「べてるの家」のSSTについて
( http://tu-ta.at.webry.info/201107/article_12.html )
はもう書いたので、それ以外の部分について


読み返すと、今回も脈絡のあまりないメモを書き連ねている。


向谷地さんは《べてるの家の「非」援助論》で「苦労が多いから商売をするのだ」という。精神障害のある人を無風状態に置くのでなく、あえて「生きる苦労」がある場所に出すという選択。まさに「非」援助論。地域でまるごと生活にかかわるという前提がないと難しいかもしれないとも思う。


《べてるの家の「非」援助論》のマンガやイラストがけっこう好きだ。88pに掲載されてる古海くんのやさしい幻聴さんの話。一人で黙々と食べてると幻聴さんが「うかいか?うまいか?」と聞いてきて、「おいしいよ」と答えたら、お母さんがそれを聞いて、「ハイハ イ、ありがとう」って絵がいい。



「金曜ミーティング」三つの柱

司会者がそれぞれに気分と体調を聞いていくことからはじまり、次の3つの柱にしたがって進んでいく。


1、みんなで「今週の良かった点」を出しあう。

たとえば、「今週は注文がたくさん入り、売れ行きがよさそうで安心しました」というように。どんな小さなことでも、仕事や生活を通じて得た実りや収穫を分かちあう。


2、次に「今週の苦労人」

「友達に金を貸してくれってせがまれて大変です」というようにお金の貸し借りで苦労した人や、体調がすぐれなかった人など、いろいろな人の苦労が紹介される。「○○さんの苦労はとっても良い苦労ですねぇ」といって誉めてもらえる。


3、最後は「さらに良くする点」

ここで、仕事を通じて感じたり気づいたりしたことを出しあう。よく問題点を指摘する人もいるが、あくまでも「さらに良くする点」についての具体的な提案を言ってもらう。
こういうミーティングなら開催可能かも。真似してみようかと思う。



べてるの家の元気の秘訣には、コミュニケーションの活性化を図るための独特な工夫があります。なかでも特徴的なのが「生きるプロセスを支える」という発想・・・精神障害をかかえながら生きる過程を、五つのステージでとらえることです。

ステージ1…自分でも理解できない症状に驚き苦しむ時期。精神障害の受け入れがたさに反発したり、拒絶したりする時期。

ステージ2…失われたものをとりもどそうと、必死に努力したり挑戦する時期

ステージ3…望んだ結果が得られず、あらためて病気の苦しさのなかで絶望的な心境に陥る時期。

ステージ 4…少しずつ病気がわかり、同じく病気をかかえながら生きようとしている仲間の存在が見えてくる時期。

ステージ 5…病気や障害の苦労を、意味ある有用な体験として社会に向かって語り、生きることのメッセージを伝えることの出来る時期。

べてるでは、とにかくそれぞれの時期(プロセス)を十分に生き抜くことを重んじます。医師の診断が受け入れがたくて反発を覚えるときには、思い切り反発することが大切なのです。通院を拒否したり薬をやめたりすることも、病気とともに生きる大切な準備のプロセスとして、「順調だよ」と評価してもらえます。
「それぞれの時期(プロセス)を十分に生き抜くこと」について思う。これ、精神障害に限らず、例えば身体障害などでも必要なことだったりするのではないだろうか?否、もしかしたら、障害と名づけられるもの以外でもけっこう必要なんじゃないかと思う。



「弱さ」はそれ自体で一つの価値である

仕事も含めて、あらゆる作業や事業を進めるなかでわかってきたことがある。それは、到達目標や注意事項を強調するよりも、各人がかかえる弱さやもろさから今後おきるであろうさまざまなアクシデントを事前に予測して、それをお互いに知らせあうことが大切だということだ。

つまり個々の「弱さの情報公開」をすることを通じて助け合いが生まれ、結果としてリスクを回避する効果がある。こんなことも経験的にわかってきた。

弱さとは、強さが弱体化したものではない。弱さとは、強さに向かうための一つのプロセスでもない。弱さには弱さとしての意味があり、価値がある――このように、べてるの家には独特の「弱さの文化」がある。

「強いこと」「正しいこと」に支配されてきた価値のなかで「人間とは弱いものなのだ」という事実に向き合い、そのなかで「弱さ」のもつ可能性と底力を用いた生き方を選択する。そんな暮らしの文化を育て上げてきたのだと思う。195-196p
《「弱さ」のもつ可能性と底力》か、と思う。弱いものがその弱さをオープンにすることで生き残りを図るというのは面白い。それは、弱さを強さに転換するという話ではない。弱いものが弱いまま生きていけるような社会が必要だと思う。そういう社会を強さを武器にしないで実現する方法を探さなければならないのかもしれないとも思う。

強くないけれどもいつかは社会をひっくりかえしていけるような社会運動。なかなか難しい話ではある。強いものはいつまでもその強さを手放そうとはしないだろう。しかし、逆説的に強いものが強さを手放そうとはしないのは、自らの弱さを自覚しているからともいえるかもしれない。その強さを包み込み溶かしていってしまうことができるような運動が構想できるだろうか。

そして、「正しさ」について思う。弱いものの存在が弱いまま無条件に承認される社会をめざすって、すごく正しい正義にかなった話ではないだろうか。そういう正しさは手放したくないような気もする。これは常にメインストリームの正しさを疑うという風におきかえるのが、厳格なのかもしれない。「強くなるのが望ましい」というようなメインストリームの正しさ。しかし、同時に、もし時代が変わって、違う価値観がメインストリームになるようなことがあれば、その価値観もまた、相対的に疑われ続ける必要があるのかもしれない。

そういえば、《『発達障害チェックシートできました』メモ その5》 http://t.co/fyJzSMW から考えたことを以下のようにツイートした。

「《正論をぶつけあうのではないアプローチ》という問題提起。社会運動の前提に正論がある。そうではない解決の技法について考えることもまた、必要になっているのかもしれないと考えた」
ここまでが、そのメモに書いたこと。

以下は、それを受けてツイートしたもの
多様性と正義の関係か、例えば、障害者には発達保障が大切で、特別支援学校でのちゃんとしたサポートが大事だという意見がある。もちろん、それには与さないが、そこで正論をぶつけあうのではないアプローチが考えられるだろうか。とりあえず、自分のこどもについては親が決めたことが尊重さ れる。しかし、そこでの決定の前提になる環境が整備されなければならないという現実がある。例えば、地域の学校の普通教室でこどもが教育を受ける権利。それを実現するためには教育委員会に対して、正論を主張することが必要になる。 そこで思うのだが、権力関係を抜きに、多様性と正義の関係の議論は出来ない
正義と多様性の話はすでにいろんな人が書いているだろう。(読んでないけど)

その多様性のなかで、ぶつかりあう正義をどう調整するか。

社会運動は、基本的に正しいと思えることを追求してきた。そして、現実にいろいろな場面で多様な正義がぶつかりあうということも経験してきた。ここで提示した障害児教育をめぐる議論のように、明らかに意見がぶつかる場面もある。この例では、これまで、それをお互いに排除しあう関係しか、形成して来れなかった。同時に、昨今、この意見の違いを越えた共闘関係などもできている。しかし、そこでは、そのような意見の違いはないものとされているようにも思える。意見の違いは違いとして明確にしながら、お互いの意見をリスペクトし、それでも共通の課題については追求するようなことが求められているのだと思う。

そして、権力や暴力を使って、少数の意見を押しつぶすものたちには寛容であってはならないという部分もまた、必要なのだろう。そのあたり、非常に微妙なバランス感覚が必要な部分といえるかもしれない。



話がそれたので、べてるの話に戻す。

職場としての「べてる」を想像してみた。オーガニックであるかもしれないけれども、オーガナイズされていない職場。こんな職場が働きやすいかどうかは難しいところだ。嫌いな人は多いだろうし、ぼくもイライラしちゃうかもしれない。

こんな風に書かれている。
まわりの人たちにたいして「仕事はもう少してきぱきと。計画的に。口を動かすよりも手を動かして」などと考えはじめると、イライラが体中に充満してくる。とくに職場の問題点を掻きだすように積み上げたり、正しく規律ある職場に仕上げようとしたり、人の落ち度が気になる人たちには、気の毒なことに毎日怒りがおさまらない。

すると早坂さんに痛いところを突かれたりもする。

「問題だらけのべてるで問題を探したって、無限に出てくるよ。そのうち、このどうしようもなさが、なんとも言えない味になってわかるときが来るから。あんた、本当は自分に怒っているんじゃないのか。べてるにくると病気が出るからなぁ……」

「べてるの家の人たちはみんな話がうまい」とか「にぎやかですね」とよく言われる。それは「どんな無口な人でも、べてるに来ると腹が立って、つい文句の一つでも言いたくなる」ほどの無責任体制のためかもしれない。208-209p
オーガナイズされていない感じがよくでてる文章だと思う。こういう環境って、居心地が悪くて、ダメな人もいるのだと思う。以前、バンガロールのラルシュ(アシャニケタン)の作業場で似た感じを覚えたのを思い出した。あのときは、もう少しオーガナイズされた働き方があるだろうに、と思ったのだけど、いまはどうなのかなぁ。バンガロールのアシャニケタンは変わったかなぁ。で、ぼくはどうだろう。なかなか、そこからは自由になれないかなぁ。

このすぐあとにボヤ騒ぎを起こして、それまでの盗癖もあり、話し合いの中でべてるの住居から退去が申し渡された人の話が紹介されている。向谷地さんは以下のように申し渡したという。
「この一月の北海道の寒さのなかで帰る家もなく、お金もないあなただけど、あなたには、どんな方法を使っても生き抜く力があることがわかった。私たちは今日、なんの不安もなく、あなたにべてるを退去していただく。さあ、お帰りください……」

拍手とメンバーの激励を受けながら、彼は頭を掻きながら極寒の浦河の町に出ていったのである。

べてるの家のメンバーの元気の秘訣は、このような「自己責任体制」のなかにあると思う。なによりも、生活のなかで派生する数多くの危機や苦労に直面してきたことと無関係ではない。それで、病気にもなる。入院もする。しかし不思議なことに、入退院を繰り返すほど元気さが増し、たくましさが増してくる。209p
追い出されたこの人、その後、どうなったのかなぁと思う。

《このような「自己責任体制」》、けっこう微妙なバランスの上で成立しているはず。軽妙に書かれているが、話し合いで住居を出て行ってもらうと決めるのは、そんなに容易な話ではないだろう。


想像もしなかった精神病院への入院を経験し、自分の人生はもう終わりだと嘆き、自分の運命を悲しむ当事者たちが、にもかかわらず、私の人生は意味あるものだということを見出していく、そのプロセスを共有することが私たちの役割だとするならば、それは、ともに自分の弱さを知り、ともに自分を担うという過程のなかでしかお互いの関係は深まらないのではないか。

しかも、その深まりと成長のためには、社会的ないかなる実績とか成功よりも、お互いの「弱さ」そのものが必要となるのである。214-216p
「ともに自分を担う」というのが難しいと思う。しかし、互いの関係の深まりに互いの「弱さ」そのものが必要というのは、日常生活でも大事なポイントかもしれない。



いままでの地域リハビリテーションの考え方では、当事者の人たちは依然としてサポートを必要としている人たち、治療を受けなくてはならない人たち、ある面で不十分さをもっていて乗り越えなくてはならない人たちだったんです。しかし、「不十分」で「克服していく」人たちというよりは、むしろ緩和装置をもった人たちの「可能性」みたいなものを、地域とか治療の側の人間は着目していかなければならない。218p


そもそも、「障害といえば、リハビリテーション」というメディカルモデル的な考え方が、そういう観点から縁遠いんだと思う。さらに続けて向谷地さんは以下のようにいう。
「社会復帰」という見方は、この人たちのもっているセンサーを見逃してしまう。
この前の部分で《”発病する”ということが「関係の危機を緩和する装置」として働いている部分が見えてきた》といっている。

多くの普通の職場は病気の人の具合が悪くなるような側面を持っている。どんな場面でこのセンサーが有効なのか、例えば、職場の空気が澱んできたとか、そういうことへのセンサーなのだろうか。鉱夫のカナリアとしての精神障害者? ちょっとわかんない部分もある。




最後のほうで浦河の医師の川村さんを映像作家の四宮さんがインタビューしていて、これがまた興味深い。

いま浦河でやっているのは、病気であるかどうか以前に、本人の苦しい経験や思いを初めて人に伝えた、自分の言葉として発したということです。ぼくはそこに最大限の価値を見たいし、あるいはそこに光を当てたい。231-232p

という。病気かどうかより、いま、学校で困っている状況をどうするかという視点は『発達障害チェックシートできました』にあった。ここでは「病気かどうか以前に、本人の苦しい経験や思いを初めて人に伝えた、自分の言葉として発した」というところが大切だという。何かつながるものがあるかもしれない。

また、更に続けて以下のように続く。
それがすごいんだよね! というように。そして、そういう経験をした人、ほかにも同じような人がいるんじゃないだろうか。ずいぶんいるよね。じゃあ、みんなで相談してみようよ、と。

そういう段階をいっぱい経たなかで、たとえばクスリがどう役に立つのか先生に聞いてみようとか、お互いにどういうふうにクスリを役立てているかとかを語りはじめることから大事なつながりも生まれてきて、病気ということの重さから多少とも解放されていくんですね。232p

川村さんがそのように考える前提にその当時(2002年?)の精神医療の現状がある。症状が悪いと、どんどん薬の量を増やしていく、というような。その精神医療の現状はそこから10年を経て、少しは変わっているのだろうか。ぼくにはあまり変わっているようには見えないのだけど。ともかく、そんな医療の状況で、症状がよくないというと、薬を増やされるから、医師には黙っていたり、本当のことをいわなかったりということになる。べてるの仲間から教わったのはそういう現状であり、その気づきから「治療の場のあり方」を変えていく展望があるのだと川村さんはインタビューに答えている。

また、幻聴をなぜ「さん」付けで呼ぶのか、という話もいろいろなところで、語られている話ではあるが、ここでわかりやすく整理されている。以下のように語りが紹介された上で、川村さんの意見が提出されている。

「先生、幻聴さんって、やっぱり、怒ると向こうも怒ってくるんです」

「普通の人間とつきあうのと同じです」

「幻聴さんの言うことを最近は聞いてあげたら、たまには幻聴さんもいいことを言ってくれるかな」とか。そう思うと幻聴さんのほうも、「お前、最近はよく聞く耳を持っているな」と誉めてくれるとか。そういう非常にいきいきとした幻聴さんとの関係が伝わってくるんですよ。

われわれは幻聴を非常に否定的なものとして見ていましたから、さんづけどことか早くクスリで、それこそ殺菌剤でバイキンを殺すように幻聴をなくさないといけないと思っていたわけです。そこがまったくいまは変わってきて、さんづけして、いいおつきあいをしていこうということです。そういうことを大事にするのが、現実の人間関係がよくなることにもとても役立っているんだと。236p


多くの人が精神病というだけでその存在を否定され、バイキンのように扱われてきた歴史をもっていて、ある程度それを内在化していたのではないだろうか。その人たちが他者との関係を形成する上で、この幻聴さんとの付き合いが非常に重要なものになってきているのだと感じる。

246pから247pにかけて、場面場面にふさわしい言葉を獲得していくことの大切さ、そのプロセスが大事であり、なので「いまの段階で大丈夫」という話がでてきて、そのまとめの部分で以下のように話されている。
だから、精神病の治療の世界というのは、基本的には、日本語学校というか、コミュニケーション教室にみんなが参加しているようなものです。それは、病気している人でも、病気でない人でも同じです。

ぼくも言葉を知らないんです。わかっているようでいて、大事な場面に大事な思いをきちんとだせるようなコミュニケーションを知らないっていうか。

いちばん聞きたくないことを医者が言っているような気がするんですよ。たとえばここで「幻聴があるようだね」と言ったって、それによって何が救われるのか、と思います。言葉にしないでカルテに書いたとしてもですよ、それで何が救われているのか? といような

それよりも、「たいへんだったねえ」とか「そういう苦労をしてきたのがすごく大事だったんだよ」とか、「応援してくれる人がいっぱいいるから、今度そういう人たちを紹介するね」とか。そのときはすぐに通じなくてもですよ、聞いている家族やその場が少し和らいでいくとか、安心するというような、そういうことがやっぱり大事なんだろうなと、いまは思うんですけど。248p

ここで、このインタビューは閉じられている。

「そうか」と思う。クスリで幻聴を消すのではなく、幻聴のいうことを聞いて、「さん」づけで呼び、その架空の人格を尊重し、ていねいな言葉で対応するようなプロセスと同様のプロセスが人間関係のなかで大切なのだろうなぁと思う。それは病気であろうと、なかろうと同じだ。

そういうコミュニケーションの力を獲得していくことは、医師と患者の関係のなかだけでは不可能なのだろう。だから、川村さんに直してもらったわけじゃないと患者がいうわけだ。そして、実際に病気の症状との共存が可能になるプロセスを作るのは医師ではなく、患者本人とその人を囲むコミュニティだ。それを向谷地さんがSSTのところで、繰り返し使う「場の地力」ということもできるかもしれない。

問題にふたをするのではなく、問題をできるだけ可視化すること、それは優秀な誰かが答えを導くのではなく、「三度の飯よりミーティング」の中で浮かび上がること、浮かび上がらなくても、格闘すること、そういうプロセスの積み重ねが「場の地力」を形成していくのだろう。それは「べてる」だからできたことではあるのだけれども、「べてる」でなければできないことではないはずだ。ミーティングは問題を掘りさげるのではなく、いいところをもっとよくしていく方向で行うこと。・・・そんなことなら、できそうな気がするし、それはいろんな場所で必要とされることなのかもしれない、という気がしてきた。実に単純、シンプル・・・というのはぼくのことだけど(笑)。



あとがきで向谷地さんは以下のようにも書いている。
「精神障害者」とは、言葉を、語ることを封じられた人々である。この25年間はまた、「語ることをとりもどす」歩みとしてあったといっても過言ではない。それぞれの時代に筆舌に尽くしがたい苦労と忘れられない出来事があり、かけがえのない人がいて、そしてなによりも、忘れられない「言葉」があった。さまざまな行きづまりや困難に直面したとき、そこに「言葉」が生まれた。夢を語り合うなかで「言葉」が与えられた。人と出会い「言葉」が示された。この25年は、言葉を、そしてその言葉を生み出した「物語」を語り継ぐ歴史でもあった。

不思議なものである。人は、語るに値しないと思い封印してきたみずからの歩みを、「私の生きてきた歴史」として語るとき、人のつながりとして知ったとき、無意味であった日々が突然意味をもちはじめる。


もしかしたら、ここでいわれる「言葉」とは言語的なコミュニケーションだけではないかもしれなと思う。確かに、その核には言語的なコミュニケーションがあるのだし、それは回復すべき大切なものの象徴ともいえるようなものなのだろうが、例え言語を発することができなくても、この場の中で生きる場所を見つけることは可能なのではないだろうか。音声言語も記述言語も手話も使わないで、思いを表現する手立てはある。そのような「語り」が「語り」として大切にされ、そこでの「物語」が語り継がれることもまた、大きな意味を持ちえるのではないかと思った。



蛇足だが、この本では『べてる』という非常にキリスト教的な名称の由来については触れられていない。そしてキリスト教についても、たぶんほとんど書かれていないと思う。このコミュニティにとって、キリスト教的なものがどういう役割を果たしたのか、スピリチュアルからはとても遠いようで、実はそうでないかもしれない不思議な空間としての「べてる」について、もしかしたら、すでにどこかに書いてあるかもしれない。探してみようかな?

メモ、以上

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