「やりとりし続ける」あるいは「対話を開き続ける」ということ

岩橋さんのノートから触発されました。

以下、初めて読む人にはとても読みにくいだろう切り貼りだらけのメモなのですが、
自分用のメモなので、読みにくさは自分で補いながら読んでもらえたらと思います。



多摩市に「たこの木クラブ」という不思議なグループがあって、そこで重度知的障害者の支援者付きの一人暮らしの支援とか行われています。その代表の岩橋さんがフェイスブックで最近、公開したノートが以下です。

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~~
すごく大切なことが書かれていると思ったのです。
ここにオープンダイアローグのスピリットみたいなものがあって、それは言葉がちゃんと出せない重度の知的障害と呼ばれる人とのやりとりにも生かせるのではないかと思ったのでした。
例えば以下。

何かあれば、すぐさま警察に通報されるようになった昨今。
ならば、警察官も含めて(時に利用して)とにもかくにも「地域で暮らす」事を伴に追い求めてもらえる道を探る。

様々な騒動が起こっても逮捕者はいない。

大暴れしたことで精神科病院に措置入院させられる人はいない。

逮捕や入院によって、当事者を社会から隔離しても何ら解決しない。社会の側の解決だけを考えれば、当事者を一生隔離するしかない。
なので、そのような精神科病院や刑務所といったところに行かずに済むための対応を懸命に考えてきた。様々な経験を積み重ねてきた。

そして、この先に岩橋さんが書いていることで、はっとさせられます。
話をここで終えるのではなく。「やりとり」を続けて、常に問い続けること。一度はそれが正解だったと思ったことが、実は間違いだったりする。ここにもオープンダイアローグの核心的な部分も含まれているのではないかと感じました。

言葉が出せない重度と言われる知的障害の人とも、外的・内的対話を続けること。そして、対話を開き続けること。そこにダイアローグをオープンにしていく精神があり、その手法がここで使われているのではないかと思ったのでした。

言葉が出ない人と、対話なんて、出来ないと思われがちですが、いろんな方法で「やりとり」を続けることもまた、対話と言えるのかもしれないと思うのです。


まったく別の話ですが

これを読んだのとほぼ同じ時期に、フェイスブックに書いたのが以下。
ADD、ADHD、統合、双極性…
支援職は、なにかと診断名から入りがち。その診断名が目を曇らせることがあるのではないか。人を診断名で見る失敗をしていないか
それに対して、同意しつつも、いくつか、診断名の有効性を遠慮がちに教えてくれるコメントがついた。

「うちの家族なんか、何十年か前にちゃんと診断名が付いて対処してたら、QOLがずっと上がってたんじゃないか、と思うところもあります」
とか

当事者の家族としては、その「診断名」が救いになることも多いんですよね。
どうしてもスレ違う、理解しあえない、そんなところを、悪いいい方かもですが、ある種、”諦める”理由になるのです。
諦める、とは、自分が変わるしかないんだなぁ、と譲歩する、納得する、という意味です。
対処法を練る時にも、診断名をたまに使います。
ネットの情報によって、「カサンドラ状態」なのは、自分だけではないのだと、いくらか落ち着くことも出来ます。
確かに、そういうことってあると思う。発達障害の診断がついて、助かったという人の話も知っている。また、岩橋さんはこんなコメントをくれました。
感覚的/経験的な話なのですが、
「診断名がついて楽になる人」というのは、そもそもその人自身が肯定的であり、自らが肯定しているものが他者と何か違っていることに不安を抱き続けている。そんな中で診断名がついて周囲との違いに気づく。
そもそも肯定的な分、気づけば楽になるという話。
一方、そもそもその人自身が自らを否定的にみていると、診断名がつくことで自分が「劣っている者」とマイナス評価し、そんな自分も否定的になれば、診断名がつくことでますます自らを肯定できない。
そんな気がします。
そして、
その人自身が肯定的なのか否定的なのかは、
診断名の前に、その人とその人の周囲がいかに関わり合ってきたかという話。
多数派と違う人を否定するか、
多数派と違う人を肯定するか、
「診断名」云々の前にあるものを見るという点でも、「診断名に関わらず、その人をその人として関わる」事がとても大事に思います。
あ、そういう感じもあるなぁと思い、それにコメントを加えました。
岩橋さんに書いてもらって、そういう面もあるのだろうなと感じました。
さらに書けば、おそらく発達障害の診断を受けた知り合いは、いろいろ、否定され続けて、自分がダメな人間だと思わされてきたのかもしれません。しかし、診断名を得ることで、その行為を障害がもたらしたものであり、不可避だったこと、そして、そのことで自分が不当に苦しまられていたのだというこに気がつき、否定されていた行為を自分の行為として、肯定していく得るようになるというプロセスがある人もいるように思います。
また、そこに行きつく過程で、そのように感じていいと思わせる環境、他者との関係があったのかもしれないと思ったのでした。
さらに岩橋さんは以下のようなコメントも書いてくれていて、ぼくも返信しています。
診断名は、本人と周囲との関りに必要なものであって、
支援者が診断名から本人を診たり、診断名から本人自らにレッテルを張るものでもないですね。
あくまでも関わりに必要という点では、診断名が必要なくやり取りできる関係があればどうでも良いこともありますね。
すなわち、関わらないための診断名だったら要らないってことです。
tu-ta
確かに。
あと、関わるためであっても、診断名からその人を見ることで間違えちゃうこともありそうです。

ちなみに、オープンダイアローグでは診断名の話はしないとか。

さらに岩橋さんから
そうですね。
私の側からすれば「関わるために」となります。
一方、それと同等に相手の側も周囲の人たちと「関わるために」という事。
よって、正確には「互いに関わり合うために」という事でなければ意味がない。
又、そもそも関わり合っていれば診断名も必要ないってことになるでしょう。


最初に紹介したには、以前大田区の障害者施設で働いていた歌い手の森田さんからのコメント、以下のような流れでした。
当事者の家族としては、その「診断名」が救いになることも多いんですよね。
どうしてもスレ違う、理解しあえない、そんなところを、悪いいい方かもですが、ある種、”諦める”理由になるのです。
諦める、とは、自分が変わるしかないんだなぁ、と譲歩する、納得する、という意味です。
対処法を練る時にも、診断名をたまに使います。
ネットの情報によって、「カサンドラ状態」なのは、自分だけではないのだと、いくらか落ち着くことも出来ます。
ただ、だからと言って決めつけてかかれば、当人の人権にも触れてしまう。
難しい問題ですね。。。
それでも、施設にいける人はある意味羨ましいです😢
どこにも関われない”ボーダー”を一人で支えるのは、なかなかしんどいです😅
tu-ta
森田さん、ありがとう。森田さんのこのコメントで、いろいろ考えることができました。対話って大事ですよね。
確かに診断名があるから許せるってあります。家族じゃなくても。誰かが行う他者を困らせる行為がある場合に、ですね。
で、「支援者」みたいなことをしてる人間として注意したいなぁと思うのは、そこで思考停止してしまうこと。
その行為で本人も困っている場合も少なくないのだけど、「なんとか障害だから、しょうがない」みたいな感じで終わらせちゃっていないか、自分に問う必要があるかなぁと。
複数の人で、その当事者の話をちゃんと本人が納得するまで聞いて、診断名で思考停止させずに、そこにいる一人ひとりがいっしょに考えて、対話を開いていくようなことが、本当は必要とされているのに、診断名で思考停止してしまうことが自分にあったし、これからもありそうな気がするのです。
オープンダイアローグのことを少しだけ学んで、そんなことを思ったりするのでした。
tu-taさん
こちらこそ、ありがとうございます✨
実は、コメントするのにかなり勇気が要りました😢
ただ、時には「しょうがない」も必要なんですね。
どうしても譲れない当人の”こだわり”をひとつひとつ覚えていくこと。
日々、新たに出てくるものだから、こちらはヘトヘトになりますが、それも”しょうがない”のです。
そのこだわりが満足出来ない時、パニックなりなんなりの、「他人に迷惑をかける」行動になったりする。
ただ、それを100%受け止めてあげるほど、こちらも強くない。
そんな状況ばかりでもない。
それを伝え続けられるか。
どこまで自分にも当人にも向き合えるか。
家族は、支援とは違い「共に生きる」存在なので。
関係なかったらすみません。
私は、支援施設に居た頃、利用者さん達に心を救われたことが沢山あります。
”支援”とは?
支える?応援する?
私には、出来なかったんですね。
今思えば、だから私は、辞めたのかも知れません。

tu-ta
森田 智子さん、返信ありがとう。
まずは、最初のレスポンスに、関係おおありです!!
そして、支援ってなんでしょうね。問い続けなきゃいけない話なのかなぁとも思います。
いま、イメージしているのは、隣に座って、ゆっくり話を聞くこと。言葉がなくても、いっしょにいることが難しい人でも、いっしょにいようと関わり続け、なんらかの方法で「やりとり」が続けられないか、模索すること。
森田さんがあの川の近くの場所で、どんな風に働いていたか、ぼくは知らないけれども、森田さんが素敵な歌を聞かせてあげることも、いい支援だったんじゃないかなぁと思うのです。
で、一つ目の話です。
そうですね。いつも、そんな風に家族だけで向き合い続けるなんて無理です。
そこに「対話を開いていく」意味があるのではないかと思ったのでした。
家族以外で入ってくれる人が対話のトレーニングを積んだ人なら、できるだけコンフリクトを少なくして、対話を続けることが可能になって、それが望ましいかもしれません。でも、そうじゃない人ても、家族の閉じた関係を開いて、そこに入ってくれる当事者や家族の友人がいたら、当事者も家族も、少し気持ちが緩んで、楽になることもあるかなあと思ったりもします。

混乱させちゃうかもしれませんが、知り合いの岩橋さんが書いた
「そうなってしまう」事に「それでも関わり続ける」
が参考になると思ったのでした。
コメントも書いてるので、よかったら読んでみてください。

~~~~
最近感じているのは、関わり続けることの大切さ。
それは岩橋さんたちが支援している知的障害の人だけでなく、
精神障害の人にも共通するんじゃないかと、そんな気がするのでした。




岩橋さんの文章、フェイスブックで消えちゃわないように、こっちにも再録。
これ、ひとつの文学じゃないか、と思ったのだった。
~~~
「そうなってしまう」事に「それでも関わり続ける」
街中で暴れ人にけがを負わせる。
コンビニで暴れて店の棚や壁を壊す。
バス車内で暴れてドアを壊す。
自宅で暴れて割れるものは全て割りたおす。
私の周囲にいる一人暮らしをする当事者たち。

「決してやってはいけない事」
「そんなことでは、社会の中で暮らせない」
「被害にあった人の事をどう思うのか?」等々。
事が起こる度に、現場に駆け付けたり、被害にあった人の下に駆け付けやり取りする。
時折、警察まで身柄を引き取りに行く事もある。
それが頻回になって、警察署の刑事たちが私の顔を見るなり「お宅の関係者?」と言われる時期もあった。

やってはいけない事。
あってはいけない事。
それは百も承知。
一方で、
当事者たちもやりたくてやっているわけではなく、
そう「なってしまう」だけなんだと思っている。

だから、
「やってはいけない」事と「そうなってしまう」事の間に立つ私。
「被害者となった方」と「加害者となった当事者」と「私」。
被害者となった方の側に立ち加害者となった当事者に向く。
加害者となった当事者の側に立ち被害者となった方に理解を求める。

私自身は、被害者となった方に当事者がやってしまった事について謝罪しない。
でも、その状況に至らしめたわが身の取り組み方の不十分さについては深く謝罪する。

よって、当事者がそこに至る背景や状況等々について相手に理解を求める。
でも、本当のところ当事者の中にあるものを私は理解していないので、
被害にあわれた方とともに、同様の事態に至らないためにどうすれば良いかを考え、
当事者を理解するための協力を願う。

しばしばお店の人は「出入りさせるな」という。
出入りさせなければ、お店の側にとっては解決だけど、
当事者の側にとっては「そうなってしまう」事の解決には至らない。
なので、
「出入りさせるなというお気持ちはとても理解できます」と、私の方が先に口に出す。

それはテクニックとしてではなく、相手が当然描く気持ちから始めて(受け留めて)、
次につながる道を探す。
何かあれば、すぐさま警察に通報されるようになった昨今。
ならば、警察官も含めて(時に利用して)とにもかくにも「地域で暮らす」事を伴に追い求めてもらえる道を探る。

様々な騒動が起こっても逮捕者はいない。
大暴れしたことで精神科病院に措置入院させられる人はいない。

逮捕や入院によって、当事者を社会から隔離しても何ら解決しない。社会の側の解決だけを考えれば、当事者を一生隔離するしかない。
なので、そのような精神科病院や刑務所といったところに行かずに済むための対応を懸命に考えてきた。様々な経験を積み重ねてきた。

今も、進行形のことはあってそれで良いのかと思う。
でも、社会から排除せず、「それでも」「それでも」と取り組んできた結果、「あれは遠い過去の出来事」「そんなこともあったよね」という声が聞こえてくる。

でも、「それはたまたまであっていつまた起こるか解らない」という声もある。
そうかもしれないけど、それはまだまだ道半ばだと描く。

強度行動障害と称される人たちの地域生活や自立生活。
まだまだ事例が少なくて、何をもって支援の正解なのか、皆目見当もつかない。
でも、当事者たちが地域から奪われず、地域の人たちの日常の中で当事者たちが目に映る事で解決されていく事柄もある。

ある当事者は、私と出会う前に喫茶店で暴れ警察沙汰となったらしい。
その当事者は、「〇歳になったら(その喫茶店に)行こう」と言う。
それは10年先であったり5年先であったりする。

「何故そんな先なのか?」と本人の考えを探っていくと、
「騒動を起こした時にいた店員がいなくなる」「いなくなれば再び行ける」という事らしい。すなわち、「過去の事はなかったことにする」という事として理解した。
でも、裏返せば「再度行きたい」という事なのだと思った。

ある時、その当事者と別の場面での体験から「何故騒動に至ってしまったのか」の理由が明らかになった。
親御さんから聞いた時には「闇雲に暴れてしまい、警察を呼ぶほどお店に迷惑をかけた」という印象だった。
でも、「闇雲」なのではなく「そうなってしまった」理由があったのだ。

その理由が解れば、そうならないように対応すれば大丈夫という事になる。
そして、その機会を狙いつつ、それは当事者本人にしてみれば大きな挑戦なのだろうと思った。

「(理由も明らかで)私と一緒なら大丈夫でしょ」という事でその店を訪ねた。
そして、同様の事が起こりそうになった時「ねえねえ!」と声をかけ事なきを得る。
さらにはお店の人が「またお越しください」と声掛けしてくれた言葉を膨らまし、
「前は、来ないでと言われたかもしれないけど、今日はまた来てくださいと言っていたよね」と当事者に伝える。

本人の挑戦は、大いに報われた。
ただ、報われただけではなく「明らかになった理由」が本当に「正しい理由」なのかの確認を怠らずやり取りする。
「再び、この店に来れる」「ヘルパーがいれば、〇年先と言わずに行ける」そんな思いを抱いてもらうやり取りを重ねる。

当事者と私とで得た経験をもって、当事者はこれまで同様に騒動となってしまった場所へと次々出かけるようになった。。そして、同様の体験を積み重ねていった。
「自分の事を知らない人がいなければ再び行ける」そう思っていた当事者。
「そうではなく、ヘルパーがいれば、騒動の理由が解っていれば、再び行ける」
そんな風にやり取りを重ね「再び行きたい」と願う当事者を支援してきた。

ところがそうではなかったと後になって気づく。

たぶん、過去起こしてしまった騒動の場所全てを渡り歩き、「ヘルパーがいれば、これまで行きたくてもいけなかった所に行けるようになった」と喜んでいる当事者がいると思った私。

実は、そうではないと気づく。

「(前に行っていた所に)また行こうよ」と誘ってみたのだけど全く興味を示さない。
「また来てくださいって言ってたから言ってみようよ」と誘うも「行かない」という。

なぜ?あれほど何度もその場の事を語り、「〇年先に行こうよ」と言っていた場所。
「行けた」という実感があれば、何度も出かけていくのだろうと思っていたけど・・・

まったく興味を失ったかのような当事者をみて、思う事は・・・

「行きたい」という当事者の思いは、「楽しみたい」という理由から出ているように描いていた私。
それが騒動にいたり行けなくなってしまった。と思っていた私。
でも、行けるようになった途端に興味を示さなくなった当事者。
「行きたい」という願いは、「楽しみたい」ではなく、「和解したい」だったのではないだろうかと思った。

「ごめんなさい」「反省しています」「許してください」と言い、相手が「許す」と言えば「和解が成立」?
「再びお事を起こさなければ」という見えない将来を約束すれば「和解は成立」?
そんな風には思えない当事者。

でも、その場に自分が出入りできるようになったという事は、すなわち目に見える「和解」なのだという認識しているならば・・・。
当事者は、何年もの間「行きたいけど行けない」と思い描いていたのではなく、その場やその場の人たちと「いかに和解するか」を求め苦しんでいた。その和解が成立したからこそ、もう「行く必要がなくなった」と思った。

そんな当事者に出会うと、

先に書いてきた当事者たちも、決して「やりたくてやっている」とか「自分の憂さを他者にぶつけている」ではなく、「そうなってしまう」という事なんだろうと思う。
そして、「そうなってしまう」事の解決のために相手との関係を引き離すというのは、決して解決ではないと思う。

喫茶店で騒動を起こした当事者が、何年も苦しみぬいたその時間。それを思うと、今は距離を取るという事はあると思う。距離を取るとは距離を縮めるというためのものであって隔離や排除とは違う。

こんなことを想い描きつつ、
頭の隅にある実際は、措置入院に至った当事者や逮捕され刑務所に服役中の当事者もいる。

措置入院に至った当事者に対しては、何度も面会を重ね病院関係者とやり取りする中で(当事者との面会が許されることも含む)再び地域での暮らしを築いた。

刑務所に服役中の当事者に至っては、社会に戻るにはあと10年以上あるが、刑務所が隔離の場ではなくと思えば、様々な制約がありつつも、いずれは社会の中で再び暮らす人としてやり取りを続けている。

その場その時には、どうしようもないと思えるし、それ以前の取り組みが何だったのかと自信も失う。それでも、今なお続けられているのは、

その後の当事者たちが社会の中で暮らし続けているから。
最近になって当事者に関わり始めた人にとっては、過去の出来事が全く想像もつかないほどスムーズな関係があるから。
なので、「あの時あきらめなくて良かった」という事がたくさんある。

だからこそ、「今は答えも見えず、どうしてよいか解らないけど、諦めずにいれば、何かが変わってくる」と思える。

とは言え、
関わる人の数が増えれば増えるほど、私一人ではどうにもならない。
なので、是非、今ある事柄の先に何かがあると描いて、
多くの方に今を諦めず、
今日一日を積み重ね続けて欲しいと願う。

私の周囲にいる「支援者」と呼ばれる人たちがいることで、
少なくはない「行動障害を有する人」の自立生活を実現しているし、
隔離や収容が解決には至らないと思い描き「それでも関わり続けている」のだろうと思う。



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これへのtu-taからのコメントと岩橋さんからのレスポンス
すごく大切なことが書かれているなぁと思いました。
ここにオープンダイアローグのスピリッツみたいなものがあって、それは言葉がちゃんと出せない重度の知的障害と呼ばれる人とのやりとりにも生かせるのではないかと思ったのでした。
例えば以下。
~~~
何かあれば、すぐさま警察に通報されるようになった昨今。
ならば、警察官も含めて(時に利用して)とにもかくにも「地域で暮らす」事を伴に追い求めてもらえる道を探る。
様々な騒動が起こっても逮捕者はいない。
大暴れしたことで精神科病院に措置入院させられる人はいない。
逮捕や入院によって、当事者を社会から隔離しても何ら解決しない。社会の側の解決だけを考えれば、当事者を一生隔離するしかない。
なので、そのような精神科病院や刑務所といったところに行かずに済むための対応を懸命に考えてきた。様々な経験を積み重ねてきた。
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そして、話をここで終えるのではなく。「やりとり」を続けて、常に問い続けること。ここにオープンダイアローグの核心的な部分も含まれているのではないかと感じたのです。

言葉が出せない重度と言われる知的障害の人とも、外的・内的対話を続けること。そして、対話を開き続けること。そこにダイアローグをオープンにしていく精神があり、その手法がここで使われているのではないかと思ったのでした。

これが疑いもなく「オープンダイアローグのスピリッツ」と思っていた私なのですが、
実際はこれとは異なる展開であり、枠組みされその枠内での取り組みとなっているようです。
そして、枠外の人とは結果交わっていかない。交わっていかないから混ざっても行かない。
「ともに生きる」は、願望であり目標で未だ何も達成できていないのですが、
地域という空間の中で「ともにある」「ともに存在している」という現実を手放さない。
そんな取り組みの30数年に思います。
tu-ta
岩橋 誠治 さん
遅いレスポンスでごめんなさい。
ODの枠組みはきっちり決められているのですが、大切なことはそこではなく、対話を続けること、関わり続けることなんじゃないかと、そこにスピリットがあるんじゃないかと思うのでした。

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