三里塚経験の継承について

attac-jp(首都圏)のMLから集会案内をもらったので、以下に転載し、それへのコメントを最後につけたしておきます。

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三里塚40年の“たすきわたし” 12.3集会のインフォです。皆さん、ぜひ賛同人になってください。

空港建設に反対し、この大地に生きてきた!
三里塚40年の“たすきわたし” 12.3集会

・日時:12月3日(日) 午後1時開場

  会場:文京区民センター2A(地下鉄三田線春日駅下車)

・プログラム
 午後1時半 三里塚闘争の映像上映
 午後3時 シンポジウムと討論
 大野和興さん(農業ジャーナリスト)
 鎌田慧さん(ジャーナリスト)
 柳川秀夫さん(三里塚農民)
 平野靖識さん(東峰地区・らっきょう工場)
 中川憲一さん(元管制塔被告) ほか

特別報告 静岡空港反対闘争

午後6時終了 
・パネル展示─三里塚闘争の経過などを示す写真

・主催 三里塚闘争40企画呼びかけ人一同

 三里塚闘争は、今年でちょうど40年を迎えます。1966年7月4日、政府は地元に一言の相談もなく空港建設を閣議決定し、暴力と札束をほしいままにして空港建設を強行してきました。しかし、大地に生きる農民は、自分たちを虫けらのように扱う国家権力の非道なやり方に怒り、ときには激しく身体を張りながら、農の営みを続けて長い抵抗のたたかいを展開してきました。農民のたたかいは、政府の圧政や大企業の横暴とたたかう全国の人びとの熱い共感を呼び、多くの人びとが三里塚闘争を我がこととして現地に駆けつけ、あるいは全国各地で共にたたかいました。フランスのラルザックのたたかいをはじめ、国境を越えた連帯と共感の輪も生まれました。そして、いまなお暫定滑走路直下でも農の営みが黙々と続けられ、暫定滑走路の北側への延伸という国土交通省と空港会社の暴挙も抵抗の意思を挫くことはできないのです。
 三里塚闘争はその長い歴史を通じて、国家権力の恐ろしさを明るみに出すと同時に、人はなぜ抵抗するのか、民衆の正義とは何か、私たちの望む社会とは何かといったことを生き生きと語りだしました。日本の民衆運動が現在の後退局面と困難を乗り越え再び前に向かうために、三里塚闘争から学ぶことは多いと思います。静岡など各地では、地域民衆に有害無益でしかない上からの空港建設を阻む力強い闘いが続いています。
 私たちは、40年の節目を迎えて、三里塚闘争の歴史と真実を若い世代に分かりやすく伝えると同時に、この闘争の歴史から多くのことを引き出してみたいと思います。そして、たんなる懐古に終わらせることなく、その現代的で普遍的な意味に光を当てながら、日本の民衆運動の再生について活発に論じあいたいと思います。

 ・この企画実現に向けて、賛同人賛同団体となって支えてくださることをお願いします。

 呼びかけ人一同(アイウエオ順)

浅井真由美(協同センター・労働情報 共同代表)、石崎昭哲(三里塚闘争に連帯する会・福岡代表)大野和興(農業ジャーナリスト)、大原隆(三里塚のじゃがいも運動)、鎌田慧(ジャーナリスト)、神田公司(合志市議)、桜井建男(空港はいらない静岡県民の会事務局長)、島田清作(立川市民)、島野房巳(空港はいらない静岡県民の会共同代表)、白川真澄(ピープルズ・プラン研究所)、鈴村多賀志(田んぼくらぶ)、大道寺毅(羽田空港を監視する会)、高橋千代司(三里塚・暫定滑走路に反対する連絡会)、高見圭司(スペース21)、塚本春雄(横浜事件の再審を実現しよう!全国ネットワーク・静岡)、中川憲一(管制塔占拠闘争元被告)、中山千夏(作家)、中山均(新潟市議)、花崎皐平(哲学者・在小樽)、林廣治(共同声明運動)、樋口篤三(初代労働情報編集人)、平野靖識(らっきょう工場:実験村)、福富節男(数学者)、星川洋史(関西三里塚闘争に連帯する会)、前田道彦(管制塔占拠闘争元被告)、前田裕晤(全労協副議長)、水原博子(日本消費者連盟)、村田文雄(社会運動社)、宮下智行(田んぼくらぶ)、本木寛(全水道東水労青年女性部長)、柳川秀夫(反対同盟世話人)、山崎宏(労闘─労活評現闘)、吉川勇一(市民の意見30の会・東京)、若野正太郎(泉州沖に空港をつくらせない住民連絡会・代表)、渡辺勉、渡邉充春(関西三里塚闘争に連帯する会)

 賛同費 個人 1000円 団体 3000円
 郵便振替口座;口座番号 00190─5─501953 
 口座名称 三里塚40年の会

 三里塚闘争40年企画事務局
 連絡先:東京都千代田区三崎町2─2─13─502 現代思想社 じゃがいもの会気付 
TEL 070─5595─5622 大原
e-mail address: marutan@jasmine.ocn.ne.jp
  (@は半角文字)  
===

以下は、attacのMLに書いたレスポンスにちょっと補足して転載

=====
集会の主旨には大賛成です。
この間、考えてきたことでもあります。


例えば、今年の1月19日付けのブログにはこんなことを書いています。
http://tu-ta.at.webry.info/200601/article_8.html
「三里塚闘争・暴力・総括・非暴力・9条・内ゲバ・サパティスタ 」
以下、そのブログから引用
====
知人に御礼のメールを書く必要があった。その知人が管制塔被告へのカンパに少しかかわっていたので、ちょっとグチを聞いてもらいたい気分になり、少しだけそのことに触れた。

==以下、ちょっと補足して転載==

P.S.
以下、ちょっとしたグチです。読み流してもらえたらうれしいです。

管制塔カンパでもいろいろご苦労さまでした。

管制塔のカンパはそれとして絶対必要なことだったわけですが、第二の3.26とかいう乗りには、とてもついていけませんでした。

あの実力闘争にどのような意味があったのか。
実力闘争のエスカレートとその暴力性との相関をどう考えたらいいのか、その後の話し合い路線、そしてその中でも多くの農民が闘争から離れていかざるを得なくなっていったこと、それらを今の時代から振り返ることは、必要なことだと思うのです。そして、管制塔被告にかけられた攻撃は、そのことを想起するひとつの契機になりえたはずなのに、それらの作業が必要だというぼくのひ弱な声は誰にも相手にされず、ぼくとしても主体的に何もできないまま、管制塔カンパは終了してしまいました。また、強姦事件をきっかけに明らかになってきたジェンダーの問題。そして、そのような闘争下における男と女の関係も提起されたままになっているように思えます。

三里塚闘争、ぼくがかかわったのは80年代になってからですが、とりわけ70年代の後半から現在にいたるまで、いくつかの時期に分けることができると思います。それぞれの時期の闘争が現在に対して、どのような意味を持ち、そこから何を学ぶことができるのか、あるいは現在、そこから学ぶべきものは何もないのか、そのようなことを検証する作業は必要だろうなぁと思いつつ、忙しさという言い訳の中で何も出来ずにいる自分がいます。

三里塚をフィールドにする若い研究者の友人に、そういう作業のきっかけになるようなまとめができないかお願いしたりしていますが、・・・。

なかなかグチをぶつける相手がいないので、キーボードにまかせて書いてみました。ここまで読んでくれてありがとう。
別にレスポンスを要求しているわけではないので、気にしないで下さい。(笑)

==ブログからの引用ココまで==


(この日のブログの内容、この先も続くのですが、タイトルは勇ましいだけで、書いてあることはいつものようにしょぼいです。期待して、クリックするかもしれない方に断っておきます。)


というわけで、集会の主旨には賛成なんですが、ただ、この集会のタイトルは「ちょっとなぁ」と思います。
検証し、語り継ぎ、次世代へ残せるものは残すことは必要なんだけど、たすきを渡しちゃうのはまずいんじゃないでしょうか?やっぱり、どんな形であれ(ぼくの場合はとってもいいかげんな形かもしれないけど)、たすきはかけ続けたいと思うわけです。

とはいうものの、集会の主旨には賛同できるので、**さん、今度会ったときにでもお金を渡します。

==attacのMLに書いたレスポンスここまで==

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