今日、考えたこと

アクセスカウンタ

zoom RSS 雑誌「現代思想」2013年3月号特集「大震災700日」メモ

<<   作成日時 : 2013/06/22 08:06   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 1

立岩さんが白石さんの文章を紹介しているのを見て、http://www.seikatsushoin.com/web/tateiwa11.html 読みたくなって大田区の図書館で借りた。立岩さんの連載から。改行位置変更
『現代思想』掲載の白石さんの文章より。

「二〇一一年三月一八日に滋賀の障がい者事業所から医療関係などの支援物資が届けられた。支援物資と共に大阪のゆめ風基金の方がみえられて、福島県に被災地障がい者支援センターを立ち上げたらどうかという提案がある。次の日に関係者で協議した結果、支援活動を行なっていくことになる。支援物資があいえるの会の生活介護事業所に届いたので、自動的にあいえるの会で事務局を私が担い、私が代表を務めることになる。」(p.105)

「[…]障がい者は、避難先での住環境が整っていないと避難することば難しい。そのにうな点を考慮して東北・関東大震災救援対策本部の支援を受け、相模原市に旧ケア付住宅(私が相模原にいた時分に建設された)を借り受けて避難拠点とした。二〇一二年五月に一人の脳性まひ者が相模原に避難していった。二〇一二年五月にも脳性まひ者が避難していった」(p.106)

「福島県においてはさかのぼること四〇年前からの重度の脳性まひ者の団体である青い芝の会が、みずからの存在を社会に訴える文字通り体を張った運動を行なってきたという経緯がある。一九七〇年代後半には福島県青い芝の会は解散していくが、福島県の各地域で活躍していた脳性まひ者たちが地域に根付いた活動を継続していく。」(pp.109-110)

 表や裏でいろいろと大変なことがある。私は「現地」に一度も行っていないけれど、そこに行って波瀾を巻き起こしたらしい古井さんやら福永年久さんの介助をたまたま(というか、私が古井さんからことづかって、募集してしまったのだが)することになって、それ以来福島他に幾度か行ったりという人たち(青木千帆子さんや権藤眞由美さん)からも、すこし聞いてはいるし、土屋葉さんたちが調査を始めてもいる(そういったことはまたお知らせしよう)。「物語」はべつとして、調べるべきは調べねばならないし、分析すべきはせねばならないと思う。ただそのうえで、断裂や分裂がありながら、続くことがあるとき、それを知ることになる私たちは、すこしうれしく思う。

白石さんは福島で今後、生れる子どもの障害について言及する。白石さんはそれが増えるだろうと書くが、ぼくにはわからない。ともかく、白石さんがここで強調するのは生れてくるいのちが大切にされなければいけないということだ。その影響で障害をもった子どもが生れる、彼らの存在が否定的に語られるというか、

「その子どもを認めないということは、私たちの存在自体を認めないということにつながる」

と書いている。また、福島県内の水面下で堕胎が増えているという伝聞が書かれていて、それは「優性思想」に裏打ちされた差別意識があるからだ、と書く。確かにそういう側面もあるだろう。しかし、同時に障害児を抱えて生きていくのが非常に厳しい現実(社会ではなく、親がさまざまなことを担わなければならない)もあるだろう。確かに「殺される側」にしてみれば「差別」だといいたくなるだろう。しかし、それだけで解決できる問題ではないはず。




この雑誌の目次〜〜〜〜
■連載――依存症をめぐる臨床 第7回  求められていた言葉 / 信田さよ子
■連載――家族・性・市場 第87回  制度と人間のこと・8 / 立岩真也

大震災七〇〇日
【インタビュー】官邸から見た三・一一後の社会の変容 / 菅直人 小熊英二(聞き手)

【討議】大震災は何を変えたか / 小熊英二+山内明美+木下ちがや

【復興の現場で】
海と漁民と防潮堤 故郷の揺るぎない魅力と誇りを次世代に / 千葉拓
復興計画がさえぎる故郷の未来 石巻市雄勝地区の高台移転問題 / 阿部晃成
創造的復興がもたらす不協和音 漁港集約化と水産特区 / 濱田武士
信じるのか管理するのかの分岐点にある / 森川すいめい

JDF被災地障がい者支援センターふくしまでの活動報告と今後の福島の新生に対する提案 / 白石清春


【除染と暮らし】
土と子どもたち 保育施設「こどものいえ そらまめ」の七〇〇日 / 門間貞子
原発事故から二年 CRMS市民放射能測定所の活動を通して / 岩田渉
大地をつなげていくために 飯舘村:農家にとっての二年間 / 菅野義樹
乖離する「除染して帰村」の国策と村民の思い 全村避難から二年、飯舘村の現状 / 小澤祥司
犠牲者では終わらない まだ見ぬ、孫たちへ / 根本敬

【避難者からの問い】
私たちに何があったのか 「とみおか子ども未来ネットワーク」の二年間 / 市村高志
原発事故による自主避難者の権利保障 その現状と課題 / 中手聖一+河ア健一郎
千年の都から日本と世界に向けて / 加藤裕子

【下から変わる社会】
夜に抗い / 得能洋平
サーフィンと放射能は相容れない 湘南の海から始まる「脱被曝」 / ケント・ダム
被災地支援から反原発運動への道のり 何故我々は「ボランティア」に留まらず、デモへと流れていったのか:民衆を分断する「絆」を断ち切るために / 穴水正彦
蚯蚓の身振り 島岡幹夫と窪川原発反対運動の諸断片から / 猪瀬浩平
原発立地自治体の連続と変容 / 中澤秀雄

■研究手帖  窒素とユンガー / 藤原辰史



〜〜〜〜〜
検索から @東電撤退禁止の倫理問題
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/136407/85349/75767685http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/136407/85349/75767685?page=2
この2Pにちがやさんの発言がいくつか唐突に引用されている。違和感が大きかったのが

78ページ 木下「反原発主義運動における民主主義の試金石はカリスマを生むか、生まないかだ」

これだけ読んで、えっ「カリスマが必要だとおもっているの?」と思ったのだが、逆だった。当該箇所を読むと、こんな表現ではなく、「反原発主義運動における民主主義の試金石はカリスマを生まなかったことでも計られます」と書かれている。「試金石」という表現を使うなら、このブログでの使い方が日本語的に正しいだろう。ま、ちがやさんが言いたかったこともわかるので、このまぎらわしい書き換えはどうかと思うけど。


冒頭の信田さよ子さんの連載で、アディクション当事者の家族への介入が始まる頃の話も興味深かった。斎藤学がやはりひとりの鍵人(キーパーソン)になっている。

全部、読んだわけではないのですが、あと気になったもの、いくつか

門間貞子さんの『土と子どもたち 保育施設「こどものいえ そらまめ」の七〇〇日』少し引用
支援金をどう使うかは大きな問題です。最近では支援を受ける側のモラルが問われるような事例を耳にするようになりました。「タダだから」という支援慣れが引き起こす麻痺状態は無駄な消費に疑問を抱かせなくしてしまいます。しかし、資源の無駄遣いという根本的な問題が解決しないということは原発事故によって何も学ばなかったということに等しいのです。 私たちは私たちの目指す先が自立であることを見失ってはいけません。135p下段
「支援金」、本当に悩ましい問題だ。これが人を引き裂く。ここで著者が書きたいことはわかるのだけど、例えば避難している人がパチンコでしか気分をまぎらわすことができない現実を前に、なにか言えるかといわれたら、東京で暮らすものとして、なかなか口を開くことは難しい。

〜〜〜〜
・・。緊急一時的保育や短時間の預かり保育を除き、家庭に代わって長時間を過ごす保育園や教育機関としての幼稚園での、砂遊びや泥遊びは不可欠です。138p

〜〜〜〜


「そらまめ」が直面した二つの大きな困難として、「屋外遊びができないこと」と「報道機関との関係の中で正直に線量を発表すればするほど子どもが離れていくこと、をあげている。139p そして、その結果「そらまめ」は終末を迎えることになるのだが、そのことを後悔していないと門間さんは書きます。 139p

そして、これほど

「人々を不安と恐怖と悲しみと怒りにおとしめた原発事故を、日本はすり抜けようとしています」

と門間さんは書きます。さらに続けて以下のように
誰かが犠牲になって富むことへの問題意識は希薄です。これは原発だけではなく、途上国の低賃金労働や児童労働やアフリカで採掘される資源をめぐる紛争など、世界中の様々な場面に現れています。穏やかな日々を取り戻すことが表面的な平穏を手に入れることであるのなら、原発事故が私たちに教えるものは何もありません。
 日本の未来はどうなっていくのでしょうか。
141p


以下がこの文章の結語
 放射能汚染による健康被害を、確率の問題としてとらえている限りは、この問題は解決しないのです。嬉しくない大ハズレくじを引くのが、愛する我が子でなければいいと思ってるうちは駄目なのです。
 愛は何に勝てるのでしょうか。
 放射能は愛に勝っています。
 自分には何が出来るのでしょうか。
 もう疲れたから、何もかもあきらめようか。それとも祈る思いで、
 このまま力尽きようか。
 絶望と希望が今日も行ったり来たりしています。
 こんなにも人を困らせる原発は、いらない。

   143p




「大地をつなげていくために』という飯舘の農家だった菅野義樹さんの文章もいろいろ読ませるものだった。


福島の農民連の根本さんは『犠牲者では終わらない まだ見ぬ、孫たちへ』のなかで、2011年4月9日のブログを引用してて、それがいい文章なのだが、そのブログ、さっきから探してるのだけど、見つからない。
(どなたか、ご存じでしたら、教えてください)

しょうがないから、ちょっとだけタイプしよう。
心ある方々から
「福島の産品」を買い支えたいという申し出が来る。
こういう方々に
私はこう応えている。
「お気持ちはうれしい。
でも、みなさんにお願いしたいのは
東電にキチンと補償せよという世論を消費地でお越してほしい。
私たちが安心して作物を作れるようになるまで
運動を継続して欲しい」と。

〜〜〜
この根本さんが
小出裕章さんと対談してます。
http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65797682.html
根本「食べるべきではない、と、作るべきではない、を切り分けて欲しい」
これもなかなか興味深いです。


「とみおか子ども未来ネットワーク」の市村高志さんは対話が少しずつ始まっていることを報告する。対話の始まりの話はほかの誰かも飯舘をテーマに報告していたと思う。こういう動きが実って欲しいと思う。また、彼は避難者がパチンコに行くのは人に会うためだという話も報告している(180p)。多少は言い訳の部分もあるとは思うが、真実も含まれているのだろう。結語近くでは以下のように書く。
 この国の根本的な仕組みや制度的な構造がとても歪を感じていて、何かを変えていかなければ、この国はもう駄目と感じています。それは被災当事者として、肌身をもって経験してしまいました。



「蚯蚓の身振り 島岡幹夫と窪川原発反対運動の諸断片から / 猪瀬浩平」も興味深かった。

けっこうおなかいっぱいになる1冊だった。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
FBにコメントしたこと追記
〜〜〜〜
福島の農民連の根本さんに関する文章について
〜〜〜〜〜〜
福島の農産物をめぐる話は本当に複雑で頭が痛くなる。
食べることと、作ることも、そんなに単純には切り離せない。
もちろん、根本さんはそんなことは百も承知で言っているのだろう。

はっきりしているのは、こんな分断を生んだのは原発事故だということ、

事故の原因さえ、まだはっきりしていないなかで、、
国会事故調査委員会の報告書の中身さえ、ちゃんと議論されないなかで、
事故の原因さえ、調べることができずにいる、こんな状態のなかで

再稼働なんてありえないということ。
〜〜〜〜〜
tu-ta
2013/06/25 03:16

コメントする help

ニックネーム
本 文

トップ頁の右上に広告が入るようになっちゃいました。それがいやな人はさらに追加してお金を払いなさいとのこと。というわけで、この広告クリックしないでください(なんて、けなげな抵抗)。==============ブログ内ウェブ検索

ブログ内 を検索
雑誌「現代思想」2013年3月号特集「大震災700日」メモ 今日、考えたこと/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる