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zoom RSS 不安を抱き続けようと思った(たこの木通信 ほんの紹介、8回目)

<<   作成日時 : 2017/06/11 06:50   >>

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さっき、10回目の原稿を書き終えて、Iさんに送った。これを独立してアップロードしていたなったので掲載。ほとんどの部分は
『現代思想2016年10月号緊急特集=相模原障害者殺傷事件』メモ(前半)
http://tu-ta.at.webry.info/201611/article_2.html に掲載したものと同じ。

以下は、たこの木に送った原稿から改行位置などを少し変えている。

〜〜〜〜
不安を抱き続けようと思った
(ほんの紹介、8回目)

 今回、紹介するのは
『現代思想2016年10月号緊急特集=相模原障害者殺傷事件』のなかで大澤真幸さんが書いた『この不安をどうしたら取り除くことができるのか』というエッセイ、

しかし、読み返してみると、このエッセイのことを以下ではほとんど紹介していない。ここから発想したことを書いただけだ。

ここで大澤さんは大昔のドラマ『男たちの旅路』(いまなら考えられないタイトルかも)というガードマンのドラマシリーズの「車輪の一歩」(これを大澤さんは名作と紹介してる)で車いすユーザーに主人公が語る「迷惑をかけてもいいではないか」というセリフ(注)を例にとって、このエッセイ全体を以下のように結論付ける。

 ・・・私たちは次のように言えなくてはならないのだ。「他人に迷惑をかけたっていいではないか」と。いや、もっと先に行く必要があるかもしれない。ときには、他人に迷惑をかけるべきだと。私たちは、場合によっては、他人に迷惑をかけることを望まれてさえいるのだ、と。

 ここまで言い切ることができたとき、こう断定する自信をもてたとき、私たちは不安をほんとうに払拭することができる。相模原障害者殺傷事件が私たちにもたらす、おぞましい不安を、である。


「迷惑かけていいんだよ」と断言できれば、事件がもたらす不安を払拭できると大澤氏は書くのだが、ほんとうにそうか。ぼくは迷惑かけられるのが嫌だけど、「ときには、他人に迷惑をかけるべきだ。私たちは、場合によっては、他人に迷惑をかけることを望まれてさえいるのだ」と断言はできると思う、今は。でも、それで不安が払拭できるか、と聞かれるとあやしい。

いまの社会が抱えている問題が相模原事件の背景にあるのだから、不安は社会をどう変えるかという視点なしに払拭は出来ないと思う。

ここまでがこれを読んだ直後に書いたコメントだった。今回、この通信に掲載するにあたって、読み返して、付け足したくなったのが以下。結論が変わった。

相模原事件がわたしに与えた不安っていったいなんだろうと考える。それは【重い障害のある人が、誰かが考える「正義」の名のもとに、殺されてしまったこと】

その「正義」、あるいはそれに隣接する考え方が存在する。どうやら、それは自分の近くにあるだけでなく、自分のなかにもある。この事件が私を不安にするのはそこなのだと思う。

「『迷惑をかけていいんだ』と断定する自信ができたとき、相模原の事件がわたしたちにもたらすおぞましい不安を払拭できる」と大澤さんは書くのだが、そのように断定できる自信がどれだけできても、あるいはもっと言えば、どんなにすばらしい社会が訪れても、私(たち)はその不安を払拭しないほうがいいのではないか。

『障害』がもたらす『出来なさ』の多くは社会が作り出していて、それを取り除く努力を障害者運動と呼ぶことができると思う。しかし、どんなに社会が変わっても残る『出来なさ』はある。さらに、その『出来なさ』は本人にとって、否定的なものとは限らない。

そんななかで、私たちは不安を払拭すべきではないと思うのだった。

だから、「**出来ないから殺す」というUと自分を重ねることがもたらす不安を不安のまま抱き続ける必要があるのだろう。悲しいことだが、いのちを奪われる障害者がいなくなる日が来るかどうか、ぼくにはわからない。でも、それを減らそうとする努力はできるし、続けなければならない。

そして、『施設』にしか、生きる場が与えられない多くの人たちがいまも存在する。障害者は誰も、そこに収容されない権利があると日本政府も批准した国際条約があるにもかかわらずだ。

また他方で、『脱施設』という謳い文句の中で、施設を出る条件がないまま施設から出され「過重な介護負担を担っている母親たちが心を病んだり先が見えずに命を断つ事件が続いている」という指摘がある。

(ブログ『海やアシュリーのいる風景』
樽井康彦論文「知的障害者の脱施設化の論点に関する文献的研究」前      http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara2/65426152.html のコメント欄参照)。


『脱施設』は絶対に間違ってはいないと思うが、それを可能にする条件がないところで強制されると、そこに悲劇が生まれるということは容易に想像できる。

しかし、十分に条件がないからと逡巡していても現実は変わらない。条件を整える努力を続けながら、少しでも可能なところで施設から抜け出していく勇気を持つ必要もあるだろう。その抜け出した後の負担を母親だけが担うという事態は絶対に避けなければならない。

また、同時に「独り暮らしのアパートが地域だと思ってるけど、施設の延長になっちゃってる」という話もある。『障害者運動のバトンをつなぐ』(日本自立生活センター企画編集、2016年、生活書院発行)収録の対談で熊谷晋一郎さん。ホントはこの本の紹介を書きたかったのだけど、読み終わったのが締め切り直前で間に合わなかった。

ともあれ、そのように複雑で単純ではない現実の社会だが、一つひとつの出来事は意外に単純だということもある。複雑なことは複雑なこととして捨て去ることなく、しかし、目の前にある単純なことを解決する努力も続けたいと思う。
そんななかで、相模原の事件がもたらした不安は不安として胸に刻み、抱き続けることも大事なことなのではないか。

そんな風に思ったのだった。
〜〜〜


注「車輪の一歩」というドラマ、dailymotionというサイトに上がっていたので、見て、セリフも確認しようと思ったが、前半を見たところで寝てしまって締め切りを迎えてしまった。
〜〜〜〜
転載ここまで

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