『まんが やってみたくなるオープンダイアローグ』メモ 2021年10月追記

蒲田でのODの勉強会で紹介されて読んだ。

いろいろ参考になった。
ちょっとだけ、読書メーターにメモがあったので、こっちにも補足して残しておきます。
ほんとにちょっとだけだけど。


まず、医学書院のHP
https://www.igaku-shoin.co.jp/book/detail/109059
から

オープンダイアローグってどうやるの? 6編の物語と4章の解説で、オープンダイアローグのエッセンスを2時間でつかめるよう構成しました。どうしたら対話を続けることができるのか、なぜ計画を立ててはいけないのか、調和を目指さないとはどういうことか。これらが納得できたら、まずはやってみてください。見よう見まねでも構いません。「対話さえ続けば、あとはなんとかなる」――これが本書の最大のメッセージです。

引用はしませんが、目次や序文もここで読めます。



最初に読書メータに書いたのが以下

新しく気づいたことは多かった。
1,大事な話ばかりしないこと。 
2,ノープランで臨むこと。 
3,会話ではなく対話。会話は「合意と同一化」をめざし、対話は、相手といかに違っているかを理解し、受け入れること。 
4,ODが広がらないのは「誰も信じていないから」。従来の医学教育で教わることと違いすぎるから。  

疑問は、その人を隔離したいと思ってる人が一人でもいたら、当事者は心を開くことが出来ない(110p)とあるが、家族がそんな風に思っている場合にODには参加してもらわないほうがいいのかなぁ?

この質問、ちょっと書き直して、出版社になげてみた。

『まんが やってみたくなるオープンダイアローグ』、興味深く読ませていただきました。

そこで、一つ、疑問が残ったので質問です。
「その人を隔離したいと思ってる人が一人でもいたら、当事者は心を開くことが出来ない(110p)」とあるのですが、多くの家族は、時に隔離したいと感じたり、その人らしく生きて欲しいと思ったり、葛藤があるのだと思います。

重い精神障害の家族がいる場合、一度も隔離したいと思ったことのない人は少ないのではないかと思います。しかし、そんな風に思っている場合にODには参加してもらわないほうがいいのでしょうか?

それだと、家族の参加へのハードルはけっこう高くなると思うのですが。


返事があったら、ここに掲載しよう。

第2の柱 計画は立てない

 これも非常にラディカルな逆説で、とてもオープンダイアローグらしい原理です。オープンダイアローグの解説では「答えがない、不確かな状況に耐える」とよく言われますけれども、そんな行儀のよいものじゃない。本当はもっと過激な原理です。

 不確実性に耐えるとは具体的にどういうことか。「ノープランで臨め」ということです。いっさいプランを立ててはいけない。予測もしてはいけない。だからPDCAサイクル(Plan-Do-Check-Actcycle)みたいな発想はまったくない。ノープランで、ノー予測で、目の前の対話の過程にひたすら没頭する。これが基本姿勢になります。

 少なくともノープランという考え方は、あらゆる治療的立場に対立しますので、受け入れがたいと感じる人もいるかもしれません。だけど実際にそれでやるほうがうまくいくわけです。そもそも治療経過なんて、予測できないのが当たり前ですよね。「この人は再発もしないで1年経ったから、そろそろデイケア参加してもらって、順調だったら減薬しながら社会参加の方向を模索して……」みたいな直線的で連続的な予測がせいせいでしょう。67p

これ、障害福祉サービスの『支援』に援用できないかと思うのだけど、難しいだろうなと思う。サービスを使うのに、利用計画や支援計画は必須だと法律で決められてるし。しかし、それを作ったとしても、それに縛られず、対話をベースにしていくことは不可能ではないようにも思う。そんな理解でいいのかな?

あと、斎藤環さんの精神科医としての葛藤とか、変わったっていう部分が面白かったような気がするんだけど、覚えていない。

と思ったら、その紹介はHPにも掲載されている序文にありました。興味のある人はまず、そちらから。


2021年10月追記

1,「アドバイスをしない」という話について。
選択肢を提示することなく、当事者は選ぶ道を探すことが出来るのか?
選択肢の提示とアドバイスは異なるのか?
直接アドバイスするのではなく、リフレクションの中で選択肢を提示すればいいのか?
一筋縄ではいかない話だと思う。


2,「否定的な話をしない」について
対話で関係性が深まっていく中で、いつでも否定的な話を排除するのは不自然ではないか。最初はもちろんしないだろうが、関係性ができ、信頼が醸成できたと感じられた後でも、耳障りのいい話ばかりしているというのは、どうなのだろう。ちょっと違和感が残る。
しかし、信頼感ができたかどうか、微妙な場合は多いので、留意しなければならない話であるのは間違いない。

3,「その人を隔離したいと思ってる人が一人でもいたら、当事者は心を開くことが出来ない(110p)」のではれば、家族は参加しにくい場合があるのでは、という疑問について

ある人から、これは文脈的には医療関係者についての話ではないかというアドバイスをもらった。そう読むべきかどうか微妙な話ではあると多むが、そう読めないわけではない。逆に言えば、ここで、それは斎藤環さんが明示的に書いた方がよかったのではないかと思う。



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