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zoom RSS 「条例のある街」メモ

<<   作成日時 : 2015/01/23 20:43   >>

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『条例のある街―障害のある人もない人も暮らしやすい時代に』野沢和弘著ぶどう社2007年
メディアに紹介されたこの本の書評なども読める出版社のHPは http://www.budousha.co.jp/booklist/book/jourei.htm


読んだ直後に 読書メーターに書いたメモ
困難な議会工作。条例を通すため涙を呑んで削る原案。これらは障害者権利条約が批准される前の話だ。いまなら、その条約の批准を盾にして、こんなにも削られることもなかったかも。背景には堂本知事に対するバックラッシュなどがあったのだろう。地元の大田区でどうかと考える。大田区でも多数の自民党はどんな対応をするだろう。ともあれ、いろいろ大変なことがあっても、住民参加で中身を作る楽しさはあるだろう。しかし、大田区ではこの仕組みを作ることがまず、困難だろう。また、議会でのお願いはすごく消耗しそう。条例を作る困難が実感できた。


千葉県は障害者計画も夜の会議で策定したという(14p)。当事者も参加し、民主導で計画をまとめたとのこと。こんな手法が求められている。そして、この条例の議論についても同じ手法がとられている。さらに、各地域でのタウンミーティングも繰り返されている。また、障害福祉課長が自ら知的障害当事者の委員のところへ資料の説明にいったという。見習うべきところは多い。 

しかし、同時にこんな風に丁寧に差別禁止条例を作った先進県の千葉の、なかば公立のような入所施設で酷い虐待・死亡事件が起きたというのも、また事実だ。これだけ丁寧な議論を重ねて差別禁止のための条例を作ってもそういうことは起こるのだということもまた考えておかなければならない。この本のどこかにも事件を起こした「事業団」の名前が出てたと思ったが、・・・(あとの方で少し紹介)

「障害者差別をなくすための研究会」の高梨憲司副座長がタウンミーティングでしたという話はわかりやすくて、面白い。(概要)
神様のいたずらで、ある街で、視覚障害者が多数になり、市長にも視覚障害者である私が選ばれ、選挙公約通り財政再建と地球環境のために街の灯りを撤去する。文句を言いに来た人には「一部の人のことばかり、聞くわけにはいきません。少しは一般市民のことも考えてください」という。

野沢さんはそれを受けて、車椅子トイレをつくろうとした時に「こんなに財政が苦しいのに一部の人のことばかり、聞くわけにはいきません」という議論があったと紹介する。そして、本人の了解をとって、この話を新聞に書いた。
で、掲載後のやりとりが面白い。「いいって言ったじゃないですか。だめだったんですか」という野沢さんに高梨さんは答える。
「だめに決まってるじゃないですか。あんなことを書かれたら、私は市長選に出られなくなっちゃうじゃないですか」


68p〜は閑静な住宅街にできた作業所にうるさいと苦情を言いにいった人が作業所の実態を見て、納得して帰り、その話を聞いた自治会長が地域と作業所を結びつける努力をし、地域に受け入れられるようになっていったという話がでてくる。野沢さんはそのプロセスから、障害者側の理解を求めていく努力の大切さを書く。それが自治会長や地域の人々を動かしていったのだと。

そして、この千葉の条例案にも障害側の意識の変化を求める内容が含まれているという。その上で、いままで悔しい思いをいっぱいしてきた障害者の側に(意識の変化を求めるの)は「なかなか難しいかもしれない」と。文章の流れでは、ここで難しいと書かれているのは「障害者側の意識の変化」なのか、と思うのだけど、これに続く「だからこそ、相談員、指定機関、差別解消委員会などの第三者の存在が必要であり、一緒に理解を求めていってくれる仲間が必要なのです」という文章を見ると、違うことについて「難しい」と言っているのかもしれないと思う。

そして、差別解消委員会の構成について、以下のように書かれているところが興味深かった。(要約)
差別解消委員会は県から独立した独立行政委員会が望ましく、県知事の付属機関ではダメだということに疑問を呈し独立行政委員会の委員は公務員だから、公平中立が求められるが、中立性や公平性を重んじる公的機関が差別事件や虐待事件で機能しないことを嫌というほど見てきた。
 殴られ、蹴られ、搾取され、犯されというようにひどいめにあいながら、それでも声を上げられない障害は多い。ずっとそのように抑圧され、無視され、冷たい目で見られていると無力感を身に付け、悔しさすら抱けない。そのような障害者に対して中立公平な立場で臨んでも彼らは声を上げないだろう。
 それよりも、傷ついている障害者に徹底して寄り添い、励まし、背中を押す人が必要。そのような民間人から構成される機関の方が実効性のある仕事ができる。形式的な公平性・中立性より、その中身が重要である。71-72p

しかし、何が差別にあたるかを判断し、仲裁・調停・勧告をだす委員会の全員が寄り添う人ではまずいような気がする。


ほかに千葉県では「推進会議」というのもつくり、そこで、差別に共通する課題を根本的に解決するたに、どうやって制度改革や意識改革をしていくかを考える場とする、という。


75pでは罰則規定について、表面的にはなくなるかもしれなkが、それで人の心は変わらないのではないか、という。


95pに社会事業団の入所施設の話がでてくる。ここが死亡事件を伴う虐待(殺人といってもいいかもしれない)で問題になった、あの事業団なのだと思う(推定だけど)。


ともあれ、条例を作る厳しさや興奮を教えられた本だったが、差別解消法ができる前と、できたあとの今とでは、条例の位置づけも変わってくるだろう。障害者差別解消法ができたいま、どんな条例が必要とされているのだろう?例えば大田区でそれはどんな風に作ることができるだろう。この本を読みながら、そんなことを考えた。

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