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zoom RSS 知的障害者と親密圏 『知的障害者が入所施設ではなく地域で生きていくための本』に触発されて

<<   作成日時 : 2013/04/14 19:20   >>

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よい支援? メモその4 (完結編のつもり) http://tu-ta.at.webry.info/201108/article_9.html
に書いた話なのだが、読み返してみて、いいたいことがわりとまとまっていると思ったので、以下に独立させて公開。
〜〜〜〜〜
「知的障害者が入所施設ではなく地域で生きていくための本」
http://www.seikatsushoin.com/bk/055%20chitekishogaisha.html
という本があり、その説明文には以下のように書かれている。
この本は、2007年6月に発行された『知的障害者が入所施設ではなく地域で暮らすための本』を増補改訂したものです。 2009年、私たちの仲間でこの本にものっている2名の女性の方が、若くして亡くなられました。今現在、まだ私たちの支援の失敗について、明確な整理をす ることができていません。この本の出版を見送ることも考えましたが、これから自立生活をしようとしている方は後を絶たず、また、現在自立生活をしている仲 間に対しても同じ失敗をくりかえさないためにも、制度の変更とあわせて、現段階で出きる限りの改訂を行ないました。


この『失敗』のエピソードを読んだが、ここでも必要とされていたのは「親密圏」なのではないかと強く思った。知的障害の人全員ではないが、その多くは「親密圏」をより切実に必要としている人と考えることができないだろうか。その親密圏、多くの知的障害者にとって、いままでは血縁家族だけがそれとして認識されてきたのではないだろうか。そうではない、新しい親密圏が知的障害者のためにこそ必要なのかもしれないと思う。それは新しい家族と呼んでもいいかもしれない。もちろん、古い形の家族が好きで、それを当事者と受け入れる家族が望む場合はそういう選択肢もあるかもしれない。しかし、親が死んだ後に、そんな形を作ることはすごく難しいと思う。

「新しい親密圏が知的障害者のためにこそ必要」とまで書いてしまうと、すごいパターナリズムの匂いもするのだが、ぼくが知っている数人の知り合いの知的障害者を見ていて、そう感じるというのは、ぼくにとって間違いのないことだ。もちろん、それが正しいとは断言できない。

とりあえず、ぼくが書きたかったのはそのことだ。あとのことは、もうどうでもいいような話にも思えてきた。

そして、問題はその新しい親密圏をどのように形成できるか、という話だと思う。

形としてはグループホームに似た形態になるのかもしれない。そこで、サポートする人とされる人がいっしょにいて、心地いいと思えるような関係と空間。それは親密な空間なのではなだろうか。

ラルシュという世界的な知的障害者のコミュニティがあるのだが、彼らはそれをめざしているし、そのように生きることが出来るという、そのしるしになることを自らのミッションとしている。また、それは分裂した世界の和解が可能だというメッセージまで含んでいるようにも思える。ともあれ、この問題を考えていく上で、とても重要な材料を与えてくれると思う。

そのラルシュの運営は、いまも試行錯誤が続いているようにもぼくには思える。いっしょに住むアシスタントを確保するのはそんなに容易ではない。そして、その小さな家を維持するためのさまざまな努力がある。障害のないアシスタントは数年すると、違う場所に行きたくなるし、行くことができるし、実際に出て行くことが多い。知的障害を持つコアメンバーは、アシスタントがいなくなるたびに感慨深げだ。もう慣れたということもある。しかし、家族のような少人数で生活する、その親密な空間は少なくとも知的障害を持つコアメンバーが生きていくうえでは不可欠なものなのではないかと思える。

そこでは新しい親密圏がめざされているのだということもできるのではないだろうか。その実験的な実践はつねにチャレンジングでもあるが、同時に、落ち着いた日常を求めている。ぼくはそこに流れる空気が好きだが、嫌いな人もいるあもしれない。

そして、そのコミュニティを維持するために「信じること」が必要だという。親密な空間を維持するためにスピリチュアリティが必要だというと、マテリアリストには批判されるかもしれない。このあたりの結びつきでも出来るだけ、理解可能な言葉で説明される必要があるのだと思う。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
すごく解る一方で、
何を持って親密とするか?
という問いが常に残る。
私も同様のことも思い巡らすことはあるが、
その実際は、私の物語でしかない。
夢物語から物語の領域まで努力を重ねてきたつもりだが、
やはり、私の物語でしかなく、
その物語を共有してくれる人が現れれば嬉しいが、
決してそういう人ばかりでもないということに思いが行くと、
結局何も取り組めない。
何も取り組まないと結果当事者のみが負わされるものが増えるのみ。
よって、どこか開き直って物語を語っているように想うのです。
岩ちゃん
2014/10/27 00:24
岩ちゃん
こっちでコメントを返すのを忘れてました。
もう見てないとは思いますが・・・。
旧来の親密圏っていうのは家族ですよね。
家族に変わる新しい親密圏、というので説明になるでしょうか?
もう少し厳密に定義したほうがいいかも。しかし、それが桎梏にかわる可能性があるということを明示しているという点で、この説明は的を得ている部分もあるかと思いました。

「重度の知的障害」と呼ばれる人たちの多くが親密な空間を求めているのではないか、というのは、岩ちゃんが指摘するように、「私の物語」だという認識をまず、持つことが必要なのでしょうね。

その上で、だからといって、手をこまねいていたら、当事者だけが、重たいものを負わされるから、どこかで開き直るしかない、っていうのも、共感しました。

しかし、その開き直りの前提として、それがあくまで「自分の物語」だという自覚が必要なのでしょうね。
tu-ta
2014/11/01 03:00

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