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zoom RSS 『ハンセン病を生きて』(伊波敏男著)メモ

<<   作成日時 : 2013/06/14 05:42   >>

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色平哲郎さんが伊波さんの新しい本を紹介しているのをFBで読んで、まだ読んでない本が他にもあることを知り、例の巨大本屋サイトの古本を買った。この本と『ゆうなの花の季と』

この本は6月9日、森林公園へ向かう電車で一気に読んだ。泣いた。

古き良き東京コロニーの話が出てくる。126-129p
私は社会福祉法人東京コロニーで、所長である常務理事の面接を受けました。
(略)
常務理事は電話を取りました。
「ちょっと事務所まで来てくれないか」
間もなくして、背の高い女性が事務所に入ってきました。
「紹介しよう。伊波さんです。この青年の両手の機能をみてくれないか」
「ちょといーい? 手をみせて」
「タイプ係長と名札をつけた女性は、私の手を引き寄せ、指の機能を確かめはじめました。
「手首を下に曲げてください。そう、そう。今度は、私の人差し指を握ってみて……。見た目より握力がありますね。これぐらい機能が残っていれば、タイプライターを打つ仕事なら、なんの問題もなくやれるでしょう」
(略)
「はい。もし、支障がなければ、私はハンセン病回復者であることを、隠さずに働きたいと思っています」
(略)
「ただし、ここで働いている人たちは47人いますが、社会福祉法人とはいえ、この人たちのハンセン病への認識は、ふつうの社会と同じレベルだと思う。きみを職場に受け入れる以上、従業員全員に徹底した職場討議をさせます。そのため、しばらく時間がかかると思いますが、それまで待てますか?」
 それから三ヶ月が経過しました。東京コロニー内では何度も職場討議がもたれ、医師やハンセン病療養所から専門医師やケースワーカーが招かれ、病気を理解するための勉強会が開かれました。
 あとから聞かされたことですが、私を受け入れるという意見が従業員の大半となり、それに反対した二名が、とうとう職場をやめていったそうです。
 (略)しかしながら、「ハンセン病回復者を名乗る」ことについては、療養所の関係者から「社会復帰を理解しない無謀な試み」だとして、誰からも賛成を得られないまま、私の新たな挑戦がはじまったのです。
 (略)一ヶ月ほどしても、まわりのよそよそしい雰囲気は続いていました。

 そして、食堂の食器は伊波さん専用のものが分けられており、寮の風呂にも1名を除いて、誰も入らなくなったという。数日後、所長室に呼び出され、そこに2名の職員がいて、伊波さんがその差別と闘っていないことをなじる。そして、その2名は所長に従業員に注意すべきだといい、それに所長も同意する。しかし、伊波さんは以下のようにいったという。再び、引用
「(略)みんなに注意するのはやめてください。みんなは戸惑っているのです。みんなを信じようと思います。……それに。もし、組織のトップから注意されると、ある道理で迫られるのですから、確かに強制力は働くでしょう。しかし、それでは、一時、みんなの感情の世界を縛ることはできても、認識を変えるまでの影響を与えることはできないと思います。「偏見」は、感情が認識の段階まで高まってはじめて乗り越えられるものだと思います。(略)みんなを信じてみたいと思います。みんなにもまだ時間が不足しているのではないでしょうか……」


この青年、伊波さんの意見陳述。まるで脚本があるように理路整然とし過ぎてるようにも感じるのだけど、たぶん、こんな意味合いのことを伊波さんは言ったんだろうと思う。伊波さんって、こういうところが確かにある人だった。

「理路整然とし過ぎ」。で、東京コロニー内の醜い権力争いでも負けちゃったりしたんだろうと思う(笑)。どうも、その印象は最後まである。なんか優等生的な感じがしちゃうんだなぁ。古き良き東京コロニーって書いたけど、当時は当時の限界がいっぱいあったのだろうとも思う。30年近く前にぼくが東京コロニーに入るさらに前の話だけど。

ま、この後、伊波さんの予言どおりにみんなは理解してくれたという話になるんだけど、そのとき、いっしょにいた人ややめた人の葛藤も聞いてみたいなぁと思う。

135pには、伊波さんのこどもの全生園内の保育園への入園拒否問題が記載されている。全生園で働き、ハンセン病についての知識があるはずの人たちが彼の子どもを拒否するという話には何度聞いても驚かされる。そして、労働組合がその拒否に関与していたということも。「個人で預けてください。その費用は労働組合が負担します」とまでいったという。135p

そして、すべての犠牲を省みず(といってもいいかも)、ハンセン病であるということの公表をためらわなかった伊波さん。そのプレッシャーに耐えられなくなったのは伊波さんの当時のお連れ合いだった。この重さ。

その結果、彼は子どもとも別れることになる。お父さんといっしょにいたいと主張する小学校二年生の息子さんに対して、「男の子だから、お母さんと妹を守ったり助けたりしなくちゃだめだろう」というのはジェンダー的にはどうかと思いつつも、ここはやはり泣ける部分だ。そのように説得された息子は以下のようにいう。(お母さんがいなくて)
「ぼくたちがちっちゃくて、ご飯やおせんたくのお手伝いができないから、お父さんは困るの?」
伊波さんは
「……。うん、お父さんは困る」と答える。

母親と行かせるための方便もあるだろうが、やはり、いつでも理路整然としている伊波さんの本音だったのではないかと思う。そして泣かせるのが以下だ。
「うん。……、でもお父さんのシャツのボタン、これからだれがかけてくれるの?」

指の自由が利かなくて、Yシャツのぼたんかけにてこずる伊波さんを見て、出勤前のその仕事は息子が担っていたのだ。そして、息子は父との約束どおり、10年後に父に会いに来る。読み返しても泣けてしまうシーン。
この本を電車の中で読んで、泣いてるいい年の親父に気がついてる人がいたら、やっぱりちょっと恥ずかしかったりするなぁ。

終章ではバルアさんがフィリピン大学レイテ校の医師養成のシステムを説明するシーンがある。地域医療を地域が育てるシステム。これは佐久総合病院の創設者の精神ともつながるものがあるのだろう。

で、ジェームス・イェンの「人々の中へ」が紹介される。
これはhttp://tu-ta.at.webry.info/200609/article_16.html でも紹介しているのだけれども、再び、紹介しておこう。
「人々の中へ」 Go to the People

人々の中へ行き
人々と共に住み
人々を愛し
人々から学びなさい
人々が知っていることから始め
人々が持っているものの上に築きなさい

しかし、本当にすぐれた指導者が
仕事をしたときには
その仕事が完成したとき
人々はこう言うでしょう
「我々がこれをやったのだ」と

――晏陽初 Yen Yang Chu ジェームズ・イェン (1890-1990) ――

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勢いで古本を2冊購入して、続けざまに読んでしまった伊波さんの本。 1冊目のメモは http://tu-ta.at.webry.info/201306/article_3.html  ...続きを見る
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