「資本主義をどう超えるか」(関 曠野さん)

吉田太郎さんのブログで先日のイベント「地域のチカラ」の話が紹介されている。
http://pub.ne.jp/cubaorganic/?entry_id=1776385
(吉田さんに話をしてもらったことには触れられていないけれど)

そして、その同じ記事の中で、関 曠野さんの2002年5月のコラム「資本主義をどう超えるか」
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/4041/seki/0205.html
について書かれている。このコラムのことをぼくは知らなかったがすごく興味深い。

短いコラムなので、ぜひ全文を読んで欲しいが、現在の危機を予見している。
そして、資本主義の危機についてかかれたあとで、それを超える方向性が提示される。

ちょっと自慢話にもなるが、ぼくが考えてきた方向とも極めて近い。
こんなフレーズが出てくる。

「すべての人間にとってその出生が祝福であるような社会を作ることができるという希望」

これは『軍縮地球市民No.6』の「生きていることの肯定」(2006年秋、特集「環境平和学のススメ」)にすごく近しいものを感じる。(ちなみにこの文章のサブタイトルは~障害学・環境・サブシステンス~という三題話)

この関さんのコラムの結語はこうだ。
===
 ところで最後に、どのような経路でこの資本主義を超えた社会が生まれてくるのかという問題が残っている。残念ながら、おそらく資本主義の超克には社会の全面的な破局が必要だろうというのが私の予感である。そして幸か不幸か、今日の資本主義は日を追って不安定化し次第にそうした破局に向かっているようにみえる。しかしたんなる破局はジャングルのような社会をもたらすだけである。やはり決定的なことは、労働や出生や人生の意味についての人々の考え方が静かにそして確実に変わってゆくことなのである。
===

サティシュ・クマールさんはこの破局を歓迎しなさいと語った。そのとき、できるだけソフト・ランディングしたいという感想を述べた人がいたが、ソフトランディングはありえないだろう。しかし、その破局をジャングルのような社会の到来にしないような準備が必要だ。すでにその破局は始まりつつあり、その影響は最初に『弱者』とされている人を襲う。そこを最大限防ぐ手立ても考えられなければならない。

「決定的なことは、労働や出生や人生の意味についての人々の考え方が静かにそして確実に変わってゆくこと」だと関さんは書く。それはとても大切なことだと思うが、その変化が波紋がすこしずつ広がるような形での静かな変化で間に合うのかなぁとも思う。収縮していたものが解き放たれるような変化のスピードを求めたいようにも思うが、そんなことが可能なのかどうかはわからない。






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