「感動ポルノは悪、という悪」という記事について

たぶん、フェイスブックか何か紹介されていて読んだ

障害者専門デリヘルはんどめいど倶楽部代表ショウさんに聞く|感動ポルノは悪、という悪vol.4
https://welserch.com/interview/handmaid-club


この「感動ポルノは悪、という悪」というキャッチーなフレーズに惹きつけられて、コメントを書いたので、忘れないように転載。
とはいうものの、|感動ポルノは悪、という悪」は4回目だった。
ちゃんと、見ないで書いてしまった。
これから読む。

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2021/11/21

「感動ポルノは悪、という悪」というのは確かに興味深い、問題提起でした。そして、感動ポルノを否定してきた人間にはキャッチ―で気を引くタイトルです。そういう意味ではマーケティング的には間違っていないかもしれません。

ただ、「感動ポルノは悪、という悪」のあとに「?」とか、つけてもらえたら、もう少し受け入れやすかったかもしれない、と感じました。

一つの大きな齟齬は感動ポルノをどう定義するか、という部分にあると思います。

この部分で、TEDの動画に依拠してしまっているのは安易かなぁと思いました。
何を指して、感動ポルノというか、という見方の違いが、感動ポルノは悪かどうか、という見方にかかわってくるはずです。

感動ポルノのデメリットとして、「デメリットは映像にリアリティがなくなり、間違った理解を増進させてしまう可能性があること」と書かれています。本当にそうでしょうか?
映像にリアリティがある感動ポルノも少なくないように思います。感動ポルノの問題は、確かに障害者に関して「間違った理解を増進させてしまう可能性があること」ではあるのですが、これも言い足りないと思います。ぼくが考える感動ポルノとは単に「間違った理解を増進させる」という話ではなく、障害者に関して、メインストリームで形成されたステレオタイプな見方を強化する、そのステレオタイプな見方とは、「障害を個人的な努力で克服する頑張る障害者は美しい」というようなものです。このステレオタイプな見方を固定させてしまうことは、やはり、悪としか言いようがないのではないでしょうか? それは、もちろん「障害を個人的な努力で克服する頑張る障害者」を否定しているわけではないのです。そのような物語を流布させることで、ステレオタイプな障害者のイメージを固定化することを否定する、そのための概念として、「感動ポルノ」という言葉が使われているのだと思います。

障害に関するドキュメンタリーすべてが感動ポルノであるわけではありません。障害に関するステレオタイプを壊すような側面も含めて、その人の全体性を表現できていれば、それはドキュメンタリーでであり、感動ポルノではないはずです。

この障害者デリヘル事業も、従来の、障害者の性欲を否定するようなステレオタイプを壊しているという面で、面白いと思います。 しかし、何か既存の健常者男性の性意識を肯定的に捉えているような部分もありそうな気がします。

そういう意味では「性のアブノーマリゼーション」を提起した倉本さんの問題提起なども参考にできるのではないかと思いました。 参照: https://tu-ta.at.webry.info/201509/article_4.html

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