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zoom RSS 『共生保障』宮本太郎著メモ

<<   作成日時 : 2017/08/18 04:18   >>

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共生保障 〈支え合いの戦略〉』宮本太郎著

これも脱成長ミーティングでとりあげるというので借りて読んでから購入した・


岩波書店のHPにある紹介の文章と目次。
紹介の文章はカバー袖の文章とほんの少しだけ異なる。
困窮と孤立が広がり,日本社会でも分断がとまらない.人々を共生の場につなぎ,支え合いを支え直す制度構想が必要だ.いかにして雇用の間口を広げ,多様な住まい方を作りだせるのか.自治体やNPOの実践を盛り込みながら,生活保障の新しいビジョンとしての「共生保障」を提示する.前著『生活保障 排除しない社会へ』の新たな展開.

目次

はじめに
第1章 制度はなぜ対応できないか
 1 今起きていること
 2 日本型生活保障と排除の構造
 3 「強い個人」の終焉
 4 支え合いの困難と政治
第2章 共生保障とは何か
 1 共生保障の基本的考え方
 2 「一億総活躍社会」と共生保障
 3 地域における共生保障の模索)
第3章 共生の場と支援の制度
 1 ユニバーサル就労
 2 共生型ケアの展開
 3 共生のための地域型居住
 4 補完型所得保障
 5 包括的サービスへの転換
第4章 社会保障改革のゆくえ
 1 普遍主義的改革の逆説
 2 準市場の導入と結果
 3 「一体改革」から困窮者自立支援へ
第5章 共生という価値と政治
 1 共生という価値
 2 共生をめぐる政治
 3 新しい戦略のために


「はじめに」の冒頭で語られるのが、地域社会が持続困難になっているという話。

ここでいう地域社会ってなんだろうと思う。
どんな内容でであれ、人が生活する限りは、地域や社会はある。
それ以上の内容をもったものを「地域社会」と呼ぶのだろうが、その成立要件って、いったいなんだろうと思う。

同時に読んだ『分断社会を終わらせる』と重なる部分も多いが、先日、宮本太郎さんの話を聞くと微妙な意見の違いもあるのではないかと感じた。

講演で言われていたなかでは
〜〜〜
制度はなぜ対応できないか
いままでが選別主義だったと言われるが、それは本当か?
〜〜〜
というあたりが微妙に違う部分かと思ったし、本のなかで普遍主義が本来の目的を離れて・・・というあたりも。
今度、本人に会う機会があったら、異同を聞いてみたい。


以下、読書メモ

はじめに

以下の指摘は「我が事・まるごと」を考える際に重要なポイントだと思う。
人々が支え合いに加わる力そのものが損なわれ、共生それ自体が困難になっている。こうした現実に分け入ることなく、規範として共生を掲げ続けるならば、それは現実を覆い隠すばかりか、困難になった支え合いに責任を丸投げしてしまうことにもなりかねない。(C)
まさに、「我が事・まるごと」が「人ごと丸投げ」になるという的確な批判だ。


共生保障は新しい言葉ではあるが、その内容は新奇なものではなく、現実から離反した抽象論でもない。地域における様々な支え合いの取り組みに根ざし、また国がすすめてきた社会保障改革の教訓もふまえたものである。(D)


第1章 制度はなぜ対応できないか
今日の困窮は連帯ではなく孤立を招く。(9p)


32-33pで宮本さんは医学モデルから生活モデル(社会モデル)という言い方をしている。障害学では社会モデルのほうが一般的だと思うが、ここであえて、この「社会モデル」という言葉を()に入れる意味があるのだと感じたが、具体的な説明があるわけではない。生活モデルについては、続く部分で以下のように説明している。
「生活モデル」の視点からすれば、身体とこころの状態とかかわらず、すべての人々が生活できる環境の実現こそが課題である。33p


第2章 共生保障とは何か

共生保障とは
1、「支える側」を支えなおす制度や政策
2、「支えられる側」に括られてきた人の参加機会を広げ、社会につなげる制度と政策。包括的サービスの実現。
3、就労や居住に関して、より多様な人々が参入できる新しい共生の場をつくりだす施策。所得保障については、限定された働き方でもその勤労所得を補完したり、家賃や子育てコストの一部を給付する補完型所得保障を広げる。


この「2」の説明の中で、宮本さんはい一連の「自立支援」施策が理念を達成できないでいる制度的な障害として、
1、サービス供給の縦割り
2、支援期間中の所得保障の欠落
3、サービスの自己負担の大きさ

をあげ、より多くの人々が参加できる間口の広い雇用の場や居住の形を構築することを課題とする。(51p)
と書いている。
1に関してはそういう問題は強く感じるが、3についてはあまり感じない。2については、生活保護ではない人々への支援策はもっとあればいいとは思うが、それが原因で自立支援の理念が達成できないとまで書かれてしまうと、少し違和感が残るがそれが原因で制度を利用できない人はいるし、労働行政の職業訓練には所得保障があることを考えれば、当然、それは必要だともいえるだろう。。
とはいえ、なぜ自立が達成できないかという問いは重要だと思う。そのときの自立とは何か。自分が関わる障害者政策(総合支援法)での就労支援で言えば就労移行に関しては、それなりに機能している面もあると思うが。

また、一般就労以外の働く場が必要(51-52p)という意見は共同連がずっと主張してきたもので、彼らが宮本太郎をときどき呼ぶのはこのあたりの主張の親和性だろう。

66-74pで展開されている秋田の藤里町社協の実例は興味深い。
調査して、18歳〜55歳で113人が引きこもり状態だった。彼らを支える側の人間になってもらう形で町おこし。先進的な中間的就労としての「こみっと」の取り組み。
次に紹介されるのは「ふるさとの会」だが、ここへの評価はわかれるものがある。
ただ、空き家利用はもっと積極的に行われるべきだろう。

就労継続支援の対象を障害者に絞らない(89p)という提起はもっと大きな声でなされる必要があるだろう。

第3章 共生の場と支援の制度

96p〜は豊中市における就労支援の先進的な事例が紹介されている。
それに続けて99p〜展開される弘前市の事例。「弘前市まち・ひと・しごと創生総合戦略」
102p〜はベーシックワークの提起。
ベーシックワークとはベーシックインカムに対置した考え方で、自治体などが就労の意欲はあるのに就労できないすべての市民に対して、一定時間就労できる条件を提供すること(103p)

ベーシックワークはあくまで就労を望んでいるのにできない人の権利として保障されるべきで、福祉受給者への義務となってはならないという部分がポイントだと思うが、制度として入ってくると、そうなる危険が高そうなのが怖いところ。(105p)

118pには大牟田市と豊島区の居住支援協議会の先進事例。

120p〜は補完型所得保障の重要性が説かれている。

128pには「ネットワークの乱立?」という見出しもある。
行政が縦割りのままでは、ネットワークがたくさんあっても。そのネットワークの力でそこを超えることは確かに困難だ。

縦割りを超えるための福祉相談窓口という取り組み(静岡県富士宮市)131p

和光市でのコミュニティケア会議。障害福祉でもやられているのかどうかはわからないが、介護保険だけだとしても興味深い取り組み。133p

宮本さんは、当別町「ゆうゆう」の取り組みを報告して(136p)、以下のように書く。「ここに貫かれているのは、ケアの場を地域につないでいくというより、共生型のケアの場に地域の共生関係を引きよせていくという発想なのである」

また、島根県雲南市における公民館を軸にした取り組み。137p〜
公民館を地域福祉、地域づくり、生涯学習を担う交流センターに改組。ここに自治会や消防団、PTAなどがつながる地域自主組織を立ち上げ。
平均して人口3000人ごとに30の自主組織がある。社協の人件費を市がそれぞれの地域自主組織に直接交付し、専任の職員を各地域に配置。

サービスの包括化の形はさまざまあり、地域や行政のどこに意欲のそれを実現する人がいるかで出発点は変わる。共生保障は「ご当地モデル」をとおしてのみ具現化する。141p

共生の場と支援の制度についてのまとめ

共生保障に接近するための制度は、
1、共生の場を一般的就労や私的居住を超えて構築していくことと、
2、人々をそこにつなぐサービスを整備すること
この二つが柱。141p


雇用と福祉が相互乗り入れする形で、ユニバーサル就労や共生型ケアを定着させていく施策が必要。
雇用に関しては
・継続就労支援の制度を拡張する形でユニバーサル雇用を導入する企業への支援を強化すること。
・自治体が地域の企業に働きかけて支援付き就労の開発をすすめること。
・ベーシックワーク型のプログラムを拡大すること。
141-142p

支援サービスは
@人々を雇用や居住サービスにつなぎつつ、必要に応じてそこから離れて、教育や訓練、身体とこころのケアを受けることを可能にしなければならない
A世帯や個人の事情に対応できる柔軟なサービスを
Bその担い手として、行政と多様な民間の事業体の連携が必要。しかし、営利企業を軸とした市場によって担うことは出来ない。共生保障は、多様な困難を抱えた多数の人々を社会につなぎ、能力は発揮できるようにする仕組み
C支援サービスは公的な財源に基づき最低限の自己負担で提供されるべき



第4章 社会保障改革のゆくえ

この章の初めに「90年代からの社会保障改革の基調は、普遍主義的改革であった」(146p)とあるのだが、果たして、ほんとうにそうなのだろうか?宮本さんはそれを前提として、普遍主義改革が空転しており、それが逆説をもたらしていると主張するのだが。
介護保険は確かにそのように呼べるかもしれないが、障害福祉サービスについては基本的に「手帳保持者」に限られているなどを考えると、貧しい障害者にだけ支援するというスタンスからの変更はあったかもしれないが、所得によって自己負担額が異なるというのをユニバーサルと呼べるかどうか?

措置から利用へという流れは本当に「普遍主義」と呼べるかどうか?気になるところ。

このあたりの普遍主義批判は『分断社会・・』の井出英策さんとの違いを感じる部分だが、逆に「社会保障面では納税の見返りは小さく、とくに現役世代への納税者にとって・・・。納税者に税への信頼を失わせ・・。投入された税の効用が感じにくい」(157-158p)という指摘は井出さんたちとの親和性が高そう。

福祉の対象を中間層に広げようとした『普遍主義的改革』が低所得層を排除する傾向を帯びてきた(164p)

また、164p〜は「準市場」についての記述がある。準市場とは税財源で自治体がサービスを提唱するのではなく、介護保険のように社会保障も財源に組み込みつつ、民間の営利、非営利の多様なサービス供給主体を組み込んでいくもの。公的な財源に基づくという点で一般の市場とは異なるが、多様なサービス主体から選択できるという点では市場との共通性もある。近年の日本におけるホームヘルプなどの障害福祉サービスの増大にはこれが寄与しているという側面は大きい(169〜)、とのこと。この準市場の「準」の部分のありかたが問題なのだと思う。これを理由にして、低賃金が一般化したりしないようにどうしたらいいか、そのあたりの仕組みがしっかりしていないために起きている弊害の大きさはちゃんと見ていかなくてはいけないと思う。

この後、宮本さんは利用料と支給の抑制について書いていて、障害福祉―ビスについて、民主党政権での減免の拡大後もこの1割負担が障害者に重くのしかかっている(179p)と書くのだが、配偶者の所得がカウントされるといった問題や一部の補装具などでは減免があまりないという問題はありつつも、ぼくのところでは「重くのしかかっている」という実感は薄い。全体として、どうなのだろう?

182p〜は「自立とは何か」という小見出し。
冒頭で生活困窮者自立支援法について、この制度が「支えられる側」を保護するというより生活困窮者の自立を支援して、その社会参加を支えることを目標とした制度であり、生活困窮の広がりをふまえつつ、普遍主義的な社会保障・福祉への転換という目標も貫こうとした点で、この制度は共生保障の理念と近い、という。
「自立支援」という概念はそれまでもたくさん使われてきたが、それまでは「高齢者」とか「障害者」とか「子ども」という属性を対象にした支援で、縦割りの制度だったが生困窮者自立支援法は生活困窮という状態を対象にしている。

ここでは「自立とは何か」について、哲学的な答えは提出されない。ただ、従来の各種の自立支援制度が基準を一般就労に置いていたので、自立支援という言葉はここに引っ張られて、一般就労の要請に還元されることが多かったというだけで、自立とは何かということは、この節には書かれていない。

この章のまとめとして書かれているのは、介護保険や障害者自立支援法の制定に見られるように、普遍主義的改革は進んできたが、これが行われた時期が経済の停滞期と重なったために以下の3つの構造的ジレンマに制約された。
1、財政的困難
2、自治体の制度構造
3、中間層の解体
このように宮本さんは書くのだが、この時期、財政的な困難がなければ政府は本格的な普遍主義改革に着手しただろうか?

そして、これに続けて生活困窮者自立支援制度はこのジレンマに対処しようとする政策展開であるとして、以下の3つをあげる。
1、救貧制度に舞い戻ることなく中間層の解体に対処しようとするもの。つまり、困窮は誰でも直面するリスクととらえ、その限りで普遍主義的発想
2、この制度は自治体による包括的な支援を求める。その軸に自立相談支援事業。
3、短期的には生活保護を使うとしても、長期的には就労可能な人の地域参加を広げつつ、地域の活性化や課税ベースの拡大を目指すもの


同時にこのように構造的問題に切り込む制度であるだけに、自治体における執行において、多くの壁につきあたっている。
とのこと。確かにありそうな話だ。

第5章 共生という価値と政治

普遍主義改革が進められようとしてきたが、政治経済構造がそのままで。結局、意図しない結果がもたらされてきたし、これから新しい改革を起こそうとしても、同様のことになるのでは、と書いたうえで、「共生保障」は自治体の制度構造や中間層の解体などの構造問題に踏み込むことを含めたビジョンだという。(193p)

しかし、どのように。という話で、共生保障実現のための政治のかたちが次のテーマになる。

【政府が「共生」や「支え合い」をいうとき、助け合いの押し付けというトーンが強まるが、共生や支え合いは規範として押しつけられる筋合いのものではない】と言いきり、【共生は長期的に見ると自己に利益をもたらすものであり、人びとが互いに認め認められる相互承認の関係を取り結ぶことができれば、共生はそれ自体が価値になる】として、前者を手段としての共生、後者を目的としての共生と呼ぶ。それは「本来は自発的な営み」だというのが宮本さんの主張だ。(194p)

そこで例に出されるのが、ドーキンスの実験。鳥の頭につくダニをとらなければ命を落とすのだが、自分では取れない。そこで、利他的な鳥と利己的な鳥と、お互い様の鳥という、3種類の鳥がいて、短期的には利己的な鳥が繁殖するが、長期的にはお互い様の鳥が支配的になるという話だ。195-196p

続いて、この互恵的な関係は土台に信頼関係が必要だということが説かれる。R・アクセルロッドという人が、そのより具体的な条件を提示する。
1、人々が頻繁に出会って協力し合う機会を多く作り、
2、さらに関係が持続する見通しをつけて「将来の重みを増す」
3、また、協力関係に参加したときの見返りが増大するように制度を設計。
4、さらには協力関係が一人ひとりの利益になることを丁寧に説明することが不可欠。
197p
しかし、この1が都会ではまず困難なのではないか?

ともあれ、これに続いて、宮本さんはこれを生活保障の議論に引き付け、日本型生活保障は、信頼関係が社会に行き渡りにくく、会社などを超えた協力の条件が整いにくい仕組みだと書き、3つのことを書く。
1、企業や業界を超えたつながりの弱さ。
 男性稼ぎ主を中心とした「支える側」の企業や業界は、それぞれが生活保障や教育の機能を自足的に果たし、内部に濃密な人間関係を形成していたが、その枠を超えた薄く広い信頼関係は育たなかった。
 2、政府に対する信頼の欠落
 3、「支えられる側」を切り離し、絞り込む仕組み。


そして、宮本さんは
、「税を地域で活用し納税者の不信を解消するよりも、左右の党派を問わず税への不信を政治的に動員することが優先されていった」(200p)
と指摘するのだが、現実に森友、加計学園問題が示すように、友人や思想的に近い人を優遇する税の使いかたの不透明さが税金の使い方への不信を呼ぶ。ここが正され、また正そうという真摯な姿勢を示さず、あいまいなごまかしの答弁を続ける限り、信頼は得られないのではないか?

203pに書かれている「共生の可視化」が必要だという話はそうだと思う。見えないものに可能性を託せるほど、人間は強くない。

5章2節 共生をめぐる政治(205p)
この冒頭で宮本さんは「共生社会のビジョンが様々に提起されているものの、生活保障をめぐる政治のあり方は、必ずしも共生の保障に動き出しているとはいえない」「生活保障をめぐる政治は、むしろ先祖返りともいうべき・・・」と書く。

そして、いくつかの政治的な立場からの対応が紹介される。
経済成長重視の立場からは、自助の原理が打ち出されているとし、保守主義的な立場からは、家族の助け合いや三世代同居の効用が説かれ、自助が成り立たない雇用の劣化や、家族を作れない若者の実情とかけ離れた議論が増えている。
また、返す刀で社会保障重視の立場の人にありがちな、準市場型の改革や自立支援という考え方をすべて「新自由主義」とレッテル貼りする傾向を批判し、「政治が福祉優先を唱えれば自動的に事態が打開されるかの議論は、あまりに単純化された見方である」(205p)というのだが、あのあたりの人たちを批判しているのではないかと思うのだが、ここはそのような人たちを宮本さんが単純化しすぎなのではないかと感じた。

そして、共生保障実現のための政治思想の話に移る。そこで「経済的自由主義」「リベラル」「保守主義」の3つの立場について、「経済的自由主義」+「保守主義」vs「リベラル」という従来の対立軸が「支える側」と「支えられる側」という二分法が前提と出来ない現在、そのままでは通用しなくなってきていると書く。(206p)
そして、中間層の不安や怒りを煽るポピュリズム的な政治が世界的に広がっているが、「制度転換で社会的断層をふさぐ、共生保障の政治への転換が求められている」(207p)という。
その共生保障の政治とは北欧型リベラルの流れを汲むが、「第三の道」路線における社会的投資や社会的包摂の提起が雇用の劣化や地域社会や家族の揺らぎを招くことに十分に自覚的ではなかったので、共生の場の再構築をめざす。つまり、雇用やコミュニティの揺らぎに対して、その再生や維持を目指すという点では、保守主義的な課題も担い、同時に経済成長という課題も、その内容や基準の見直しは必要だが、看過されるべきではない。しかし、経済的新自由主義のようなトリクルダウンの発想はとらず、EU型の底上げ型成長戦略である包摂型成長(インクルーシブ・グロース)の考え方に近いとし、リベラルの流れは汲むが、コミュニティの再生というような保守主義の課題も意識し、安定した経済も求めるというように新自由主義の課題にも取り込む、として、逆に言えば、ここには新たな政治再編の可能性も見いだせるのだとのこと。(209-210p)

211pのマトリクス参照(写真)
画像


そして、こんな転換が可能なのか、という当然出てくる問いに対して、他の路線が「最終的な解決策にならないとすれば、選択肢になる可能性はある」とうのが宮本さんの答えとなる。
216-217p

「だが、共生や自立というテーマが政府から打ち出されるとき、そこには行政と政治の責任が曖昧にされ、人々の助け合いや自助にすりかえられる危険もある。共生保障とは、そのようなすりかえを回避し、人々の支え合いのために行政や政治が果たすべき条件を示す政策基準である」(219p)


そして、この共生保障の「理念が地域、行政、政治の連関のなかで活かされ、練磨されていくべきものであろう」(222p)と、この本は閉じられる。地域での実践と地方の政治にその影響力を拡大させる可能性は大きいと感じるが、国単位の行政や政治にどのように活かしていくか、そこの道筋は見えにくい。

〜〜〜〜
宮本さんに対する批判も耳にするが、この『共生保障』という問題の立て方はとても興味深かった。





2017年7月15日社会的企業研究会での
【「共生保障」 社会的企業と準市場の可能性】に参加

そのときのメモ
〜〜
この本、売れてはないが、業界の人には話題にされていて、週に2回くらい呼ばれている。
そこで言われる批判「お前はスウェーデン派だったのでは?」と言われる。
『共生』か『保障』かという問題の立て方の問題。
厚労省のプロジェクトにも功罪ある。
『支え合い』に丸投げか

だから『共生保障』という言い方をしている。
共生をどう保障するかという視点の必要。

3つの論点
1、地域で何が起きているのか 困窮と孤立
2、制度はなぜ対応していないのか
いままでが選別主義だったと言われるが、それは本当か?

3、「共生保障」のビジョンにおける中間層の利益は?
いままで言われてきたこと
〜〜

1967年前の1億人社会とこれから来る1億人社会

・「重量挙げ」化
生産年齢人口
10:1から1:1へ
5秒ではなく「ずっとあげていろ」

・「漏斗」化
2050年になっても東京の人口は減らない
逆三角形
自然増が最低のところに最高の社会増が
下から人が消えていく


・「困窮」化?
いちばん上の1割にもいかない部分の人口が急増。


等価可処分所得の中央値が減り続けている。
給与所得は若干増えているが、手取り収入は減っている。

かつての「貧乏」と今日の「貧困」
*「連帯」「希望」「運動」から「孤立」「諦観」「沈黙」

**年の平均年齢が107歳を超えるという予想も
単身の高齢女性は半分が生活保護になるという調査

世代間対立はなくなる。

日本の制度は困難を分別するという問題。


〜〜〜〜
この先にもメモは続いたいたが、意味不明だったのでカット


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