『新版障害者の経済学』は新版になって変わった(か?)(3)(ほんの紹介27回目)

たこの木通信2020年5月に掲載した原稿に注を追記 

『新版障害者の経済学』は新版になって変わった(か?)(3)

(ほんの紹介27回目)

まだ、続きます。基本的には社会が作り出している障害、その障害を当事者一人ひとりが(ときに支援者といっしょに)、取り除く主体になり得るのだという部分を抜きに、【障害を福祉が素早く察知し、取り除いていく】ということの弊害がでてきているようにも思うのです。(注)

  また、別の話ですが、「基礎年金の増額を」というデモがなぜ起こらないかという部分にも言いたいころがあるのですが飛ばします。

3章のテーマは障害児教育

東京都の知的障害者支援校高等部に設置されている「職能開発科」について、できる子を入学させ、100%就労したとと自慢してもダメじゃないか、出来ない子を就労させることに力をそそぐべきではないか、と書かれます。

ぼくも個人として、高校は職業のための予備校ではないのだから、インクルーシブで、高校教育のなかでしか出来ない教育目標を設定し、その目標に向けた教育を行うべきなのではないかと思います。同時に就労を視野に入れた科目があってもいいが、支援校はそこに特化しすぎているようにも感じて、就労支援はある程度、専門機関にまかせるのも方法ではないかと思ったのでした。また、書かれていないのですが、就労定着支援を学校にやらせる仕組みも無理があると思います。

第4章 「障害者差別解消法」で何が変わるのかの最後で著者は【「障害者差別解消法」は単なる出発点に過ぎない】といいます。そして、経済学者としての著者らしいのは、それに続く以下の記述。

この法律に魂を入れるため、障害者はもとより国民全体が差別と配慮の意味をよく理解し、どうすれば社会全体の配慮のコストを効果的に下げられるか深く考えなければならない。140p

【どうすれば社会全体の配慮のコストを効果的に下げられるか】って、大事なのはそこかよって突っ込みたくなります。人権を守るという視点とコストの視点の整合性について、コストの視点が必要ないとは思わないですが、前提とすべき人権の視点があるはずです。

第5章 障害者施設のガバナンス では、介護保険は保険によって運用されて疑似的な市場が形成されているので、消費者サービスとして株式会社が担い手になっても問題はないが、障害福祉サービス(ここでは障害者支援サービスと書かれている)のように、税金を原資とし、報酬が政策的に決まっている事業ではサービスの担い手と受け手だけではなく、納税者の合意が必要なので、そこから出た利益を自由に配分できる株式会社による運営は適切ではない、と書かれています。

後半の税金が使われているので、自由に利益を分配できる企業はよくないというロジックはわかりやすいです。しかし、前半の介護保険も適切だとは言えないのではないでしょうか。もっと言えば、図書館の指定管理なども、自由に利益を配分できるというのは適切とは言えないのではないかと思うのです。障害福祉の消費型サービスの正当性は株式会社のように利益の多寡ではなく、障害者の満足によって計られるべきだと書かれています。利益の多寡で計られるべきではないというのはその通りで、さらに、株式会社であっても、その利益を株主に配分することを目的とすることは、厳格に規制されるべきでしょう。(介護保険やその他公共事業の指定管理なども)

また、就労継続支援はA型もB型も訓練なのに、期間の定めがないのは問題で、この矛盾がA型とB型のガバナンスを困難にしていると書かれています。実際に関わっていて、大きな問題は別なところにあると思います。 それらの支援は単純に訓練とは呼べず、期間の定めがないことの必然性はあります。終われない
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(注) ブログに掲載するにあたって、「基本的には社会が作り出している障害、その障害を当事者一人ひとりが(ときに支援者といっしょに)、取り除く主体になり得るのだという部分を抜きに、【障害を福祉が素早く察知し、取り除いていく】ということの弊害がでてきている」というのはわかりにくかったかもしれないと思ったので補足です。

例えば、障害者の在宅支援に関して、その多くは障害者運動が要求して勝ち取ってきたものでした。要求して、勝ち取った人は、その制度を使う主体としての自覚があります。しかし、そうではない多くの人にとっては、単に行政が資金を提供する障害福祉サービスです。その両者の温度差がもたらす弊害を想定していました。

ある程度、制度が整うにつれて、障害者運動が下火になるのは必然とも言えるかもしれません。『障害者運動のバトンをつなぐ』というのは書籍にもなっていて、多くの人が課題として自覚していると思うのですが、明確な答えがあるわけではありません。その本で熊谷普一郎さんが指摘しているように、それはほうっておけば枯れたり、腐敗したりする生きものであり、栄養や燃料を補給し続ける必要があるのだと思います。まだ、権利が届いていない部分を可視化し、その主体を立ち上げることが必要になります。

自覚してやっていたわけではないのですが、いま、ぼくが関わっている、知的障害者のの支援つき一人暮らしとか、高次脳機能障害者のケアの問題はそういう課題だし、大田区の自立支援協議会で取り上げようとしている医療的ケアが必要な人の地域生活の保障というのも、そのような課題だと思います。

つまり、【福祉が察知して、取り除いていく】というより、当事者や当事者に関わる人たちが課題を発見し、生活する条件を車体的に整えていくプロセスを可視化し、自らが参加することが大切ではないかと思うのでした。

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