内田樹さんの「親密圏と家族」について(追記あり)

内田樹さん@levinassien が2008年に書いた「親密圏と家族」というタイトルのブログを読んだ。

http://blog.tatsuru.com/2008/10/15_1715.html

もう12年も前のブログで、いま、彼がどう考えているか知らないし、親密圏に関するアカデミックな議論をフォローしているわけではないので、ぼくが書いているのはアカデミックには的が外れてる可能性は高い。

ここで内田さんは家族は親密圏には入らない。親密圏には弱いものは入ることができない、必要なのは家族の再生だ、と書く。

アカデミックにはいろんな議論があることは、ちょっと検索したら、ざくざくでてくるから、たぶん、そうなのだと思う。
試しに開いた

親密性・親密圏をめぐる定義の検討
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/repository/81002809.pdf

 には、別に定義なんかしなくていいんじゃないか的なことが書いてあって、とても共感した。


ぼくは親密圏には家族も含まれると思う。もちろん、もう親密圏とは呼べない家族もいるだろうけど。

弱い者こそ親密圏を必要としているという側面が強いと思うのは内田さんも同じだろう。
そして、必要なのは家族に代わる弱いものでも入れる親密圏ではないか。

否、家族に頼りたい人がいて、頼られるほうも、見通せる将来にわたって、それが経済的にも心理的にも大丈夫なら、家族に頼ればいいと思う。

それが不可能な場合が多いのではないか?
でなければ、親密圏を必要とする弱いものはどう生きていけばいいのか? 弱いものを受け入れる親密圏こそを構想する必要があるのではないか?

~~
追記
~~

「親密圏」については問題意識をブログに残しています。7年前ですが。

【知的障害者と親密圏 『知的障害者が入所施設ではなく地域で生きていくための本』に触発されて】
https://tu-ta.at.webry.info/201304/article_4.html (残念ながら、グーグルの検索キーワードでは出てきません)

このブログでは親密な空間を作ろうとしている(ように見える)ラルシュという生活の場を紹介したのですが、あえて、親密な空間は作らない、という趣旨のグループホームも多いように感じています。それを求める人には、そのほうが居心地がいいということもあると思うのですが・・・。GHと親密圏をどう考えるか、というのもひとつの課題だと思います。先日、友人がある地域のGHで週に2回働き始めたのですが、その2回はそれぞれ別の場所での就労とのこと。利用者との関係を深めないため、ということらしいです。(ぼくは前者に魅力を感じることが多いですが)

そして、親密圏が欲しい人が、一人暮らしをしたとき、どのように、その思いを満たすことが可能なのか ということが、今後、一人暮らしを進めていく上で考えたほうがいい課題なのではないかとずっと思っているのですが、なかなか答えは出ません。でも、映画『道草』などを見ていると、素敵な親密空間ができていて、これは『新しい親密圏』と呼んでもいいかも、と思うのでした。で、この親密圏の必要性の話は障害のあるなしに関係なくそうなのかもしれない、とも思うのです。

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