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zoom RSS 「資本主義の終焉と歴史の危機」メモ(8/13追記アリ)

<<   作成日時 : 2014/08/07 18:07   >>

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「資本主義の終演と歴史の危機」メモ
水野和夫著

2014年3月の初版で7月に9刷
10万部突破とのこと
この手の本としては、すごく異例なことじゃないだろうか。
PP研を会場に行っている脱成長研究会の題材として読んだ。

脱成長の必要、必然性がとてもスマートにまとめられている。
フランスの脱成長派の人たちにも紹介したいような気がする。できないけど。

結論は、おぼろげに考えたり、言ったりしてきたことだが、それが16世紀の歴史と連関して語られるところがすごく興味深い。

新書なのに深い。
すごくいい本だと思う。

ただ、農業、あるいは都市の肥大化についての言及がほとんどないかったことが、少し残念な感じもある。家族農業をどう安定的に再興するか、そして、この都市への集中をどのように考えるか、という視点が加わると、もっと叙述に厚みがでたのではないかと思う。とはいうものの、それは無い物ねだりで、この本からの示唆で考える課題は無数にあるだろう。そういう意味でもいい本だと思たのだった。




グローバリゼーションの説明も明解(ちょっと異論もあるが)。こんな風に書かれている。
そもそもグローバリゼーションとは、「中心」と「周辺」の組み替え作業なのであって、ヒト・モノ・カネが国境を自由に越え世界全体を繁栄に導くなどといった表層的な言説に惑わされてはいけないのです。20世紀までの「中心」とは「北」(先進国)であり、「周辺」は「南」(途上国)でしたが、21世紀に入って、「中心」はウォール街となり、「周辺」は自国民、具体的にはサブプライム層になるという組み替えがおこなわれました。中間層が没落した先進国で、消費ブームが戻ってくるはずがありません。59ー60p

この組み替わったという言い方は言い過ぎだと思う。いまでも周辺としての南の多くの貧しい人たちからの収奪は続き、そこからの富の移転は膨大なのではないか。確かにそれに加えて、「先進」国の中の中間層を没落させて、そこを周辺に追いやるということは明確に加わっており、それが特徴的だという話だとは思うが。

そして、現在の課題は「先進国の過剰マネーと新興国の過剰設備をどう解消するか」だという。そして「この問題の困難さは、二つの過剰が信用収縮と失業を生みだすことにあ」り「時間をかけるしかない」(60p)と。

新興国の設備は、「先進」国への輸出ではなく、新興国を含む南の貧しい人びとのためにあてることはできないのかと素人としては考えてしまうのだが、水野さんは以下のように書く。(要約)
各国の当事者にとって新興国の成長は歓迎すべきことであり、今後10年は続くだろうが、地球全体をみたとき、それは単純に喜ぶべきことではなく、むしろ危惧すべきことだ。新興国の成長が続くということは、無限の膨張を「善」としてきた資本主義システムが「限界」にむかって、さらにスピードをあげていくことにほかならないから(61p)

ここが議論のわかれるところだと思う。「新興国」呼ばれる国の民衆に富がちゃんと分配されていないという問題はありつつも、そこに異常な格差を作らないようにして、しっかり富が分配されるシステムができれば、その生産設備はほんとうに過剰といえるのだろうか。確かに「先進」国の過剰は問題だと思うが、そのレベルを下げるかたちで平準化することは想定できないだろうか、それが長い目で見たとき脱成長になるような道筋は考えられないだろうか、とも思うわけだ。

地球の限界を意識しつつ、富を平準化していくという道が模索されない限り、「南」の民衆は納得できないのではないか。


ともあれ、グローバル化について、現在のそれで「何が起きるかというと、豊かな国と貧しい国という二極化が、国境を越えて国家のなかに現れることになります」89pという指摘は鋭いと思う。
それに続けて、以下のように書かれている。(要約)
今までは2割の人口の先進国が8割の人口の途上国を貧しくさせたまま発展してきた。その結果として先進国側では国民全員が一定の豊かさを享受することができたが、グローバル化が進んだ現在では、資本はやすやすと国境を越えるので、貧富の二極化が一国内で現れる。(89p)

そういう流れは確かにあるのだと思う。
しかし、上述したように2割と8割の問題もなくなりはしないはず。
北の中の南があり、南の中の北が存在するという話はかつてからいわれてきた話でもある。それらの格差の存在がより明確に可視化できるようになっている現実もある。
ただ、やはり南の貧しさと北の貧しさは決定的に違うという現実は、そう簡単にはなくなることはないのではないか、とも思う。

さっき、富の平準化ができれば(資源の問題はとりあえず置いて)、過剰設備の問題も解消できるのではないかと書いたが、問題はそれができない現代のグローバル資本主義の問題なのだと水野さんは主張している。(90ー91p)
利益を出すために生産拠点を南に移してきた企業。ある意味、そこでは格差がなければ拠点を移す意味がなくなる。格差がなければならない、だから、生産拠点としての機能を南で維持するためには南の人が貧しくあり続けなければならない。そして、その地域では民主主義は阻止される。それが、たとえば中国での階級対立の激化を必然化する、という主張だ。
そういうシステムとしての資本主義だから、もう終わっているという主張でもある。だから、中国に民主主義がないと先進国が主張するのは傲慢だ、とも書かれている(91p)。

その体制を利用して富を得てきたのは北側だからだ

そして、それ以前に説明されている、長い16世紀と長い21世紀の「価格革命」(長期にわたる価格高騰と実質賃金の低下)という話が(63p〜)ここにつながっている。

さらに、中国の一人当たりGDPが日本のそれに追いつく20年後にその価格革命ともいうべきプロセスが終わると書かれているのだが、その計算は、日本の+1%と中国の+8%が前提だ。この本は、それが続かないという話ではなかったかと思うのだが。

中国バブルは必ず弾けて、それが及ぼす影響はリーマンショックの比ではないにもかかわらず、G20では、そこにブレーキをかける議論をしなければならないのだが、そうはなっておらず、リーマンショックや欧州危機にも対応できなかったことを踏まえると、もはやグローバル資本主義に対して国民国家は対応不全に陥っている(96p)、と書かれている。

そして、これらが書かれている2章の結語近くで覇権交代の話が出てくる。この資本主義システムが成立する前提が崩れているのだから、その枠組みの上での覇権交代があるとは考えられない、と。

そして次の覇権は、資本主義とは異なるシステムを構築した国が持つことになるとし、その条件を持っているのが日本だ(しかし、そうはなっていない)と書かれている(100ー101p)のだが、そのシステムが構築されたとしたら、それを「覇権」という概念で説明するのは無理があるように思う。


3章のタイトルは「日本の未来をつくる脱成長モデル」
ここで引用してあるウォーラーステインの自由主義の定義がとてもわかりやすい。
「自由主義は、最弱の者と自由に競争でき、抗争の主役ではなく、犠牲者であるにすぎないか弱い大衆を搾取できる完璧な力を、最強の者に与えたかったのである」112p

ここでも長い16世紀の崩壊の過程を例に以下のように明解に書かれている。「既存のシステムが機能不全に陥っているとき、既存システムを維持・強化しようとすれば失敗するのは明らかです」これはアベノミクスの路線への批判でもある。

そして、水野さんは、成長を求めない脱近代システムをつくるためにどうすればいいか、と自問し、「その明解な解答を私は持ちあわせていません」とし、中世から近代への転換期にホッブス・デカルト・ニュートンらがいたように現代の知性を総動員する必要があるという。
その新しい制度設計ができあがる前に私たちは「破滅」を回避しなければならない、そのために資本主義の「強欲」と「過剰」にブレーキをかけることに専念することが必要
と主張する。132ー133p

そういう意味ではトービン税などの金融取引への課税や資産への課税、あるいは法人税などの課税強化が有効かもしれない。または、この本で紹介されているようにエネルギー問題が解消するための炭素税や輸入化石燃料に頼らないようにする政策なども有効かもしれない。

また、
「資本主義を乗り越えるために日本がすべきこととは、景気優先の成長主義から脱して、新しいシステムを構築すること」であり、「新しいシステムの具体像がみえないとき、財政でなすべきことは均衡させておくこと」
だという。134p

維持できないシステムを維持するために意味なく未来に負債を残すことは無駄だろう。そして、「社会保障も含めてゼロ成長でも維持可能な財政制度を設計しなければならない」とされる。困難だが、必要なことなのだろう。

第5章は「資本主義はいかにして終わるのか」であり、「いかにして終わらせるのか」ではないところがポイントかもしれない。
ここで興味深かったのが、1870年〜2001年まで、地球の全人口の15%が豊かな生活を享受できていたというデータ。166ー167p
そこから、世界総人口のうち豊かになれる上限定員が15%だと水野さんは書くのだが、問われているのは資本主義の次のシステムがそれを平準化することができるのかどうかということだろう。

182ー185pで書かれているのが中国バブルの崩壊をきっかけとした長期の世界恐慌を経て、定常状態に至るハードランディングのシナリオ。現在の政策が早期に変更されない限り、「この最悪のシナリオを選択してしまう可能性を否定しきれません」と水野さんは遠慮がちに書くのだが、現状を見ると、このシナリオの方向に流れていく可能性が非常に高いといわざるをえないのではないか。

もうかなり前の話だが、サティシュ・クマールもそのシナリオを描いていた。誰かがソフトランディングの道はないのか、と質問したのに対して、「ない」と応えていた。そして、資本主義は氷山に向かうタイタニックのように、なかで人びとがダンスなどに興じながら、破滅へ向かうのだから、準備すべきは救命ボートだといっていた。家庭菜園などをつくり、できるだけ自給、あるいは友人内での融通で食べていけるようにするというのがその救命ボートの中身だったように思う。

本の紹介から話がそれたが、次に書かれているのが「ソフトランディグのシナリオ。それはG20での合意で資本主義にブレーキをかけるというもの(186ー187p)だが、現状を見ていると、それは絶望的といわざるをえないのではないか。

それに続けて、次のシステムがみえていないこの現状の中でできることは資本主義の暴走にブレーキをかけ、資本主義からのソフトランディングを模索することが最優先されなければならないというのだが、そこに誰もブレーキをかけることに成功していない現状をリアルに見ていく必要があるのではないか。そういう意味で、ぼくはサティシュの描くシナリオの方によりリアリティを感じる。

そして、水野さんは「資本主義の先にあるシステムを明確に描く力は今の私にはありません。しかし、その大きな手がかりとして、現代の我々が直面している「定常状態」について考えていきましょう」として、定常状態の説明に入る。それは経済的には純投資がない状態で、減価償却分だけの投資しか行わないことであり、家計でいうなら、同じグレードの自動車をのりつぶすまで乗って、買い換えるということ。

そして、定常状態を続ける条件として、水野さんは二つをあげる。
第一に人口減少を9000万人くらいで横ばいにすること。
第二には安いエネルギーを国内でつくって、原油価格の影響受けないこと。195p
両方とも、さまざまな政策が必要とされるが、後者がより困難で、たとえば、1kwあたり38円(2013年段階)かかる太陽光を20円以下でつくること、というのだが、原油が2012年現在で20数円と書かれているので、同じ金額ではだめなのだろうかと思うのだが、どうだろう。また、太陽光に使う希少資源のことも考慮されなければならないだろう。

そして、水野さんの指摘で、ぼくがポイントだと感じたのは、マイナス成長ではダメで、がんばって定常状態を維持しなければならないというところだ。「マイナス成長社会は最終的には貧困社会にしかならない」(196p)という。GDPで計る成長という話なら、とりわけ「先進国」と呼ばれる国ではある程度までのマイナスを受け入れることも必要なのではないかと思う。

また、資料として興味ぶかかったのが、1987年には金融資産を持たない人が3.3%だったのが、2013年には31%と10倍近くに増えていること。197ー198p

これらの対策として、労働時間規制を強化し、ワークシェアリングを行うことや正規従業員化を義務づけることがあげられているが、しごくまっとうな話だと思う。

おそらく財界多数派はそれらの政策を日本の競争力をそぐものとして、反対するのだろうが。

200p〜の部分では新自由主義が民主主義の衰退を招いているという話がでてくる。ここで「民主主義の経済的な意味とは、適切な労働分配率を維持するということ」だという。

203p〜の部分でラテン語での知識の独占から、人びとが読める聖書を広めたルターとスノーデンを並べて、書いているのがおもしろかった。、果たして、スノーデンの役割がそのように機能するか、エピソードで終わってしまうのかというのも議論がわかれるところだろう。ここで水野さんは以下のように書いている。
スノーデンひとりによる内部告発からはまだ新たなシステムの誕生の予兆は感じられません。それはおそらく、「長い21世紀」がまだ混迷が続き、新たなシステムの萌芽が見えるまでに時間がかかることを意味しています。



そして、この本の本文は以下のように閉じられる。
・・・「歴史の危機」である現在を、どのように生きるかによって、危機がもたらす犠牲は大きく異なってきます。私たちは今まさに「脱成長という成長」を本気で考えなければならない時期を迎えているのです。


本当にそのとおりだと思うのだが、かなり大きな犠牲を伴うハードランディングが必然になりつつあるような気がしてならない。


追記、ここまでのメモで書き忘れた大事なこと

ほんとに終わるのか

「資本主義の終焉」という話はもう150年も前から語られていて、実現していない話だ。終わる終わると狼少年のように言い続けてきた左翼は恥ずかしくて言えないような話でもある。(たぶんもともとは左翼ではないだろう)水野さんだったから、こんなタイトルをつけることができたと言えるかも。

歴史の上で、もう、何度、資本主義はここで終わりだといわれてきたのか、誰か、調べてみて欲しいくらいだ。

それくらいしぶとく資本主義は生き残ってきた。その生命力はあなどれない。

もちろん、資本主義がいいと思っているわけではない。こんな社会、もう、うんざりだ。だから、また「資本主義の終焉」という言葉とロジックに心を躍らせ、ちょっとその気になってしまったのだが、当分、終わりそうにないというのは間違いない。

ただ、やはり、どうすれば終わらせることができるのかということは考え続けたいなぁ。








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