『社会はこうやって変える!』メモ1(本の紹介と、翻訳者による「本書の読み方」までのメモ)
社会はこうやって変える!
コミュニティ・オーガナイジング入門
記録を見ると、去年の11月14日に読み終わっているのに、読書メモはいまだに書き終えていない。
いつまでたっても書き終わらないというか、ここ数カ月は続きを書くことさえ忘れていたので、分けてアップロードすることにした。~~~~~~~~~~~
社会運動やってるんだったら、これは読まなきゃと思わせるキャッチーなタイトル。
藤井さんのアイデアでしょうか?
原題は
HOW TO RESIST
Turn Protest to Power
うまく翻訳できないですが、
抵抗の仕方
抗議をパワーへ変える
っていうような感じか
序章でこんなことが書かれている。
この本は、こうした象徴的な抗議行動からパワーと変化のための戦略へと移行する方法を示している。それは、自分たちの計画を立てるためにどのように人々が集まり、その計画を達成するためにどのように協働するかに関わっている。 私も受け継ぎ、今まで12年間実践してきた方法は、変化を起こしたいと考える誰にとっても習得でき、 使うことができるものである。 (中略)
その方法はすべて、あなたの怒りの源泉、あるいは、あなたにとって、行動するに値すると思えるような大事なことからはじまる。それはパワーや自己利益を理解する仕方を根本的に考え直すことを要求し、これら二つの概念を、 政治の動きや社会の変化といったものが実際にどのように生じるのかについての議論の中心におくのである。それは、人々が、どのように金銭力や権威を持っている人々と闘い、勝つことができるのかということについての方法と戦術を提供してくれる。3p
社会を変え得るのはパワーと自己利益だという身もふたもないような話だが、説得力はある。いままで、現状の社会がダメで、どのような社会を展望しなければならないという本は、もう数えられないくらい出されてきた。それに比べて、それをどのように実現するかという本はあまりに少なく、稀にあったとしても、理想に傾き過ぎてあまり使えないものが多かったように思う。そういう点で傑出しているといえるのではないか。
日本語版刊行にあたって
本書の読み方
序 章 コミュニティ・オーガナイジングへの誘い 1
第 1 章 変化を起こすためにはパワーが必要だ 23
第 2 章 自己利益こそが大切である 34
第 3 章 パワーを生み出す実用的なツール 47
第 4 章 問題を課題へと変える 56
第 5 章 リアクションを引き出すアクション 69
第 6 章 キャンペーンを作るための実用的なツール 85
第 7 章 ありえない連合と創造的な戦術 98
第 8 章 時間を生み出す 113
第 9 章 鉄 則 120
事項索引
人名索引
謝 辞
訳者紹介
著者のプロフィール
以下、最初から付箋にそってメモ
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「日本語版に刊行にあたって」という冒頭の文章の次の「本書の読み方」という藤井さんの文章は
法律文化社のサイトで読むことができる。
https://www.hou-bun.com/cgi-bin/search/detail.cgi?c=ISBN978-4-589-04104-3
ここにはこんなことが書かれている。
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・・・日本の市民社会において も、今日、多くのNPOや協同組合、近年では、社会的企業(ソーシャル・ビジ ネス)が存在し、活躍の場を広げている。しかし、日本の市民社会では、サー ビス供給の役割が基本的に強調される傾向にあり、社会運動としての役割は後景に退きがちだ。NPOであっても、脱政治化した市場のアクターとしての性格を強めれば強めるほど、一般的な営利企業との差異も見えなくなっていき、 市民社会としてのアイデンティティが失われてしまうのではないかという恐れもある。
また、パワーという概念も欠落している。NPOと行政の「協働」が多くの自治体で謳われるようになって久しいが、市民社会の側のパワーが欠落し た「協働」は絵に描いた餅で、結局のところ、単なる下請け関係を生み出していたに過ぎないようにも思われる。加えて、日本の市民社会は、パワーを生み出しようにも、あまりにも横の連携、とりわけ異質なものの間の連携を作り出すことが下手なのではないか。
英国のコミュニティ・オーガナイジングに見られるようなNPO、協同組合、宗教団体、労働組合、教育機関、地縁団体間での連携といったものを見ることはほとんどない。しかし、同質的な団体の狭いサークル内での連携だけでは、政治的なパワーを生み出すことなど、夢のまた夢と言わざるをえない。
以上のような日本の市民社会の現状に対する問題意識が、シティズンズUKのコミュニティ・オーガナイジングの秘密を知り、私たちが抱えている問題に対する処方箋として役立てたいという動機につながり、本書の翻訳へと突き動かしたのである。ⅳ-ⅴページ
いま、気付いたんだけど、藤井さんの文章、一つの段落が長い!
というわけで、上記の文章は一つの段落なのだけど、WEBでは読みにくそうだったので、勝手に改行入れ。太字も自分で修正。
【NPOであっても、脱政治化した市場のアクターとしての性格】とあるが、日本のNPOの多くは脱政治化しているという以上に、政治化してはいけないくらいに考えているのではないか?
上記に続くコミュニティ・オーガナイジングの本質 という節では、
コミュニティ・オーガナイジングを【支える背骨となる二つの概念、「パワー」と「自己利益」】という表現ができて、その解説が行われる。
まず「パワー」
ここでのパワー概念の捉え方が重要だと思う。
こんな風に書かれている。
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・・・パワーという言葉は、日本語では、通常、「権力」と訳され、そこ には支配や抑圧のイメージが必ず付きまとう。したがって、パワー=権力は、 社会を変えようとする者にとって、多くの場合は、糾弾すべき悪の権化のように捉えられてきた。それに対して、著者によれば、パワーとは、あくまでも中立的なものであり、金銭や筋肉と同じで良くも悪くも使うことができる。そし て、社会を変えるためには、パワーが絶対に必要である。著者は「正義は、それを実現するパワーがある時だけ手にすることができる」という原則を提示するが、これは、正しさばかりに固執し、パワーとは距離を取り、批判や糾弾に終始する多くの社会運動に対する戒めの言葉でもある。すなわち、私たちは、社会運動を展開する際、自分たちが正しいことを証明するために、新しい社会構想のビジョンや政府や大企業を批判する論理の構築には一生懸命精を出すが、それと同時に、自分たちのパワーを高めるための努力を同じくらいすべきなのだ。しかし、それでは、組織的な権威や多額の資金的なパワーも持たない多くの 一般市民が、どうやってパワーを手にすることができるのだろうか。著者は、他者との関係性(信頼関係や協力関係)の中にこそ、パワーが存在しているのだ と主張する。何ら成果を上げられず、負け続けていたとしても、正しいことを 唱え続ければ、やがて多くの人々の心に響いて、社会が勝手に変わると信じ、 孤立主義の潔さをよしとするようなメンタリティは、単なる自己満足でしかない。とにかく、社会をよりよい方向に変えていきたいと思う者は、関係性を通 して、パワーを作り出していくしかないということである。これが、コミュニティ・オーガナイジングの起点となる考え方だと言えるだろう。 ⅳ‐ⅴ
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「パワー」、確かに微妙な言葉だ。「パワーを取らずに世界を変える」という本があった。翻訳・出版された本のタイトルは『権力を取らずに世界を変える』となっているが。これは権力奪取をめざさずにローカルから世界を変えていくというような話だったようなおぼろげな記憶があるが、よく考えたら、武藤さんの精読教室で英文で読み始めて、途中で挫折して最後まで読んでいないのだった。おそらく自治=オートノミーの重要性みたいなことが書いてあったんじゃないかと思う。それにに対するパワー(権力)というような表現もあると思うので、この本で行われているように、明確に定義して使うことが重要なのだと思った。
そして、ここに書いてある「社会運動を展開する際、自分たちが正しいことを証明するために、新しい社会構想のビジョンや政府や大企業を批判する論理の構築には一生懸命精を出すが、それと同時に、自分たちのパワーを高めるための努力を同じくらいすべき」という部分もかねがね考えていたことだ。いままで「新しい社会構想のビジョンや政府や大企業を批判する論理の構築」に関する本は山ほどあったが、「自分たちのパワーを高め」具体的にその方向へどのように変えていくかという本は、それに比べてとても少なかったのではないか。
「パワーの総量は、その変革の必要性に共感する人の広がりと、一人ひとりの思いの強さを掛け合わせたもの」なのだろろう。社会を変えるためには、そのパワーを無駄に発散せずに、有効に行使することが必要となる。具体的な政策の変更に関しては、現在の政策を維持している仕組み、そして、それを具体的に誰が維持しているのか観察し、誰が態度を変更すればを政策の変更につながるかを見極め、そこを狙ったパワーの行使が必要となる。この本にはその例が示されている。
また、この本で具体的な成果がなかった運動として、例示されるのが「オキュパイ」の運動だ。しかし、そのように短期的に目に見える成果だけで測るのもどうかと思う。あそこで運動に参加したメンバーが得たものは小さくなかったのではないか。それは次の運動の糧になっているのではないか。
しかし、直接的な実りがなかったのも確かな話かもしれない。だからと言って、不要だとは思えず、具体的な実りを求めない問題提起のための抽象的な行動があってもいいいと思う。 確かにここに書いてあるように、パワーがなければ、社会は変えられない(ⅵ)。しかし、パワーをつけていくためにあまり戦略的ではない、感情の発露のような行動もありかと思う。そのあたりについて、この本の著者はどう考えるのだろう。人間は目的に沿った合理的な行動だけで生きてるわけじゃないようにも思うから。
また、大事なのは「他者との関係性(信頼関係や協力関係)の中にこそ、パワーが存在している」 という主張。これは力のない一般市民がどのようにパワーを獲得するか、という文脈で語られるが、障害のある人たちのパワーの獲得においても、このように言えるのではないか。否、障害者だけでなく、すべての人がパワーを獲得していくときに、このように言えるのだろう。
さらに、人がパワーを失う大きな原因は「人と人との関係において」である場合が多い。生き生きとした人と人との関係を回復することがパワーを回復することにつながるのだと思う。
そして、パワーを回復するための条件を作っていくという作業も必要になる。それは住まいだったり、お金だったりもする。そのように物質的な基盤が他者との関係の形成に影響する。しかし、物質的な基盤を喪失しても他者とのつながりを維持することも可能だろう。その他者とのつながりが物質的な基盤の回復をもたらすこともある。
こんな風に整理することが出来るかもしれない。
・他者との関係性(信頼関係や協力関係)の中にこそ、パワーが存在している
・しかし、パワーを発揮するためには物質的な基盤も必要となる
・物質的な基盤の回復や獲得にもパワーが必要
・それを獲得するためのパワーも他者との関係性(信頼関係や協力関係)の中に存在している
そのように、基本は人と人の関係じゃないかと思う。例えば、『障害のある子の親である私たち』の著者の福井公子さんはこんな風に書いている。
私たちは障害のある子を育てるのが大変で絶望するのではない。「誰もわかってくれない!」。私たちが絶望するのはそう感じた瞬間なのです。
人のパワーを奪う大きな要因は人と人との関係。人はこんな形でパワーを奪われている。だとしたら、それを回復するのも人と人との関係のはず。
社会変革のためには、その個々のパワーをどのように社会的なパワーに転換するかが問題になるが、そこでも、「他者との関係性(信頼関係や協力関係)」が問われることになる。社会的な課題の解決を拒むものを除去したり、解決するために必要なものを構築する必要があるが、それらを動かすためにはおそらく集団的な意思が必要になる。解決を拒むものが、態度を変えざるを得ないと思わせるパワーが、あるいは解決を拒むものが力を行使できなくすることが必要となる。
エンパワメントされた意思を紡いで、実効性のある社会的なパワーを作り出していく仕組みが必要となる。オーソドックスな方法はスモールステップを重ねて、少しずつ陣地(さまざまな意味での)を増やしていき解決を拒むものを追い込んでいくこと。その広がりをどう形成するか、そのように「パワーの源となる関係性を作り上げていく際のキーワードが「自己利益」」ということになる。そして、「自己利益」の話。これはマックス・ヴェーバーの例の「人間の 行為を直接的に支配するものは、利害関心(物質的ならびに観念的な)であって、理念ではない」という話に呼応するのだと思う。(参照 https://tu-ta.at.webry.info/200812/article_19.html )
この本では、なぜ自己利益が重要なのかということについて、以下のように説明されている。
誰かの利益と全く乖離した抽象的な公益など存在しない・・・誰かの個人的で具体的な利益、それは安全に暮らしたい、家族をちゃんと食べさせていきたいという欲求かもしれないが、そうした多くの人々の具体的な自己利益の共通部分を紡ぎ出していくことからしか、公共的な利益は立ち上がらないのである。(ⅵ)
宗教やエスニシティが違っても、経験や感情の共有から、つながることのできる「のりしろ」を発見できる。この「のりしろ」こそが、共有された自己利益であり、人々が当事者性を以って、正に自分ごととして社会運動にコミットしていくエネルギーを生み出す基盤となるのである。(ⅶ)
重なる部分が「のりしろ」なのだろう。しかし、のりしろというのは本体ではない部分というイメージがあるので、比喩としてはもうひとつじゃないかなぁ。
ここまでが、翻訳者による「本書の読み方」までのメモ。続きも書いているが、ここまででアップロードしてしまおう。続きをいつアップできるかは不明。
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