三里塚闘争・暴力・総括・非暴力・9条・内ゲバ・サパティスタ

知人に御礼のメールを書く必要があった。その知人が管制塔被告へのカンパに少しかかわっていたので、ちょっとグチを聞いてもらいたい気分になり、少しだけそのことに触れた。

==以下、ちょっと補足して転載==

P.S.
以下、ちょっとしたグチです。読み流してもらえたらうれしいです。

管制塔カンパでもいろいろご苦労さまでした。

管制塔のカンパはそれとして絶対必要なことだったわけですが、第二の3.26とかいう乗りには、とてもついていけませんでした。

あの実力闘争にどのような意味があったのか。
実力闘争のエスカレートとその暴力性との相関をどう考えたらいいのか、その後の話し合い路線、そしてその中でも多くの農民が闘争から離れていかざるを得なくなっていったこと、それらを今の時代から振り返ることは、必要なことだと思うのです。そして、管制塔被告にかけられた攻撃は、そのことを想起するひとつの契機になりえたはずなのに、それらの作業が必要だというぼくのひ弱な声は誰にも相手にされず、ぼくとしても主体的に何もできないまま、管制塔カンパは終了してしまいました。また、強姦事件をきっかけに明らかになってきたジェンダーの問題。そして、そのような闘争下における男と女の関係も提起されたままになっているように思えます。

三里塚闘争、ぼくがかかわったのは80年代になってからですが、とりわけ70年代の後半から現在にいたるまで、いくつかの時期に分けることができると思います。それぞれの時期の闘争が現在に対して、どのような意味を持ち、そこから何を学ぶことができるのか、あるいは現在、そこから学ぶべきものは何もないのか、そのようなことを検証する作業は必要だろうなぁと思いつつ、忙しさという言い訳の中で何も出来ずにいる自分がいます。

三里塚をフィールドにする若い研究者の友人に、そういう作業のきっかけになるようなまとめができないかお願いしたりしていますが、・・・。

なかなかグチをぶつける相手がいないので、キーボードにまかせて書いてみました。ここまで読んでくれてありがとう。
別にレスポンスを要求しているわけではないので、気にしないで下さい。(笑)


==転載ここまで==

以下、思いついたことをつらつらとメモ

たとえば、サパティスタは人びとの解放をめざしながら、人を傷つけ、殺すことを職業とする兵士であることから降りることを希望する。78年の開港を前後する闘争の中で機動隊と鉄パイプでやりあったり、火のついたビンを投げたり、薬の入ったビンを投げたりという作戦を立て、それを実行した人々の中で、サパティスタのような想像力はどのように扱われただろう。

対抗する勢力を反革命と規定して殺人まですることを是とするような勢力をいまでも支持する人は、少なくなってはいるかもしれないが、いないわけではない。自らは内ゲバを行い、あるいは許容することで、裁判もない処刑を認めながら、その同じ人が、民主主義を訴えたり、9条の非武装を称えるような滑稽なシーンはいまでも見られる。それは日本だけの現象ではなく、フィリピンにおいてもコミュニストの勢力がウォルデン・ベロを処刑リストにのせたりし、また、そのようなことをするフィリピンのコミュニストグループを支持する日本のグループもある。

9条改憲が声高に語られるいま、非暴力を9条と前文の平和主義の観点からとらえかえすことも必要になっているというような某氏の見解を先日、耳にし納得したりした。それらを考察する際に、革命の暴力とか闘争の暴力をどう考えるかということも避けて通ることはできないだろう。

あんまり脈絡のない話を書きつらねると、あとで赤面するようなことになることも少なくないが、とりあえずこれも記録として残しておこう。



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