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zoom RSS 障害と分配などをめぐる立岩さんの文章に勝手に補助線を入れてみた

<<   作成日時 : 2017/11/12 07:32   >>

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立岩さんの文章 
不如意なのに/だから語ること・2
http://www.arsvi.com/ts/20172430.htm 
これが、いつも通り読みにくかったので分解し、【】内にコメントを入れててみた。フェイスブックのタイムラインにあげたものに加筆訂正。
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「人がみな同じにできるのであれば、分配といった主題も現われないだろう【確かに全員の能力が同じなら、分配の方法は単純だろう。しかし、その主題が現れないかどうかは不明。同じにできてもやる人とやらない人がいて、そこでの分配をどうするかという主題は残るはず】。しかし、学校の先生は努力次第だと言うが、そう言うのは学校の先生だからであって、差はあってしまう【努力で変わることも確かにあるが、多くは変わらない。そして、学校の先生も努力次第で差がなくなるとまでは言わないと思う。また「あってしまう」ってどういうことか、そんな日本語があり得るのか、という指摘も】★04。

だが、できること(/できないこと)は多く手段の水準にある。【確かに段があればできることは多い。そんなことを主張したいのだと思うのだけど、それを「手段の水準にある」っていうかなぁ】
手段は多くの場合に複数ある。また同じことでも一人の人だけしかできないということはたいへん少ない。自分ができなくても誰か他の人たちができる、ならばそうすればよい。

社会的な対応が一番簡単だということだ。その簡単にできるはずなのことなのに、この社会はできていない、それで暮しが困難になっているなら、腹も立とうというものだ。【社会がその手段を準備してくれれば、出来ることは格段に増えるし、それが簡単だというのはその通りだと思う】

障害者運動・障害学がまずその方面を問題にし運動してきたというのももっともなことである。【『障害の社会モデル』に先行して、社会に障害者が要求する運動があったのだよね】

 ただ一つ、得られるものにその人自身の身体が関わる場合には困難が生ずることがある。私の足が動かなくとも、他の人が動かしてくれればどこかに着く。私の目が見えなくとも、文字はわかる。ただ目で見ること自体を他人から得ることはできないということだ。 【見るという体験そのものから得られる快感は得られない、ということだろう。同様に走るという体験そのものから得られる感覚も得られない。それらについて、まったく同じものが得られることはないが、見えない人や走れない人は、見える人や走れる人が感じている以上のものを感じることもあるのではないか。「できない」ということだけが強調されてきた文脈をまず問題にしたいとぼくは思う】

 もう一つ、他人から得るという時のその他人にも身体があり、身体と身体との接点に例えば羞恥が生ずることがある【羞恥は関係性によって規定されるのだろう。そして、自慰について考えてみる。自分でやるから自慰であるとすれば、他者に射精を促してもらうことは性行為であって自慰ではないのではないか。それは似ているけれども別の行為】。とすると、ときに代替も容易でないことがある。ごく短くまとめるとこのような事態について書かれたものがあってきた★05。」
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 「★04 その差や差の由来が、身体においてわりあいはっきりしている場合にそれは障害と呼ばれる。【あえて書けば、身体以外にも精神障害とか知的障害とか発達障害と呼ばれるものもあるが】

そうして一部が【(身体・知的・精神などの)障害として】取り出されることこそがまさに社会的な構築であって、それについて調べたり考えたりするのは必要なことだが【立岩さんの仕事はほとんどがこれではないかと思う】、わざわざ自分(たち)でそれを取り出すこと、「障害とは何か」を定義するといったことは必要ないのだと前回述べ、次回そのことをさらに説明する。【なぜ定義する必要がないのかは前回のものも次回のものも読んでないので知らない】

ただ、私がこのように言うことは、そのできる/できないが、個々の人、人の身体に帰属することと両立する。【帰属することもあれば、帰属しないこともあるってことだろう】

さらに、そのできる/できないことに関わる生産物を必要とし欲する人々の選好のあり方の可塑性が、社会の変革の可能性とその方法とに関わっている。【資本主義の物差しで「出来る」とされる人や、すでに多くのものや金を手にしている人が持っているがゆえにさらに多くを得る仕組みから、人の生存の必要に応じて、分配する仕組みになれば、それは大きな社会変革だ】
後でこのことについても再説することになるだろう。
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★05 前回もあげた前田[2009]。草山[2005]前田[2005]等を含む倉本編[2005]。前田が大会長を務める今年の障害学会大会(十月二八・二九日、於神戸学院大学)初日のシンポジウム1は「障害、介助、セックスワーク」。
【このシンポジウムで発表した坂爪さん、シンポジウム後、同じシンポジストの要さんのツイッターをブロックしたとのこと。そのあたりの狭量の小ささが坂爪さんの活動を規定しているようにも思える。
要さんのホワイトハンズに関するコメントは https://www.facebook.com/yukiko.kaname/posts/10155690720299404 や
https://www.facebook.com/yukiko.kaname/posts/10155683490019404
松沢さんの整理でわかりやすいのが
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1907960342564095&id=100000504433981

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