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zoom RSS 「デモ」とは何か(五野井郁夫著) メモ

<<   作成日時 : 2013/02/11 09:43   >>

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総体的な印象としては、たくさん資料にあたっているし、現場にもちゃんと足を運んでいて、よくまとまっているとは思うものの、なんとなく上から目線が気になる。とはいうものの、読み終わって2週も過ぎて付箋追いかけながら書いてるだけなので、ほぼ印象評価。

〜〜〜

冒頭近くで
2011年の6月11日の新宿駅東口のアルタ前広場での行動を69年の不当に騒乱罪が適用された「新宿騒乱事件」と比較し、「戦後史における暴力の連鎖との決別が明確なかたちでなされた」(8p)と評価する。
ちょっと言いすぎじゃないかと思えなくもない。
そこにTAZ(一時的自主管理空間)が存在したというのだが(9p)、ちょっと疑問。希望的観測に流れすぎているようにも思える。

そこからTAZの話のつながりで、ニューヨークのOWSの話とそこでのいろいろ興味深い参加型民主主義の話が紹介される。その方法を説明したzineとかが配られているとのこと。そこでいわれる「類縁集団(AFFINITY GROUP)」というのが興味深い。「仲良くなった友達同士がヒエラルキーを作らず水平的につながり、それが有機的で自律的に増えていくような活動を行う集団」とのこと。

そして、OWSの特徴として、もっともその方向性を示している参加者の発言がこの章の最後のほうで紹介される。
このプロセスの目的は、あなたが力を持ち、それぞれのコミュニティで、それがどこであろうとゼネラル・アセンブリーを開き、あなたにとって大切な事柄を話し合えるようにすることです。みんな一緒に頑張りましょう。

基本的にはこういうことなのだと思う。それぞれの地域で「ゼネラル・アセンブリーを開き、あなたにとって大切な事柄を話し合えるようにすること」。生きた民主主義がどのように実現できるかが問われているともいえる。そこに向かう具体的な道のりもまた考えられなければならないのだろうと思った。



第2章では戦後の政治的なデモが概観的に紹介される。
そのなかで気になったのは52年の「血のメーデー事件」の評価。そこで「皇居前広場に向かおうとした6000名以上が警官隊と暴力によって衝突」と紹介される。いままでの社会運動的な評価では、皇居に向かおうとしたデモ隊を警察が暴力的に阻止し、それを大衆的な力で押し返そうとしたデモ隊、というものだったと思うのだが、ここでの視点はそうではない。そして、以下のように書かれる。
 とくにこの血のメーデー事件をターニングポイントとして、それ以降のいわゆる安保闘争の先鞭をつけたともいえるそしてその路線というのは、再軍備反対と平和主義を求めつつも、その方策として暴力を使用するという矛盾に満ちたものであった。
 血のメーデー事件から安保闘争までの一連の潮流が、デモと直接民主主義というごく当たり前の民主主義のレパートリーに、暴力というネガティブなイメージをある種の観念連合として結びつけられることになってしまったことは、日本の戦後民主主義にとって大変不幸なことであり、また計り知れないほどの痛手となった。

ここに五野井さんの視点の特徴があると思うのだが、この視点がぼくには少しずれているように思える。とりわけ70年安保闘争では暴力至上主義みたいなことがあったかもしれないが、それにしたってその多くは丸太で防衛省の正門を突くというようなたぐいの牧歌的なものだったのではないか。

確かに新左翼的な部分のデモ側に日本共産党の暴力革命を否定する路線への機械的な反発があり、ロシア革命時のレーニンやトロツキーの革命論や毛沢東以来の革命に影響されていた部分はあると思うし、その過ちは認められなければならないとぼくも思う。しかし、銃や戦車や戦闘機をたくさん持っている国家に対する暴力としてはそれはもう非暴力といって問題ないくらいのものだったのではないか。

ここで五野井さんに聞きたいのは、非暴力直接行動と暴力的な闘争の違いについてだ。例えば、グリーナムコモンでフェンスを破って敷地に入り込んだ行動はどうなのか。

60年後半からから80年初頭の新左翼的なグループのデモでは「実力闘争」という言葉が好んで使われ、一部にそれに自己陶酔していたようなこともないわけではなかったかもしれないと思う。しかし、実際に行われていたことはかなり非暴力直接行動に近いようなことだったのではないか。共産党的な運動への機械的な反発から、暴力肯定のような言説が前に出たという側面が強かったのではないかと思うが、そのことで社会運動の「暴力」に関わる問題へのアプローチが弱くなったともいえるように感じる。

そして、続けて1950年に至る日本共産党の「火炎瓶闘争」などの暴力による闘争にも言及する。しかし、それが社会運動に与えた影響や運動の結果にどのようなインパクトを与えたかはここではあいまいな表現でしか書かれていない。73p

マッカーサーによるスト禁止などで非暴力直接行動が封じられていったという説明もあるのだが、ストやデモという非暴力直接行動がなくなったわけではない。暴力的な闘争と非暴力闘争の連関への言及はないように思える。その二つが同時に存在していたのだが、暴力の印象だけが残ったという五野井さんの評価の根拠は何か、また現に暴力的な印象が強かったとしたら、それはなぜなのか、というあたりがもうひとつ明確に描かれていないように思える。

さらに以下のように書かれているのが、ここもその根拠は明確ではないように思える。
当時に知識人は、この時期のレッドパージの断行と、それらへの反作用としてエスカレートしつつあった共産党の火炎瓶闘争の泥沼化を目の当たりにして、中ソ抜きの講和条約締結に反対をし、両陣営との「平和共存」を希求していたのだった。

そもそもこの本を読むほとんどの人が、共産党が火炎瓶闘争を泥沼化させていたことについて知らないと思う。すくなくともぼくはそうだ。それが現在の社会運動に与えた影響は何なのか、共産党の六全協での方向転換とその後の反対派、新左翼の発生と日本の社会運動と暴力の連関をもう少し、資料を使って追いかけることができそうな気がするのだが、ここではそのような仕事はやられていない。誰かがやるべき調査かもしれない。

さらに76pでは原水禁運動が紹介され、その実践がきわめて平和に充ちたものだったと評価される。そのあたりのことと冒頭での「暴力の連鎖だった」という評価の連関もわかりにくい。

88pにはベ平連の紹介もあるのだが、これも少しものたりない。これについてはもっと詳細な先行研究や膨大な資料があるのだから、この「「デモ」とは何か」の観点からも、もっとつっこんで見るべき課題があったのではないかと思う。ここで名前が紹介されている武藤や花崎に暴力とデモという観点からインタビューするだけでも、書くべきもっと豊富なものが見えてくるのではないかと思う。

127pには「市民の意見30」の紹介などもある。

166pからの「アートによる抵抗」という節に2003年に椹木野衣さんらが始めた「殺すな」という動きが紹介されている。小田マサノリさんも立ち上げに参加しているという。椹木さんは文化学園の出版部門で出している雑誌に「状況に無自覚なアートシーンを打開せよ」という文章を寄せているという。そして、それが広がらなかったと五野井さんは指摘する。ともあれ、その運動の新しさを評価するのだが、それよりもっと厳しい言葉で批判しているのが印象に残る。
ひとことでいえば、オリジナルを超えるかっこよさを2003年の「殺すな」は持ち得なかった。それどころか、単に岡本の作品とベ平連の活動を劣化コピーさせただけのダサい模倣、完成度の低い駄作へと堕してしまったのである。
ここまでの批判はなかなかないなぁと思った。ただ、それがどんな展開だったかはわからないので、この辛い評価について、なんともいいようがないのだが。

その後、沖縄について書かれたり、最終章では3・11以降のデモなどについて、書かれているが、何か表面的な感じが否めない。読解力の問題もあるかもしれないが、この本で言いたいことの中心は「非暴力直接行動」と「直接民主主義」なのだろう。本の結語で2012年の3・11の平和な行動でひとりも逮捕者が出なかったことを賞賛し、以下のように書かれている。
 震災から1年後の国会議事堂包囲とは、デモができるようになった社会における、政治と生活の幅がかさなった追悼の形である。
 それは、すなわち議会制民主主義とは別の民主主義の回路である直接民主主義が、平和憲法制定から65年を経た今日「院外」における非暴力なものとして変貌を遂げたことのあかしなのだ。
この文章の抽象性の中にこの本の特徴がでているといえるかもしれない。
それなりに知らないこともたくさん書いてあり、得ることも多かったが、この本が主張しようとした核の部分については、どうかという思いが消えない。

そう、この直接民主主義と暴力というテーマ設定は悪くないと思うのだけど

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