障害受容とリハビリテーション

MLに投稿したものに少しだけ手を加えて転載





この紹介文ではかなり難解な要約を紹介文にしてしまったのですが、以下のサイトで読めるものもあります。



この論文についての「問題意識と研究の目的」は以下で読めます。



このテキストの第1章は


で読めます。


また、以下のブログ記事にもコメントなどが記載されています。




この次回研究会のタイトルと同名のテキスト

「障害受容――リハビリテーションにおける使用法」を読んでいました。



ここに書かれている結論はこれ以上明確なものはないというくらい明確で、


「『障害受容』は、(少なくとも)リハビリテーションの全過程において廃棄されてよい、すべき概念である」


という。こんなにわかりやすい結論を持っているですが、中身は手ごわい。(少なくともぼくには)


何か書こうと思いながら、逡巡しているうちに2日前になってしまいました。


とりあえず、書き始めてみます。



まず、田島さんの問題意識ですが、

「リハビリテーションの場における〈表象の不在のポリティクス〉を俎上にあげ、記述したい」

とあります。〈表象の不在のポリティクス〉わかったようなわからないような難しい概念ですが、リハビリテーションがもつ障害をめぐる政治力学というのはもっと考えられなければならないようにも思います。


ところで、リハビリテーションっていったい何なのでしょう。何のための行為で、何を目的としているのか、たぶん、療法士業界の中でもそれは、自明のようでありながら、実は忘れられがちのことなのかもしれません。毎日、意識してたら仕事にならないかもしれないし。

 しかし、それは表面的には何らかの目的をもった行為であることは間違いないでしょう。


 中途でインペアメントを受けた成人に対するリハビリというのは障害者本人がいろんな意味で「おりあえる地点」を探す行為なのかなぁとも思います。


とはいうものの、こういうことをすべて想像で書いているのもなかなか居心地がよくないので、まず、例えば田島さんがやっている作業療法士の仕事とはどんな仕事なのか、一般的に作業療法士っていうのは何をやる人なのかということを押さえた方がいいのかもしれません。


作業療法に関連して、強烈に覚えているのは伊奈かっぺいさんがラジオで言っていたことなんですが、脳の血管障害で体の一部が動かなくなった伊奈さんがリハビリで、いっしょうけんめいビーズで何かを作らされて、「やっとできたぁ」と喜んだら、目の前で療法士の人がザーとビーズの紐を外して、「はい、またやってみましょう」と言われたらしいんです。伊奈さんは冗談めかしながらも憤慨していて、「せっかく作ったビーズをぼくにどうしてくれないんだ」と言っていました。なんとなく、そこにリハビリテーションのひとつの形があるんだなぁと思ったのです。


ともあれ、障害学を学びながら、リハビリテーションを職業にする人が、メディカルモデルとどう向き合い、リハビリテーションとどうつきあおうとしているのか「障害受容」という概念を考察しながら見えてくることは少なくなさそうです。

急なお誘いで申し訳ないのですが、ぜひ、研究会に参加してみてください。




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