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zoom RSS 『フード左翼とフード右翼』メモ

<<   作成日時 : 2014/07/09 04:18   >>

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正式なタイトルは『フード左翼とフード右翼  食で分断される日本人』

アマゾンに掲載されている膨大な目次を読むと、それだけで読んだ気になれるかも。ってわけで最後に転載

読んだ直後に読書メーターに書いた感想
昔からの左翼としては、微妙な読後感。有機農業に持続可能性の問題があるとか、遺伝子組み換えへの肯定的な評価とか。とはいえ、いろいろ興味深い視点はある。著者の立ち位置はもう一つはっきりしないが、それは本人も認めているみたいだ。



内容(「BOOK」データベースより)(本のカバーの袖の文章も)
「食べるものを選ぶ」それだけで政治思想がわかる。今、日本人は食をめぐって大きく二つに分かれている。食にお金をかけることを厭わない人々と、安全よりも安さと量を重視する人々。それぞれの思想を細かく見てみると、新たな社会や階層が見えてくる。食で読み解く新感覚の政治論。



著者はただ、二分化していくということより「もう少し丁寧に現在の食べる人の分断状況、階層化を観察してみることで見えてくる日本人の現在」を描こうとしているらしい。(17p)
複雑なものを見ようとするわかりにくさは出ているような気がするこの本。



以下、付箋にそってメモ

57pで米国の政治について、保守とリベラルが政党できれいにわかれるとあるのだが、米国のリベラル、確かに国内政治においてはリベラル的ではあるが、あくまでアメリカ帝国主義を前提としたリベラルであることは間違いなく、それをそんな風に評価していいのか疑問。

23pと59pに記載される食のマトリクスがこの本の眼目なのだが、どうも、これがしっくり来ない。
さまざまな意味での貧困がジャンクフーヅと結びつき易い現状は確かにあるのだが、逆に言えば、ローカルをめざす運動が貧しい人を巻き込む戦略が問われているというふうにもいえるのではないか。

1章の結語では食べ物を選ぶことの政治性について記述される。(63p)
確かにその行為が政治的である場合はある。政治的な理由でベジタリアンを選ぶ人間もいるのだから。食べるという行為から政治を捨て去ることはできないにしても、「食べる楽しさ」それ自体は存在する。その行為から政治性を捨象することはできないが、政治だけではない、その全体もまた見ていかなければならないのだろう。本書ではほとんど否定的に書かれている(136p)「ホリスティック」に見ていくという話なのだが。

ともあれ、その食べる楽しさ、ファーマーズマーケットで会話する魅力を「貧困」の側に引き寄せることができないか、と思うし、現に反貧困運動の中でそういうことをめざす動きもあった。現状で確かに貧しい人が安全な食べ物にアクセスしにくいということに注目する運動はもっと可能性を秘めているようにも思える。


81pではフード左翼が対抗するものとして「経済発展」が対置される。ここでは〈脱成長〉という言葉は使われないが・・・。
経済成長至上主義からの脱却こそが必要というのはずっと言い続けてきたことだ。
それがフード左翼だとすると、フード左翼いいじゃないか、という話になる。
そんな風に読んでいくと、だんだん問題が明確になってくるような気がする。そう、この59pのマトリクスの横軸のグローバルかローカルかという設定はそのとおりなのだが、縦軸の取り方に問題があるのではないか。もちろん、健康をとるか、価格をとるかという現状があるのは否定できないが、その縦軸ではなく、民主主義的な価値に重きを置くかどうか、という縦軸を置くとすっきりするんじゃないかと思えてきた。
ちなみにここでは以下のように書かれている。
「競争」「効率」「発展」というものを押しとどめ、そうしたものがつくった世界ではなくもっと身の丈に合ったシンプルで本質的な生活を送りたい。それが「フード左翼」のイデオロギーである。
前半の文章はその通りだと思う。しかし、それを「フード左翼」と呼ぶ必要はないはず。あえて、そんな風に呼ぶことで見えなくされているものがあるように感じるのはぼくだけだろうか?

82pでは「フード左翼」を定義して、マトリクスの左側がそれだという。左右の価値軸はさっき書いたようにグローバルかローカルかというものだ。そこに食べ物を当てはめて、志向性を表現したのは面白いと思う。つまり、抽象的にローカル志向かグローバル志向かというよりも問題がぐっと引き寄せられる。この本の功績はそこにある。しかし、縦軸の設定が現状を前提としたものだったので、どうもしっくりこなくなっているように感じるわけだ。

そう、ここでたびたび例に出されるように、縦軸をリベラルと保守に置き換えたら、もう少し話が立体的になったかもしれないと思う。そして、縦軸がそれだけでいいというわけでもないかもしれないと思う。つまり、健康志向とジャンク思考を縦軸に置くのは、それとしてものごとを見ていく上で一つの指標になり得るのだが、縦軸をいくつか置き換えることで、もっと豊かなものになりえるのではないか、そして、あるいは3次元で前後の軸をつくるというのもありかもしれない、といま思った。

90pに筧次郎さんは八郷在住とある。ぼくが知ってる限りでは石岡在住だったので、ツイッターで著者に質問をぶつけてみたが、ふと思い立って調べたら、八郷町が石岡市になったのだった。ツイッターはあわてて消したけど、見た人もいるだろうなぁ。恥ずかし。

96pにある「栃木大学」というのも宇都宮大学の間違いかと思うので、これもツイッターで聞いてみら、著者から返事がもらえたここは2刷から訂正したとのこと。

105pには日米のフード左翼の比較がでてくる。大雑把に米国のヒッピー運動の流れと日本の左翼(純粋な共産主義)運動の流れというふうに整理され、さらに米国の「フード左翼」は左翼運動の延長で、日本の「フード左翼」はもうちょっと「本気」で「土着」だと書かれる。

その由来については、確かに日本のローカル志向の自然食品の店の由来などを見ると、左翼からという方が多いのは間違いないかもしれないが、この整理ももうひとつしっくりこない、とはいうものの、米国の「フード左翼」について知識がないから何とも言えない部分も多い。

108-109pでは排他的ナショナリズムと有機農業に入っていく青年やイタリアのスローフード運動を結びつけられる。
日本で自給的な有機農業をめざす若者が戦前の日本主義、農本主義、アジア主義と親和性があるというたまごの会の方の指摘があるが、確かにそこと結びつく要素がまったくないわけではないにしても、ここは現状とのずれを感じる。ぼくの知り合いというバイアスはあるにしても、その方向の友人たちで排他的な人は一人も知らない。この発言もおそらく、長いインタビューの中でちょっとだけでた部分を取り出して、針小棒大に語っているようにも感じるのだけど、どうなのだろう。そして、イタリアのスローフード運動でいえば、その出自は左翼運動だったはず。ここはミスリードと指摘してもいいのではないか。

3章の結語近く(112p)にある、日本の新左翼運動が「オリーブ少女」的な政治意識に結実したという表現も、キャッチーではあるが、奇をてらいすぎているように感じる。新左翼とオリーブ少女の共通点はほとんどないと新左翼運動の内側にいたものとして断言しておこう(汗)

120pには日本の大部分を占める地方を含めるとフード右翼が圧倒的多数派だと指摘されるのだが、田舎での野菜のやりとりなどを見ていると、これもまた一面的な見方だと思う。近所から野菜をもらうというのはいまでもよくある風景だし、自分たちが食べるために作る作物で農薬などを積極的に使っているという話は聞いたことがない。著者によるフード右翼・左翼という分類に方法でも、都会と田舎は複雑に入り組んでいると思われる。

都市生活の方がエネルギー効率がいいという立論(122p)も、一定の規模の都市であれば妥当性はあるだろうが、東京のようなメガシティにはあたらない話だろうし、田舎に人がいなくなって土地が荒廃したら、どうなるかという視点が欠如している。

123p〜は『中身化する社会』の紹介
ニューヨークやサンフランシスコではラグジュアリーが時代遅れになり、人々はカジュアルになり、コンフォートを求めるようになっている、そのコンフォートも単なる快適ではなく、「本質的だからこそ心地いい」というもの。これも都市部限定の話だと著者は指摘する(124-125p)のだが、もともとラグジュアリーなど縁がない多数という視点が必要なのではないか、と思う。
この本、こういう決め付けが多いかなぁと思う。また、この本で示されれているような都市リベラルの理想主義的な願望は、それを疎ましく感じる層からの反感を買うだけでまず成就しないとこの著者は書く(128p)のだが、確かにそれが理想主義的な願望というレベルであれば成立しないとは思うものの、ラグジュアリーなど許されないという状況が生まれつつあるのではないかとも思う。だとしたら、こんな方向へ行かざるを得なくなるという頃はありるのではないだろうか。

137p〜の「キッチンの再魔術化」というのもわかったようなわかんない話だと思う。そもそもキッチンが科学だけで成立していた時期なんてなかったというな気もするし。

「第5章 フード左翼のジレンマ」ではウォール街占拠運動がとりあげられる。そこで以下のような指摘がなされる。
ウォール街に象徴される、アメリカの裕福な1%がこのでもにおける敵だったが、ここに参加したのは、世界で見ればもっとも「豊かな側の2%」に入る人々なのだ。(147p)

この主張の根拠を国連大学世界開発経済研究所の「世界のリッチな上位2%が、世界の家計の半分を所有する」という指摘を踏まえたものだというのだが、これも無理が多すぎだと思う。ここが20%という話なら、前から主張されてきた話だし、同意できるのだが、いくらなんでも、この説明は無理が多すぎだろう。「世界のリッチな上位2%が、世界の家計の半分を所有する」という話が、なぜオキュパイ運動の参加者は【「豊かな側の2%」に入る人々】になるのか、そのつながりは明らかに説明不足なのではないか。

こういう主張がそのまま本になってるのを見ると、編集者の側の問題も大きいのかなぁと思わされる。

そして、148pからは「サステナブルでない有機農業」という主張。マット・リドレーの『繁栄』が根拠になっているらしいのだが、興味深い指摘ではある。そこで、少しだけ検索してみたのだが、もう一つわからなかった。

ただ、http://inakaseikatsu.blogspot.jp/2012/09/blog-post_6.html などの有機農業批判には考えなければならない部分も多いと思う。

しかし、有機農業が2%の人びとの消費の満足度を増やすことにはあるが、残りの98%の人々には生命の危機をもたらす(151p)、とまで書いてしまうのも、もうひとつどうかと思う。

そして、次の節では、有機農業を否定しないための選択は遺伝子組み換えだという(153p)。もう、あえてプロヴォーキングに書いてるとしか思えないような部分だが、・・・。

遺伝子組み換え食品の問題についてはWEDGE2013年1月21日号での反論が根拠として掲載されている。

著者がさまざまに引用しているような根拠から、有機農業や遺伝子組み換え作物反対というのが彼が主張するように「反科学」(198p)と言えるかどうか、もっと厳密に見ていく必要があるように感じる。どうすれば、検証できるかよくわからないが、有機農業研究会の見解など、聞いてみたい。


ここまで書いてきたように、いろいろ欠点も多いように感じる本だが、いままで漠然と信じていた有機農業の優位性とか、遺伝子組み換えの問題んどに関する反対の見解を読めたのは、まあ、悪いことじゃなかったと思うし。いろいろ示唆されたものもあった。





〜〜〜〜
内容紹介
「有機野菜」「地産地消」「ベジタリアン」「ビーガン」「マクロビ」「ローフーディズム」など自然派の食を愛好する人々、
そして、「コンビニ弁当」「ファストフード」「メガ盛り」「チェーン系290円居酒屋」など、産業化された食を愛好する人々。
現代の日本人の食の好み、ライフスタイルをマッピングし、そこから見えてくる政治的な分断を読み解く。
さらには、ヒッピー、新左翼、学生運動が撤退した1970年代以降の社会運動が、
オーガニック革命、スローフード運動といった「食の革命」として継続され、
現代の「フード左翼(レフト)」に接続されたという歴史を遡るフードの政治思想史。

【目次】

序章 「食の分断」から見えるもの
・食で団結する日本人
・二極分化する日本人の食
・食の分断はいろいろなところで起こっている
・食で思想をマッピングしろう

第1章 政治と切り離せない食
・ビーガンとマクロビアンたちの祭典
・ベジフェスにいるのはどんな人々なのか
・ミート・フリー・マンデー運動
・肉は穀物の8倍効率が悪い
・有機農法とF1種、在来種といった考え方
・緑の革命と遺伝子組み換え作物
・自然食の中でも人気のあるマクロビオティック
・土日開催の青山ファーマーズマーケット
・自然志向とローフーディズム ・「ナチュラル・ハイジーン」という信仰
・消費と政治の関係性
・政治運動で政府を動かすのは時代遅れ
・高級ホテルの「鮮魚のムニエル」偽装問題
・産地食材表示の透明性と新自由主義の流れ
・「買うこと」が意味することの変化
・アメリカにおける都市リベラル層と消費の関係
・リベラル層の生活と保守層の生活
・フード左翼、フード右翼、フード極右
・アルチザンと工業製品としての食

第2章 フード左翼とは誰のことか
・どう食べるかは政治的なこと
・アリスのレストランはなぜ政治的なのか
・アメリカにおける政治分断
・『イージー・ライダー』が撃ち殺されるわけ
・保守によるリベラルへの苛立ち
・ヒッピー文化から資本主義的な商品へ
・反体制、対抗文化から始まった企業
・多様化する左派意識と新しい社会運動
・フード左翼とは誰のことか
・新しい左派運動としてのスローフード
・食を通じ国境を超えた連帯

第3章 政治の季節から食の季節へ
・八郷の有機栽培地帯
・農業を通した1960年代の革命の二回転
・「たまごの会」のやさと農場
・高度成長期の終わりと反省の季節
・「契約派」と「農業派」の分裂
・「たまごの会」と『1Q84』
・戦前の右翼事件とたまごの会の共通点
・農本主義2・0
・フード左翼の階層問題
・オリーブ少女に結実する左翼闘争

第4章 魔術化するフード左翼と民主化するフード右翼
・青山オーガニック通り
・OL向けコンビニ健康弁当はなぜ成立しないのか
・都市生活者と結びつくエコライフ
・都市に住むのと自然の中で暮らすのと、どっちがエコ?
・都市生活者の価値観は「新しい意識」の芽生えか?
・「フード右翼」が実現する「食の生活」
・80年代的なおしゃれ都市文化人と「フード左翼」
・『うかたま』『veggy』などのオーガニック系雑誌
・フード極左化するカヒミ・カリィと元オリーブ少女
・『マーマーマガジン』の政治性
・「キッチンの再魔術化」の時代
・都市コミュニティと都市型政党

第5章 フード左翼のジレンマ
・われわれは99パーセント
・ウォール街デモの兵站術
・ウォール街占拠を支持した人々
・サステナブルでない有機農法
・有機農業は何が問題なのか
・有機農業を否定しないための選択
・反遺伝子組み換え作物と「フード左翼」
・遺伝子組み換え食品は危険か
・「恐怖」の商品価値と「動員のゲーム」
・「フード左翼」が遺伝子組み換えを否定する2つの理由
・オープンソース、「伽藍とバザール」
・よりよい社会の転換期

補章 高齢者の未来食と共産主義キッチン
・人生のラスト1マイルの食
・マクロビアン、ジロリアンの30年後
・フードシステム展示会に見る食の消費の未来
・高齢者施設の現状とそこでの食の近未来
・親vs.学校、給食をめぐるイデオロギー対立
・未来の食は高齢者の食
・新しい「セントラルキッチン方式」の時代
・これから訪れる再セントラルキッチン化の時代
・20世紀初頭に登場したセントラルキッチン
・夢のキッチンを中心とした集合住宅
・スターリンが描いた帝国の夢
・高齢者向けの宅配フードサービス
・「共産主義キッチン」が再来する未来

終章 食から政治意識を読み解くということ
・「フード左翼」を再度定義する
・「フード右翼」の論理
・「フード左翼」から「フード右翼」へ転向することはあり得ない
・生活の延長線上の政治思想

あとがき

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