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zoom RSS 芸術は社会を変えるか?メモ その2(4章から)

<<   作成日時 : 2012/12/09 13:00   >>

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http://tu-ta.at.webry.info/201212/article_3.html
の続き



4章
・・・19世紀、コレクションの一部を国民の共有財産として公開する美術館という空間がつくられ、西欧の芸術を頂点としたヒエラルキー、言い換えればミュージアムという「全世界を事故の自己の裡(うち)に取り込み、世界を所有しようという一種暴力的な危険性を裡に秘めた概念」(『ミュージアムの思想』10o松宮2009)が国民国家のシステムを通して世界に広がっていく。20世紀後半以降はさまざまな思想や運動を通して西洋中心主義の脱構築が進んだが、そうした関係はいまも世界各地で再生産されている。169p

まず、この「裡」っていう字が読めなくて、タイプするのにすごく困って、ネットの力で調べた。
で、老眼だと、「しめすへん」か「ころもへん」かもわかんないし。

ともあれ、ミュージアムという「全世界を事故の自己の裡(うち)に取り込み、世界を所有しようという一種暴力的な危険性を裡に秘めた概念」というフレーズはメモしておこう。

で、172pでは、そのプロセスのなかで、さまざまな国や地域の表現が「アート」として名指され、グローバルマーケットに包含されていくことを指摘されている。

176ー8pでは黄金町バザールの紹介があり、その後の座談会でのいくつかの指摘も引用されている。
「・・・悪い場所であったという記憶がまったく消し去られて、そのまま汚いところに花柄の壁紙を貼るというような・・・」(村田真)
「そういうことを行政がやっていいとしたら、うさん臭いものだと思いませんか}(川俣正)
ジェントリフィケーションって、いままで否定的なものだと考えてきたが、このキュレーターはそれが諸刃の剣だといっているいう引用がなされる。著者はそれについて、若干否定的なコメントをするが、最終的には「簡単に答が出る問題ではない」とお茶を濁す。まあ、こんな風にいうしかないか、とも思うし、ぼくもそういう言い方はよくしているかとも思った。

179pでは発電所を改装して作った有名なロンドンのテートモダンも「住民たちとのコミュニティプログラムを重視した運営を続けている」と紹介されている。

また、トラファルガー広場の4つめの台座のプロジェクトについて181pに書かれている。4つめの開いてる台座に現代アートを設置するプロジェクト。そこに先天的に手足の短い障害を持つアーティストの妊婦時代の大理石の像をめぐる議論。
それに続いて、バンクシーやBLUのプロジェクトが紹介されている。

さらに184pからは沖縄でのアトミックサンシャイン転での大浦作品の削除問題、続いてchim↑pomの「ピカッ」問題が紹介され、以下のようなコメントがつけられている。
 このように日本では、制度から逸脱することや制度のなかで「タブー」に挑むことは「自爆」覚悟でも難しい。多くの場合、途中で「自粛させられてしまう」だろう。この点、よほどの違法行為でないかぎり制度の内に取り込もうとする西欧の美術館のあり方と対照的である。ただ、沖縄と広島で幻となった展示は東京では観ることができたし、とくにchim↑pomのケースは多くの人の目に触れ騒動になったことで、表現の自由と公共性といった問題を提起するとともに、制度がアートの名の下に隠蔽するものの存在を露呈させている。

これ、ぼくにとっては、控えめ過ぎの表現で行われたことを告発している文章だなぁと思う。この種の文章としてはがんばってるのだろうが・・・。

そして、chim↑pomのケースについては、自然にそうなったわけではないということは指摘しておきたいと思う。あれが、問題になったことへの卯城くんたちの真摯な対応やそれを記録すること自体をアートにしてしまうという意図があって、制度とアートの問題を浮き彫りにすることができたわけだ。

確かに彼ら、飛行機雲で「ピカッ」を作ろうとしたときは、あまり考えていなかったかもしれないとも思う。しかし、その後の出会いの中でその作品自体を自らの予想を超えて、豊穣なものに変えていったのではないだろうか。

アトミックサンシャインをめぐる、その後の対抗的な取り組みも、とても興味深いものではあったが、chim↑pomが発する圧倒的なエネルギーにはなかなかかなわなかったなぁということを、いまになって思う。

 あと、ここでは触れられていなかったが、目黒区美術館で3・11直後に中止されてしまった「原爆を視る」という展覧会の問題も同様に考察すべき問題をいくつもあきらかにしたと思う。


188pには以下のように書かれている(はじめは引用、途中から要約)
 ・・。表現のためのスペースをつくりだす動きはまた、ジェントリフィケーションや商業化の波をかわし、抗いながら新しい公共空間のあり方を模索する実践でもある。1970年代イタリアでは・・・社会運動なかから社会センターというオルタナティブスペースが各地に生まれた。空き家や工場跡地などを若者たちがスクウォットして、運動の拠点として活用したのだ。「カフェや本や、自由ラジオの放送局として使用するとともに、ときにコンサートや集会、会議場として、これら占拠された空間が自由に運用されていた」・・・2000年を迎えたころには自らを社会センターというよりむしろ「自主管理の公共空間」と再定義
自主管理の新しい公共空間、概念としては知らなかった。実践はいろいろあったと思うけど。これは使えるかもしれない面白い概念だ。


そして、この章は以下のように結ばれる。
グローバルなミュージアム制度の求心力に抗ってローカルな表現のあり方を探求するストリートアートやオルタナティヴスペースは、世界各地に現れている。これら無数の実践がそれぞれのメディアを駆使してつながるネットワークは、この時代の大きくゆるやかな芸術運動ともいえるだろう。190p





5章


この章の冒頭ではまず、記録の重要性が語られ、その例として黒ダライ児の『肉体のアナーキズム』を紹介する。その60年代、70年台の「反芸術パフォーマンス」の記録について著者は以下のように書く。
これは単に既存の美術史を補完するするためでも否定するためでも、もちろんただの回顧録でもない。黒ダは
「反芸術パフォーマンス」は、この時代の政治と文化に根ざした必然的で創造的でさえある行為であったのか、そうでなかったのか。なぜ彼らの表現は、歴史に残ることも評価されることもなかったのか
としたうえで、その「歴史」なるものの心材を相対化することも忘れない。記録の不在が問題なのは、歴史に書き込まれないことではなく、誰がその歴史=制度を描いているのかという極めて政治的な事柄を忘れさせてしまうからである。197p


これに続いて横浜トリエンナーレ2005が福住廉さんの文章をもとに紹介されている。しかし、ここの記述はあまりにもその福住さんの記述によりかかりすぎているようにも感じる。彼の記述を否定するわけではない。著者自身がそれをどう見たかという視点がないのが残念だし、観ていないのであればそおう明記すべきじゃないかと思った。とはいうものの、ここに引用されている福住さんの以下のような指摘は面白い。これまで美術批評は素人を排除してきたのだが、それを批評の主体として積極的に読み換え、その実践を押し広げていくことで美術批評の機能をこれまでとは全くちがったかたちで回復させる、というような話なのだが、これだけ読んでも福住が考えている新しい美術批評の形がどんなもものなのかは、よくわからない。注によると、これは『ビエンナーレの現在』(2008年青弓社)所収の福住さんの「市民芸術的転回」という文章に拠っているらしい。198p


201pからは再び鶴見俊輔の「限界芸術論」について詳しく書かれている。そして、アートとアートでないものをわかつものは何かという問いの大切さが強調される。ここの境目を考え続けることは大事なことだと思う。


205pからの「芸術という労働」という節では、芸術労働者の低賃金について語られている。この切り口について、まじめに書かれたものを読んだことがなかったので、これは新鮮だった。


222pでは鶴見俊輔の「デモも芸術だ」論が紹介される。こんな風に書かれている。
・・デモは人々の表現への欲求あるいは創造性を形象化するきわめて「限界芸術」的なアクションであり、生活のなかに存在する「自分たちの芸術」の潜在力を示し、それをさまざまな人々と共有し、社会を変革していこうとする行為なのである。


そして、著者は以下のように問う。
「アクティヴィズムのなかにアート」をというよりも「アートのなかにアクティヴィズム」を見いだせないだろうか。とくに制度の内側で制度を宙づりにし、芸術と社会を変革していこうとする作品である。


そして、いくつかの例が示される。これらの作品は「デモも芸術」をひっくり返した「芸術もデモ」といえるような実践だという。




6章


最終章まできて、だんだん面倒になってきた。

ここで気になったのはさかん繰り返される「組織化」という言葉(231p 232p 233p)。たぶん英語由来の「オーガナイズ」という言葉なのだと思う。で、オーガニックとオーガナイズでどう連関してるんだろうと。ツイッターとFBでつぶやいて、英語に詳しい人に両方とも「オーガン」(器官)から来ているという話は聞いた。

まずはツイッターで教えてもらったこと
〜〜〜
英語は詳しくありませんが。両方の言葉の関連語にオーガン(器官)があります。多くの細胞や組織が役割分担して一つの、消化なり生殖なりの、機能を果たすものです。またオーガニックケミストリー(有機化学)のオーガニック(有機)は元来、生き物としての性質が宿ることでしょう。
https://twitter.com/HayashiS1972/status/273192135627526144

無機化学は、たくさんの元素とその化合物の性質に分け入りますが、有機化学は、炭素を中心として、水素・酸素・窒素・硫黄・燐・幾つかの金属元素など少数の元素の組み合わせと構造で化合物の性質を明らかにしたり、新しい化合物を作ったりします。
https://twitter.com/HayashiS1972/status/273205736765546496

以上のように「オーガン」派生語の共通点は、生き物の様にいろんなものを組み合わせて構造を作るところでしょうか。思想や哲学でも、「器官」「有機」は重要なようで、グラムシの「有機的知識人」、ドゥルーズの「器官なき身体」、ジジェクの「身体なき器官」などの概念があります。
https://twitter.com/HayashiS1972/status/273207544774787072
〜〜〜


以下はFBでもらった答え
〜〜〜
organって生体の器官とか臓器とかですよね。バラバラだった要素を、そういう、機能を持った器官にまとめあげていく感じがorganizeで、つながりあい連携しあって作動する感じがorganicでは。
https://www.facebook.com/masahide.tsuruta/posts/389691294444727
〜〜〜

よくわかんないままだが、まあ、こんな感じ。

で、この本の結語にはこんな風に書いてある。
・・・世界各地で生起する、グローバルな制度の求心力に抗うローカルな表現は、美術制度のなかにも見いだすことができる。この時代の芸術は、それがどういったかたちをとるにしても、都市空間での排除や不安定労働、そしてさまざまな差別や抑圧といった社会問題と関係せざるをえない。

 こうした構造的な問題に対して、芸術はどのような新しい価値を提示していくのか。言い換えれば、芸術をめぐるさまざまな境界が引き直されるなか、われわれ自身が「表現する」という社会的な行為をいかに自分のものにし、創造的に付き合っていくことができるのか。この問いはその先の芸術そして社会の展開の鍵になっていくだろう。・・・

 芸術は世界を変える。いや正確にいえば、芸術が社会を変えるのではない。芸術はわれわれのなかに社会を変革していく力を呼び起こし。それにかたちを与えていくのだ。その先、つまり社会を変えるかどうかは、われわれの手にかかっている。


芸術がわれわれのなかの力を呼ぶ可能性についてはその通りだと思うし、それがわれわれの手にかかっているというのも否定しようがない話だと思う。しかし、芸術がわたしたちの力にかたちを与えてくれるかどうかはわからない。

で、やっとこの結語までたどり着いた。



P.S.
思い出したのは、最初に紹介した山形浩生さんの酷評。
http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20111107/1320645601

この書評、この本の最初のほうだけ斜めに読んで投げ出て書いたんだろうな。
ただ、最後まで読めば、どんな感想を書いたのだろう、と思った。

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内 容 ニックネーム/日時
このエントリーに関係のない連絡コメントで失礼します。拙ブログのコメントありがとうございました。ツイッターで触れておられる個所の元エントリーは、以下の2つです。とり急ぎ、お知らせしておこうと思って。10月に書いた時の書き方はちょっと不注意で、もうちょっと解説すべきだったと思っています。

http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/44588937.html
http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/62559219.html

spitzibara
2012/12/11 10:09

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