当事者研究ネットワークに出して届かなかったメール

障害学MLで山本さんが紹介してくれた
「多様な仲間が安全に当事者研究できるための応援体制づくり」
という文章に、違和感が残ったのでメールを書いて送ったのだけれども、
届かなかった経緯を障害学のMLに送ったので、以下に転載して、ここに残しておこうと思いました。
~~~
~~~

山本さん、文章のご紹介ありがとうございました。
ぼくはこれを「醜悪」と呼ぶ勇気はないのですが、
やはり違和感を覚えたので、
ここに書かれた団体のアドレスをコピペしてメールを書いて送ったところ
ドメイン toukennet.ne.jp が見つからなかったため、メールは info@toukennet.ne.jp に配信されませんでした」
と出てきてしまいました。

ちなみに書いたメールは以下のものでした。
~~~
「多様な仲間が安全に当事者研究できるための応援体制づくり」へ 
~~
 以下、障害学のMLで表題の文章を紹介され、読んで感じたことを書かせていただきます。

~~~
「多様な仲間が安全に当事者研究できるための応援体制づくり」を読ませていただきました。一般論として、とても正しいことが書かれていると思います。

しかし、当事者研究というとき、ほんとうにそれでいいのかと思うのです。いま、べてぶくろが告発されていることは多くの人が知るところとなっています。ここに書かれた文章は、その事態に向き合うことを避け、一般論でお茶を濁し、「新しく入った人たちは間違えがちだから、気を付けましょう。私たちがお手伝いします」と上から目線で書かれているように感じました。

問われているのは「当事者研究」という手法を生み出した主体が、起きてしまった事態に真摯に向き合い、その痛みを共有しようとすることからスタートすることではないでしょうか?

 当事者研究はそういう誠実さからスタートしていたのではないかと思っていたのです。買いかぶりすぎでしょうか?失敗を繰り返す主体としての自分たちのダメさをちゃんと見ることを避ける当事者研究など、なんの魅力もないと思うのです。

 残念ながら、上記の文章には、そのような誠実さを感じることができませんでした。被害者の痛みを感じ、そこから生まれる自らの痛みをもっと率直に表現してほしいと感じました。

 当事者研究は何か金科玉条のように祀られるものではないはずです。差別を受け「痛い」と声をあげた人に寄り添い、そのうえで加害者が抱える傷も看過せず、切り込んでいけるポテンシャルを当事者研究は持っていると信じたいと思います。

 上記の文章は、そのようなものになっているでしょうか?
~~~
書いたメールここまで


べてぶくろへの告発のてんまつに関しては


が詳しい。

べてぶくろセクハラ性暴力問題とは
(セクハラという表記は間違っているという指摘があり、確かにそうだと思ったので、修正しました)

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

ナイス

この記事へのコメント