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zoom RSS 「段階的に停止と問題を立てるのは誤り」という主張への反論 そして、それへの再反論

<<   作成日時 : 2012/01/28 06:05   >>

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古い友人の藤川さんから、「段階的に停止と問題を立てるのは誤り」と書いたことへの反論をもらった。少しだけの反論はこの後に掲載します。「批判、反論を待ちます。藤川。」とのこと


この藤川さんからの反論の文章をもらう前の段階でアウトラインだけを読んで、以下のような意見をぼくから提出しています。そのことに言及してあるので先に掲載します。
====
都民投票の選択肢は
第7条 都民投票は秘密投票とし、投票は一人一票とする。
2 都民投票の投票を行う投票資格者(以下「投票人」という。)は、東京電力管内の原子力発電所の稼働に賛成するときは投票用紙の賛成欄に、東京電力管内の原子力発電所の稼働に反対するときは投票用紙の反対欄に、自ら○の記号を記載して、投票箱に入れなければならない。
と、なってるじゃないですか。
こんな風にすっきりさせたら、逆に脱原発派が分裂することもないと思うんですよ。
ま、国で作る法律だから、ゴールをどこに置くかという問題はあります。

で、とりあえずは国民投票より、再稼動阻止にむけた運動に集中することが大事じゃないかと思います。
====


ともあれ、藤川さんからの反論は上記の一部を含む
『東京での脱原発都民投票署名』には段階的停止という選択肢は入っっていない!!
http://tu-ta.at.webry.info/201201/article_9.html
への反論です。



==以下、藤川さんの反論==

「段階的に停止と問題を立てるのは誤り」というあなたの意見には賛同できません。国政レベルでは「段階」ではなくても「期限」を決めて意見集約をするべきです。

 チェルノブイリ後の問題点はだいたい田中優さんと同じ意見ですが、ぼくの言葉で表せば「即時全面停止」以外は受け入れない感覚的反原発の人と、地道に具体的な脱原発を進めていこうという人の間に深い溝ができてしまったこと。伊方の出力調整試験の時のように「止めるか」「止められないか」だけに焦点が当たると、達成できなかった時に問題が一気に明るみに出てしまう。感覚的反対派の人たちは崩壊した上に、その一部の人たちは具体的脱原発派に対して「敗北はおまえたちのせいだ」といい始めた。これが運動が衰退した大きな原因のひとつです。田中優氏がいう「不安や危機感を煽りすぎた」ということと通じると思います。このことは、危機感を煽った「作家」と、地道な論証で運動を下支えし続けた「科学者」の違いといってもいいと思います。

 「脱原発法」や「非核法」がいけなかったのではなく、これを「手段」程度と考えればよかったのに、消耗戦をしてしまった。これがいけなかった。「都民投票」は、数をクリアーして条例の請求まで進めればいいくらいに考えて運動に利用すればいいのですよ。都議会で変質させられるようなことがあれば、そのときは次の土俵に上がって運動ができる、それくらいに考えてやるべきです。東京都の場合は東電の株主であるという枠の中での投票だから、このようにあなたのいうすっきりとしたものになるでしょう。国政となると、政策の転換を求めることになるから、「再稼動反対」の運動とは、少し距離を置いたところで展開すべきです。

 「再稼動絶対阻止」をあまり強く打ち出すと、20年前と同じことを繰り返します。これは立地自治体周辺の、それこそものすごい抵抗が連続的に爆発的に起きないと実現できません。そのような「最後通告的」な目標を都市生活者の運動が立ててしまうと立地自治体の運動にたいへんな負担をかけてしまうと思いますよ。もちろん「再稼動絶対阻止」か「それをはっきりいわない」かで、運動が二分してしまうのが一番よくないです。

 「ひとつも再稼動させない」ことを運動の焦点にしてしまうことに反対なのです。ひとつひとつのケースで、ひとつひとつの原子炉について、再稼動を阻止するためにがんばりましょう。その結果として、 ひとつでも多くを再稼動させずに廃炉にする、そして原発の電力なしでもやっていけるということの実感を深めもらう、それくらいに考えていたほうがいい、そういう意見です。

 ですから、東京都の条例では「株主としての都民の意思表示」だから、あなたのいうようにすっきりしたものでいいでしょう。国民投票のほうはそうはいきません。「政策の転換」なのだから、「いつまでに、どうするのか」を提示しなければ話にならないでしょう。このふたつを並べて論ずるのは誤りです。

 もうひとつ心配になること。それはあなたの意見にも感じたし、国民投票のサイトに載っていた意見にもにありましたが、いつ地震や津波に襲われるかもしれないから、「即時全面停止以外はダメだ」という意見に危惧を感じています。実際にはそんなに甘くないのです。

「再稼動を阻止」して「停止」を勝ち取ったとしても、勝利したと運動が勘違いしてしまうことが恐い、そういう勝利の雰囲気になってしまってはいけないのです。今、福島は4号機が危険な状態になっているのをあなたも知っていると思います。地震の時には止まっていたのですよ。浜岡だって、止まりましたけど、地震と津波で危険な状態に追い込まれるのは変わりないのです。

こういう意味からも「再稼動か否か」に焦点が当たりすぎるのはいけないと思うのです。「ひとつの節目だ」くらいに考えておかなくてはいけないのでは・・・・・・。地域によっては、例えば、危険なケースの廃炉を優先するために一時的な一部稼動、近い将来の全面廃炉をめざそう、というような選択が必要なケースもあるかもしれません。そういう地域があった場合は、尊重するべきだと思います。

==藤川さんからの反論ここまで==

以下、ぼくからの反論と賛同

すごく興味深い反論でした。ありがとうございます。ほんとうに。

こういうふうな反論があるとぼくの浅はかな考えもいろいろ深まります。

藤川さんの指摘で
> 「再稼動か否か」に焦点が当たりすぎ
とあります。
仮に再稼動されたときに、立ち上がれなくなるようなことがあってはいけないのだろうなぁと気付かされました。

しかし、それでもいまは「再稼動を阻止しよう」と声を大にしたいと思います。地元で反対している人たちと協力しながら、それを主張することがすごく大切なことではないでしょうか。

福島第一の大災害の検証も終わっておらず、賛成の人だけで検証してストレステストの結果がOKだったからといって、再稼動に向かうという現状の問題をちゃんと明確にする必要があると思います。(それも検査される原発企業からお金をもらっている人たちが入っていることも無視してですよ)

原発災害処理で内閣参与になり、事故対応にあたっていた田坂さんでさえ、そのように言っています。
藤川さんはご存知だと思うのですが、再掲します。

http://tu-ta.at.webry.info/201201/article_7.html に掲載した
『官邸から見た原発事故の真実』(田坂広志著)の本の「はじめに」からの引用です。
その中で、苛烈で生々しい事故の現実を知り、手探りで進む行政の実情を知り、私自身、原子力というものに対する見方を、根本から変えざるを得なくなりました。

その理由は、二つです。

一つは、原発事故というものが、これほどまでに深刻な事態を招くという現実を知ったことです。本書のインタビューにおいて詳しく語っていますが、この原発事故が最悪の状況へと進展したとき、「首都圏三千万人の避難」という事態も起こり得たという現実です。

もう一つは、現在の原子力行政が、国民の生命と安全、健康と安心を守るためには、極めて不十分、不適切なものであることを知ったことです。原発事故が起こらないようにするために、そして、万一事故が起こったときそれに対処するために、現在の原子力行政は、不十分、不適切であるだけでなく、緊急事態においては、およそ無力といってよい現実を知りました。

それゆえ、私は、原子力を進めてきた一人の専門家の責任において、また、官邸で事故対策に取り組んだ一人の責任者の義務において、敢えて、こう述べざるを得ないのです。

原子力行政と原子力産業の徹底的な改革を行わないかぎり、この国で原子力を進めていくことは、決して賛成できない。

そして、原子力行政と原子力産業の徹底的な改革を実現しないかぎり、国民からの信頼を取り戻すことは、できない。

そして、その改革によって、国民の信頼を取り戻さないかぎり、原子力の未来は、必ず、終わりを迎えることになるだろう。


彼は原子力の再生のためにもそれが必要だと主張しているのでしょうが、ぼくは徹底的な検証を経たら、やはり原子力は終わりを迎えることになるはずだと思っているので、そのベクトルは違うのですが、立場の違いを超えてすごく尊敬すべき態度だと思います。

しかし、現在の政府にこのような反省は一切なさそうです。同じ推進体制でしゃにむに再稼動へ向かおうとしています。

なぜ、福島でこんな大災害が起きたのか、その後の対応がどうだったのか、もっともっと広範な人を巻き込んで、検証すべきなのに、そのようなことをしようとしているようには思えません。

そんな中で、再稼動されようとしているのです。
それを運動が看過することはできないと強く思うのです。

もちろん、藤川さんが「看過すべき」といっているのではないことはわかりますが、いま、運動として大事なことは、「こんな状態での再稼動を許していいのか」ということをちゃんとアピールすることだと思います。

つまり、再稼動の焦点は、地元の運動というよりも、この原子力推進体制の問題にメスをいれることができるかどうかという、主要に中央の課題なのではないかと思うのです。


しかし、同様にチェルノブイリの失敗から学ぶことも大切という藤川さんの主張には強く賛同します。

高木さんと広瀬さんに象徴されるような対立がなぜ運動を終わらせたのか、今回、終わらせないためには何が必要なのか、さらには脱(反)原発運動の中にある意見の違いを、違いとして、お互いにリスペクトしながら、脱原発に向かうためにどうしたらいいのか、ということが問われているのだと思います。

こちらが内輪もめして自壊していくことこそ、推進側の思うつぼでしょう。

そうさせないために何が必要なのか、運動の側が議論の相手のやりかたを尊重しながら、お互いにゴールにただりつくの競う事であり、足をひっぱりあうのではないということを明確にしながら、議論する作法のようなものが必要だと感じています。

そういう議論の場を作れたらいいなぁと思います。

どうしたら、そのような議論の場を作れるか、もう少し考えてみたいと思います。


十分な再反論になっていない部分も多いですが、とりあえずの再反論として提出します。




蛇足ですが、そういう意味では、中核派や革マル派のように、いままで意見があわないと、「殲滅だ」と暴力を思うままにしてきた奴らがそれへの反省もしないまま、「ぼくらも変わったんですよ」と言いながら(実際に言われました)、いかにも市民ですよ、みたいな顔をして、運動に入ってきてることをどうしたらいいのか頭が痛い感じです。先日の脱原発世界会議である時間帯、経済産業省前のテントのブースで店番をやっていたのは、中核派全学連の若い学生のようでした。そんなことを知らない若い人は、彼らを攻める側の方が「分裂主義者」みたいに見えてしまうこともあるみたいだし。また、そういう彼らがこの運動の波で若い人をたくさん集めたりしてるみたいですね。


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